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ドラゴンは、みんなに会いに行く

作者: 真朱マロ

 ドラゴンは旅に出ることにした。

 幽境の巣穴でたっぷり眠ったので、こびりついていた疲れもすっかり消えている。怪我をしてズタボロだった鱗も、新しく生えかわりピッカピカである。

 傷ついた身体を治すために眠りこけてしまったが、ドラゴンは実のところひとりぼっちが嫌いなのだ。

 だから眠りにつく原因となった、魔王討伐を共に成し遂げた友人たちに会いに行こうと思ったのである。


 ずっとゴツゴツした岩場で丸まって眠っていたから、う~んと大きく伸びをして、硬くなった身体をほぐしていく。

 立派な翼を広げて数回。なめらかなはばたきを確認して、フンスと満足そうな鼻息をもらした。

 最高に調子が良くて、今なら世界の果てまで飛べそうだった。


 善は急げとばかりに、ドラゴンは翼を広げて飛び立った。

 ふふん、ふふんと漏れる鼻息は、ご機嫌な鼻歌である。

 青い空は爽やかで、薄い皮膜に受ける風も、目覚めたばかりのドラゴンを祝福しているようだった。


 天から降り注ぐ朝日はキラキラと金色に輝いている。

 ドラゴンは機嫌よく羽ばたきながら、まずはミミナガの住む森を目指した。

 長く眠りこけていても、友との約束は忘れないのがドラゴンの良い所なのだ。


 魔王との戦いは、生まれて間もないドラゴンには壮絶だった。

 思い出しただけで、炎を生み出せる喉の奥が、ヒュッと冷たくこわばってしまう。

 しかも偉大なドラゴン一族であっても、魔王を倒せるのは勇者の剣だけだったので、ブレスも魔法も通じなかった悔し泣きを、仲間たちに「まだ子供のキミを巻き込んでゴメン」と慰められたのは黒歴史である。


