限界突破 1
ところでフィリスは、志も高いし努力はする方だし、前向きに何でもこなすし、基本的にはよいこであるのだが、欠点といえば精神的に強くない方であるという事だ。
長期休暇の中盤フィリスは、すでにへとへとになっていた。
あっちへ行けば魔素パワー、こっちへ行っても魔素パワー、お茶会は毎日なんて程度ではなく一日二回参加することもあり、移動と着替えと魔素パワーでフィリスの心は限界に達していた。
頭の中が魔素パワーで満たされていて、どこを見ても珍妙な置物が魔素パワーを放っている。
カイルにも心配されたが、これはフィリスの役目だと譲らなかった。
しかし、とにかく参っていて、ついにこれだけの洗脳のような日々を過ごしてやっとブランシェール伯爵夫人に直に対面することが出来る日がやってきた。
やっとここまで来たかと思えるほど長い道のりだったので、なぜブランシェール伯爵邸に、わざわざフィリスたちブライトウェル公爵家の人間が出向いてやらなければならないのだという気持ちを押さえ込んで、案内の使用人の後ろをかつかつ歩いた。
母は日に日に青白くなっていくし、毎日同じ話ばかりで夢に見るし。それを話せば魔素パワーが浸透してきている証拠だともてはやされるし。
何もかもが最悪で、フィリスは、敵の親玉のような人間に会うのに怖気づくどころか目をギラギラと血走らせてイライラしながらついていった。
今までのお茶会で様々なものを見てきた。
魔素パワーで病気が治ると言っている人、領地繁栄の為に購入している人、そのせいで旦那と不和に陥っている人すべての元凶が彼女