 確かにドラゴンは若かった。

 ドラゴン族の中で一番の若輩である。

 だからといって、子供だから泣いたのではない。断じてそうではないのだが、生ぬるい慰めの言葉と頭をなでてくれた手の数々は、実に悪くなかった。

 思い出しただけで、心の奥がぽかぽかとぬくもるので、口からブレスを吐きたくなる。

 吐きたくなるだけで、吐いたら魔術師に杖で殴られ、戦士たちにお尻を蹴とばされた記憶があるので、今では浮かれたからといって炎を吐かないけれど。


 ドラゴンには硬くて大きな身体があったから、仲間たちを守る盾にもなれた。

 大事な思い出が、大事な約束の数々となって、今もドラゴンの胸の奥でホカホカと温もっていた。


 ドラゴンは、偉大なドラゴンの最若として、魔王との戦いをすべてを見届ける役割を負っていた。

 だから偉業を成し遂げた仲間たちをその背に乗せて、それぞれの里に送り届けた。

 別れは寂しかったけれど、ドラゴンはとてつもなく満たされていた。

 みんなそろってズタボロだったけど、生きていることを喜びあって、また会おうと約束して別れたのだ。


 だから傷が癒えた今、仲間との再会を果たそうと、ドラゴンは広い空を飛ぶのである。

 ドラゴンは約束を守る生き物なのだ。

 戦いが終わり傷ついた身体を癒すために「しばらく巣穴で寝るよ!」と宣言した後に、お別れしたミミナガが言ったこともちゃんと覚えていた。


「キミが癒されて目覚めたその時は、最初に私の森を訪ねなさい。間違っても他の仲間の住む場所にひとりで行ってはいけないよ」

「どうして?」

「キミの身体はとても大きいからね。仲間の家をつぶす気かい?」


 困った顔でほんのり笑うミミナガに、ドラゴンは「なるほど!」と納得したのである。

 旅を共にした仲間は、人間や亜人である。

 寝返りひとつでプチッと押しつぶせること間違いなしの、チビっちゃい仲間たちとはそもそもの基準が違っている。

 雨除けや風除けになれるぐらい、ドラゴンは大きな身体をしていた。


 旅を始めたばかりの頃のドラゴンは、大きなドラゴンの姿でしかいられなかったけれど、旅の終わりには魔法を使って小さくなることも、亜人の姿になる事も出来た。

 ドラゴン一族は神々に近しい存在なので、神がかった魔法も使えるのである。

 けれどドラゴンの姿でしか空を飛べないから、人間や亜人の住処に自らの姿では行けないし、行ってはいけないのだ。


 あの別れの日。仲間とのサヨナラで頭がいっぱいになっていたドラゴンに、仲間が傷つかない方法を口添えしてくれたのは、頼りになるミミナガである。

 名前のとおり長く尖った耳や、木漏れ日のようにやわらかな金色の長い髪や、煙る様な長いまつ毛に彩られた緑の瞳や、ツンと澄ました怜悧な表情を思い出しながら、ドラゴンは巨大な木々があふれるエルフの住む森に舞い降りた。

 幻影の魔法に満ちているけれど、ドラゴンの目には森の民の家々まではっきりと見えるのである。


「ミミナガー! ボクだよー! 約束通り、みんなに会いに行こう!」


 風を巻き起こしながら咆えるように呼び掛けると、森の小鳥たちが一斉に飛び立ち逃げだした。

 家々からもザワザワと風に乗った戸惑う気配が幾つも届いたけれど、ドラゴンはフンスと鼻息を吐いた。

 たくさんの気配はミミナガと同じ、魔力の高いエルフ族のものだろう。

 敵意はなく、ミミナガを里に運んだ日のことを覚えている者も多いのか、なんだあの竜か、といった囁きが風に流れて関心と一緒に消えていった。


 懐かしいミミナガの気配が、何やらゴソゴソと家の中を動き回った後で、小走りで近寄ってくる。

 旅装を整えた背負い袋や濃い緑のマントをまとうミミナガに、懐かしい旅の日々と同じ装いだと、ドラゴンは朗らかに笑った。

 無邪気な笑い声に、ミミナガは呆れた視線を向ける。


「可愛い子、キミはいつも突然だ」

「今日、目が覚めたんだ! ボクがいつ来ても大丈夫なように、ずっと旅の準備をしてたよね? ミミナガは話が早くて大好きだ」

「ドラゴン族のくせに、キミは行動が早いからね」


 同じく気の長いエルフ族から見ても、仲間のドラゴンは人間よりもせっかちだった。その速度にのんびり屋のミミナガがついていけるのも、人間や亜人に囲まれた、厳しくも楽しかった旅の影響だろう。


 そう、壮絶だった戦いの記憶のはずなのに、仲間との旅は楽しかった。

 旅の仲間は種族の代表者たちが集まったものなので、とてつもなく凸凹だった。

 フェアリーにドワーフにハーフリング。リザードマンに人間が三人。

 あまりに凸凹な仲間たちが、共に手を取り合って、同じ敵に立ち向かい、戦いに勝利するという奇跡。

 その奇跡の後に起こる顛末を、エルフ族であるミミナガはよく知っていた。


 だからまず、妖精界に戻ったフェアリーを呼び出した。

 入口に繋がる湖のほとりで、ミルクを置いてドラゴンの歌に乗せてクルクルと踊れば、空に光の穴が開いてキラキラした光と共に小さな妖精が飛び出してきた。


「へったくそ! 歌も踊りもへたすぎるわ! 子猫の欠伸よりへなちょこね」


 ケラケラとお腹を抱えて笑う妖精に、ドラゴンとミミナガは視線を合わせて肩をすくめた。自分たちの名誉のためにも「これが普通」と言いたいところだが、天上の歌姫や踊り子を輩出する妖精族から見れば、子猫の欠伸よりつたないだろう。


「お久しぶりね、ドラゴン! 妖精界で遊んでいく?」

「また今度ね! 今日はね、みんなに会いに行こうって誘いに来たんだ!」


 意気揚々と「さぁ背中に乗って!」と促すドラゴンに、手のひらサイズの小さな妖精は「相変わらずねぇ」とケラケラと笑った。

 そしてミミナガのマントの襟もとに潜り込むと、元気良く右手を振り上げる。


「さぁ、イケイケドンドン、空の彼方までひとっとびよー!」

「相変わらず元気だね、キミは。勢いだけは誰にも負けない」

「空の彼方じゃなくて、行くのは仲間のおうちだよー!」


 身体の大きさだけでなく、会話も凸凹のままだったけれど、心もやりたいこともひとつだから、ドラゴンは二人を背に乗せて翼を広げた

 天高く飛び立って、その懐かしさに妖精は歓声を上げる。

 魔王を倒した旅の終わりも、こうやって空を飛んだのだ。

 かつて通り過ぎた旅をさかのぼるように、ドラゴンは旅の仲間の元へとその翼を羽ばたいた。


 太陽が天井から東に傾くまで長く飛ぶ。

 岩山に舞い降りれば、ドワーフが一人、仁王立ちしていた。武骨な戦士は身の丈ほどの巨斧を背負っている。

 ドワーフ王国がある山脈に近づくものがあれば警鐘が鳴り響くので、警戒態勢をとりかけて、知人だと気付いて待っていたのだ。

 戦士の一族は優秀な鍛冶でもあるから、かつての戦いでボロボロだった鎧も、修復され剛健さを取り戻している。


「貴様等、雁首そろえて今度は何と戦う?」

「キミは相変わらずせっかちだな!」

「軟弱なヒョロヒョロどもが、儂を訪ねる理由などそれぐらいだろう」

「違うよ! ボクがみんなに会いに行こうって誘ったんだ!」


 一緒に行こうとほがらかに誘われ、ドワーフは「は?」と顔をしかめた。

 元気よく「約束だから!」というドラゴンに、もう一度「は?」と声をもらす。


「アレは、貴様が単独で各々の国を訪ねる、という話では?」

「そうだけど、そんなのつまらないよ。ボクはみんなと一緒じゃないとイヤだー!」


 ほがらかに宣言するように空に向かって叫んだドラゴンに、思い切り眉根を寄せて「ガキか? いや、ガキだったな」とドワーフは低く唸った。


「いいじゃない、面倒だから一緒に会いに行きましょ」

「チビ娘は黙っていろ。ミミナガ、こいつらを何故とがめない?」

「決まってる、今じゃないと後悔するからだ。行こう、勇敢な我が友よ」


 さぁ、と手を差し伸べられて、フン、とドワーフは横を向いた。

 そして「ちょっと待っていろ」と言い置いて、地下へと帰っていったが、一時間ほどして旅の支度を終えて戻ってきた。

 ドワーフの後ろには、赤子を抱いた女性と二人の子供が一緒だった。

 自分の妻と子供だと紹介して「留守を頼む」と言い置いて、ミミナガに手を差し出した。


「行くぞ、我が生涯の友よ」

「光栄だよ、勇敢な我が友」


 手を握り握手を交わした後でミミナガが、見送る家族に「お父上をお借りします」と挨拶をしている間に、ドワーフはドラゴンの背に乗っていた。

 そして三人を乗せたドラゴンは空高く飛び立った。

 傾く太陽が地平に消え、月が昇るまで飛び、草原で軽く眠る。


 夜露を遮るドラゴンの大きな翼の下で、健やかな寝息が満ちるのも、かつての日々と同じだった。

 違うのは、共に居る仲間の人数だけだ。

 朝日と共に空へと飛び立ち、穏やかな緑の野に差し掛かると、降り場を探して地上を見おろした。

 すると、緑の野を走る二つの人影があった。


「もうやだー! パパなんて嫌い―!」

「待てコラ、その日暮らしの冒険者との結婚なんて、パパは許さないぞー!」

「自分だって、ママを置いて何年もフラフラしてたくせにー!」

「あれは! 一族の代表で! お役目を押し付けられた! 魔王討伐だー!」

「知らない知らない! あたしの結婚式が終わるまでどっかいって―!」


 なにやら取り込み中で、かしましい諍いが野原に響き渡っている。

 ミミナガとドワーフは互いに目配せすると、コクリ、と深くうなずき合う。

 実に都合の良いもめごとの最中のようだ。

 そして「行け」とドラゴンに指示をする。

 事情は分からないが、なんだか楽しい気がしたので、ギュンッと高速でドラゴンは急降下する。

 鋭いカギヅメを広げて、娘を追いかけているパパをガッチリ捕まえて天高く上昇した。

 上手く捕獲できたのでニコニコと微笑みながら、ミミナガは草原に向かって声を張り上げた。


「キミの結婚式が終わるまで、パパを借りるねー!」

「パ、パパ―?! パパ―!! いかないで―!」


 さっきまでの暴言も言葉の綾で本当にどこかに連れ去られるなんて思わなかったと、涙の粒が盛大に零れ落ちている。

 逃げから一転して追いかけてくる、末娘の小さくなっていく姿に、ドラゴンの鍵爪に囚われているパパことハーフリング一族のレンジャーは大きな声で叫んだ。


「心配するなー! こいつらアホだけど! 魔王討伐の仲間だー! こいつらアホだけど! 結婚式までには帰るからなー!」

「パパー!! 待ってー!! ママに! ママにも説明して―!!」

「ママに伝えてくれー! キミを! キミたちを! 俺は愛してるぞー!」


 豆粒ほど小さくなって、とうとう見えなくなった娘の姿に、レンジャーは腕を振り上げて「オイコラ、ふざけんなよ!」と怒鳴り散らす。

 望まぬ空の旅に、怒り心頭である。


「ほんと、なんなんだよ! おまえらは!」

「まぁまぁ、娘さんの結婚式にはエルフの祝福を贈りますから」

「あたしの愛の歌も贈るわ。妖精界の美酒だってあるわよ」

「ドワーフの誉れ。金細工の用意もやぶさかではない」

「ボクは……ボクが空からお花を撒くよ! 花嫁さん、ばんざーい!」


 フェアリーの「きゃ~ん、愛よ! この世界には愛があふれてるわー!」と身もだえしながら歌い始めた愛のオペラに、顔を引きつらせながらもレンジャーは叫んだ。


「そうじゃねぇよ! 物事には順番や段取りがあるって話をしてんだよ! 護り手だった親から、一週間逃げ切った子は大人だと一族から認められるんだよ。その子の願いを叶えるのが、親の役目! 立派なハーフリングの掟なの! 今日が最終日だったんだぞ!」


 ほんの二時間ばかりだが短縮されてしまったとしばらくプンスカしていたが、フェアリーに「はげるわよ」と言われて押し黙った。

 怒っても無駄な連中だと知ってはいたが、最盛期を過ぎて髪も少々心許なくなっている自覚はあったので、顔をしかめるしかない。


 誰一人として頓着せず、悪いとすら思っていないことを肌で感じて、ハァとため息を吐き出した。しまらない連れ去られ方をしたが、とりあえず家に帰ったら「結婚おめでとう」と末娘に告げようと思った。

 そして、適当なところでドラゴンの背中に引き上げてもらう。かつての仲間たちに会いに行く話を聞いて表情を曇らせる。


「あとはリザードと人間三人に会う気か? つーか、今頃になってどうすんだよ」

「約束だからね。皆がそろったら、やっと名乗り合える。みんなの名前を呼べること、ボクはずっと楽しみにしていたんだ」


 のほほんとしたドラゴンの言葉に、ドワーフとレンジャーは同時に顔を見合せた。無邪気なドラゴンの受かれている様子に、開きかけた口を閉じてしまう。

 しかめっ面で「ミミナガ~どうすんだコレ?」と最年長者にコソコソと伝えたが、穏やかに「行けばわかる事だから、いいんだよ」と返され、仏頂面で押し黙る。


 魔王討伐の仲間たちが、自分たちの名前を名乗らなかったのにも理由がある。

 存在の「名」を核にして、操る魔法を魔王が得意としていたのだ。

 だから職業名か特徴・種族名で呼び名を決めて、それぞれを護り合ったのだ。

 もし仲間の誰かが捕らえられても、知らない名前を盗まれることはない。

 魔王討伐が終わってからも、名で行動を縛る魔法を使う魔族の残党がいる可能性があったので、信頼し合う仲間であっても今だにそれぞれの名を知らなかった。


 なぜか妙な空気が漂うことに、ドラゴンはキョトリと首をかしげたが、それが何故か知るのは砂漠に降り立ったその時だった。

 リザードの家族に迎えられ、旅立つなら準備が必要なのでしばらく待ってくれと懇願されたので、ドラゴンは人間の姿に変化する。

 仲間たちから魔法が上手になったと褒められて、ムフンと得意げに胸をそらした。

 そして、リザードの住む岩屋に通され、奥まった寝台からヨロリと立ち上がった老いた男の姿に、それまでの上機嫌を吹き飛ばされ絶句することになる。


「幼子よ。器用に魔法を扱えるようになったな、えらいぞ」

「ボ、ボクはもう大人だよ……? ひとりでなんだってできるんだ」


 ワシワシと頭をなでる細くなってしまった手に、目を細めながらドラゴンは戸惑った。

 リザードは大柄で鍛え抜かれた筋肉を持つオオトカゲの獣人だった。

 ドラゴンにとっては、兄であり、父であり、師匠出会ったような、仲間というより家族のような男だった。

 ドラゴンと近しい匂いと習性を持ち、タフで我慢強い性格の戦士だったリザードだが、今はもうかつての勇猛な片鱗を見る事は出来ない。


 命の灯が細く弱っていることが一目でわかる老いた姿に、胸の奥からこみあげてくるものがあった。

 それが明確な形になる前に、クククッと肩を揺らして笑い、かつてのように片眉を上げて仲間たちの姿にゆるりと視線を投げかけた。


「おまえたちは本当に運が良い。旅立つ元気がまだある、この俺に会えるのだから」


 鋼のようだった男は近づいた死期を感じさせぬ、かつてと同じ頼もしい笑みを浮かべていた。おぼつかないのは、老齢の肉体だけだ。


 そして、二日ほどかけて旅の準備を整えたリザードも背に乗せて、少々動揺したままのドラゴンは空へと翼を広げた。

 大きな背中には、ドワーフ製の特別な鞍が装着されて、人間の7~8人は運ぶことができる。

 まだまだ満員御礼ではないので、リザードの息子か孫を誘ったが、あっさり断られた。

 命の灯が消える予兆すらないので好きに旅してくれ、と笑って見送られたことに、ドラゴンは大きな咆哮を一つ残して、大きく翼を羽ばたかせた。


 人間の寿命はとても短いのだ。

 彼らとは、もう、二度と会えない。

 エルフは長寿だし、妖精の住む妖精界に時間は存在しないから歳を取らない。

 けれど青臭い青年だったドワーフは壮年の貫録を持ち、はしっこい少年だったレンジャーは少々くたびれて初老の匂いを漂わせているし、鋼より頑強だったリザードは命の灯が終わりに近づいている。

 勇者が「ボクたちの寿命なんて、君にとってはクシャミひとつと同じぐらいあっけないものさ」なんて笑っていたけれど、聞いたその時は意味がまるで解らなかった。


 残るは、勇者と魔法使いと司祭。

 討伐の旅の中心だった人間の三人と再会したかった、賢いドラゴンはすっかり理解してしまった。


 ドラゴンの怪我が治るまで、たくさんの時間が必要だった。

 それは仕方のない事だけど、大切な仲間との再会の約束が果たすことができないと、誰に教えられなくても簡単に理解できてしまった。


 会いたかった。

 もう一度、会いたかった。

 大きく翼を広げて空を飛ぶこの旅は、再会の旅のはずだった。

 だけど、もう会えないことを確認する旅になるのだ。


 大切な仲間に、もう一度だけでもいいから会いたかっただけなのに、悲しみで胸がつぶれそうになる。

 いつの間にかポロポロと涙をこぼしていたドラゴンの背を、かつての仲間たちそれぞれはいたわりを込めてそっとなでてやった。


 ずーんと重く沈んでしまったドラゴンを慰めつつ、三日ばかりゆったりと空の旅を楽しんだ。

 魔王討伐からの時間もそれなりに経ち、人間の国にはドラゴンを御伽噺だと思っている場所も多いので、空のコースも気を使いながらなので、ちょっぴり遠回りだったりする。


 そんなこんなで一行は、ようやく勇者たちが人生を終えた場所に辿り着いた。

 ここからは自由に飛んで大丈夫だと言われた眼下には、牧歌的な街とのどかな田園風景が広がっている。

 小さな街の周りにある無数の農園と豊かな森。

 穏やかで満ち足りた風景の中に、小高い丘があった。


 中心に石碑らしきものがあり、丘を覆うように色とりどりの小花が揺れている。

 人の手で整備されているのが一目でわかるほど整えられた丘に、ミミナガの指示でドラゴンは舞い降りた。

 そっと身をかがめたドラゴンの背中から、姦しい仲間たちが降りる間も、良い香りのするやわらかな草が、大きな体を抱き留める。

 この場所はとても居心地が良くて、感覚的に好きな場所だとドラゴンは思う。


 丘の中心にある石碑の周りは、大きなドラゴンがのびのびと身体を伸ばせるほどの大きさがあるので、ドラゴンは変化する必要もなくドラゴンのままでいられるのだ。

 変化する魔力消費は大したことがないけれど、やはりそのままの自分でいられることは嬉しかった。


 広場にあるのは大きくも小さくもない石碑ひとつで、小高い丘になっているから視界を遮るものが何もないので、空がとても近い。

 本当に良い場所だと浮き立つ心のままひとつ頷いたところで、ざわめく人々の声を乗せて、街の方からいくつもの荷馬車が近づいてくる。


 なんだろう? と首を傾げるうちに、一騎、その集団から離れた騎馬があった。

 先陣を切るのは年若い青年で、風になびくマントも使い込まれた装備も、とても懐かしい色をしていた。


「勇者だ! おーい! ボクだよー! 約束通り遊びに来たよー!」


 はじけるような喜びに満ちたドラゴンの声に、石碑の周りに集まって雑談していた一行も振り向いた。

 見る間に近づいてくるその青年に、仲間だった男の面影を見て目を細める。

 少し癖のある栗色の髪も、やわらかな深緑色の瞳も、意志の強そうな顔立ちも、かつて共に旅をした勇者によく似ていた。


 けれど決定的に違うのは、その年齢だった。

 笑顔で笑って別れた日はすでに、勇者は30歳が間近だった。

 その事に気が付いて、一瞬はじけた喜びもしぼんで、ドラゴンは自分の勘違いにションボリする。


 親しげに微笑みながら、目の前で馬を下りた青年は20歳そこそこに見えた。

 時間を止める事は出来ても、若返る魔法はこの世界には存在しないので、別人なのは間違いない。


「ようこそ、はじまりの街へ。この地の領主として皆様を歓迎いたします」


 馬から降りた青年がニコリと微笑むその表情も彼の友に似ていたが、よく通る声と線の細さは、仲間であった勇者とは少し違っていた。

 繰り返した激闘を越えてひび割れた声を思い出しながら、ミミナガは一行を代表して感謝の言葉を述べた。


「なんの知らせもなく、突然に訪れて申し訳ないです。君は、我々の生涯の友に、とてもよく似ているね」

「ありがとうございます。僕は勇者と魔法使いのひ孫にあたります。二人とも楽しそうに笑いながら、皆様方が訪れたらよろしくと我らに託し、十年ほど前に神の国へと旅立ちました」


 たくさんの思い出話を聞いているので知己との邂逅のようだと、懐かしそうに目を細めながら青年は朗らかに笑った。

 そして追いついてきた荷馬車の到着に、宴の準備を指示し始めた。

 数台が連なってきた荷馬車には酒や食料。簡素な屋台まで積んである。

 街中の人が声をかけあいながら、歓迎の言葉を口しながら集まっていた。

 大きなドラゴンの姿を見た子供たちが、待ちきれないとばかりに親の手を振り切って駆けて来た。


「すげー! 本物のドラゴンだ!」

「かっこいいー!」

「妖精さんもいるよ!」

「はじめまして! ボクはドラゴン! 友達との約束を守りに来たよ―!」


 キャァキャァとはじけるような笑い声に、ドラゴンは誇らしげに胸をそらした。この街にたどり着くまでに流した涙のことなど、子供たちの笑顔でスパーンとはるか遠くに投げ飛ばしたらしい。

 ばさぁっと自慢の翼を見せびらかせると、子供たちは手を叩いて喜んだ。


 巨大なドラゴンの無邪気な言葉に、子供たちは歓声を上げ、少々おっかなびっくりだった大人たちも笑顔に変わる。

 精神年齢が近いので、ドラゴンと子供たちはあっという間に仲良くなっていった。


 いつの間にか、広場は無数の人で埋まっていた。

 街中の人々が、飲み物や食べ物を手に、集まってきたようだ。

 ひ孫の青年ほどではないが血縁者も多いらしく、そこここにかつての戦友に似た老若男女が混じっていた。

 酒が配られたり、肉が焼かれ始めると、三々五々に勇者の仲間たちも人の群れにまぎれていく。


 異種族が入り乱れた宴の様相に、奇跡のような一瞬だとミミナガは思う。

 今はもう鬼籍に入った勇者も魔法使いも司祭も、人間の寿命と長命種の寿命格差や、種族間の常識や認識の誤差の大きさを良く知っていた。

 共に旅した時間の長さで、他の者より身に染みていたともいえる。


 少年時代に始まった旅が、駆け抜けるように成人を過ぎた歳になって終えたのも、事実としてすぐ傍で見てきた。

 寿命が尽きて、再会の約束を果たせないのは仕方ない事だ。

 けれど、魔王のような脅威が去った後は、異種族間と疎遠になっていくことも予想していた。


 人間と亜人は、見た目からして違う。

 ましてや、ドラゴンや妖精といった幻想生物は、人の寿命すら理解していない。

 いや、ドラゴンはまだ赤子と変わらない幼さなので、精神的に老成すれば理解するかもしれないが。もともとの性格が鷹揚で大雑把で朴訥なので、少々心許ない気もするが、心が成熟する未来を期待してみる。


 異種族が共に旅して共闘できたのも、魔王という同じ脅威を前にして、奇跡的な偶然のおかげだろう。

 共通の脅威がなくなれば、見た目の際も生物としての違いもあらわになり、手を携える必要がないから、恐怖や異端を見る目に変わっていくだろう。

 かつての友が、いずれ敵になるなど、あってはならない事だろう。


 ミミナガはエルフらしく、未来への約束など意味がないと思っていた。

 軽々しく未来への約束を口にした短命種に、かすかな苛立ちすら感じていた。

 おそらくその苛立ちは、長命なドワーフも同じく感じていただろう。


「この街が続く限り、たとえ世界を敵を回しても、あなたがたを親愛なる友として、いついかなる事が起ころうとも歓迎し受け入れます」


 それは願いであり、祈りであり、誓いでもあった。

 勇者のひ孫はそう言って笑ったが、きっと彼のひ孫も、そのまた孫の孫も、同じ笑顔で同じ言葉を紡ぐだろう。

 なにせ負けず嫌いで、陽気なくせに執念深く、頑固で粘り強い勇者たちの末裔なのだから。子々孫々に至るまで、そうであってほしいとも思う。


 短命種らしいやり方で託したのだ。

 長命種からの侮りさえ、壮絶だった魔王戦と同じように、彼らは軽々と飛び越えてしまう。


 子から子へ、子から孫へ、孫からひ孫へと、連綿と続く未来への約束を。

 自分たちの血族だけでなく、この地に住まう人々に繋ぐ、はじまりの街の誓約として、託していくことで。


 その証として建てられたのが、丘の上にある石碑である。

 人間である勇者や魔法使いや司祭の名前は当然ある。

 魔王討伐に関わった仲間たちを示す紋章と、共に旅は出来なくとも支援・共闘した海や天界の種族を現す紋も刻まれていた。


「話してください、曽祖父の旅のことを。ボクたちも話しましょう。旅を終えた勇者と魔法使いと司祭が、領主やその妻や友人として生き抜いた、ありふれた人間としての軌跡を」


 そんなささやかであたたかな願いの言葉にも、かつて共に旅をした仲間の面影を見た。

 すでにこの世にいない友の名は、紋様と共に石碑に刻まれている。

 リザードが新たに自分の名を刻みながら「身は滅びても心は共に」とつぶやいたのを耳聡く聴いた。

 今はまだ名を利用される訳にはいかないので、長命である自分たちも鬼籍に入る前にここにきて、真実の名を石碑に刻むと心の中で誓いながら、心からの笑顔を浮かべた。


「とんでもない偉業を成し遂げた我が友が、ありふれた人らしく生きたならば、朋友である私達には至上の歓びだよ」


 穏やかに語り合うその目の端で、ばさぁっとドラゴンが翼を広げていた。

 子供たちにねだられて、夜空を飛ぶことにしたのだ。

 口は悪いが面倒見の良いドワーフやレンジャーが、ドラゴンの背に子供たちを引き上げる。

 大きなドラゴンの背中に乗っただけで、子供たちは大はしゃぎである。

 ドワーフやレンジャーたちが、慣れた手つきで鞍に付けたベルトを子供たちの腰に巻いていく。

 酒に酔った大人たちもうらやましそうに見ているので、年齢に関係なく乗せてくれとせがむのも時間の問題だろう。


 酒盛りに交じって興に乗ったのか、フェアリーが光の粉を散らしながらクルクルと舞いながら歌いはじめた。

 魔力の混じった声は広場に波紋のように広がっていき、咲き乱れていた小さな花々がほのかに光始める。

 陽気な歌声に誘われて、広場にいた花の精も姿を現して歌い踊りだした。


 ドラゴンが子供たちを背に乗せて、翼を羽ばたかせる。

 巻き起こった風で、そこここで焚かれる篝火よりも、やわらかに輝く花びらが風に舞う。

 星々に向かってはばたくドラゴンを追うように、花びらは上空へと舞い踊り、光を散らしながら地上へと降り注ぐ。


 辺りに響くのは「ボクらはずっと友達―!」という子供たちとドラゴンのほがらかな声と、祝福に満ちた歌声。

 誘われるように空を見上げれば、幸福で幻想的な情景が広がっている。


 満天の星々と祝福の花びら。

 新たな約束の証のように、天から光が降り注ぐ。


 光り輝くすべてが、遠い未来にまで繋がっていく、歓びと喜びと悦びだけが満ちた夜だった。





【終】

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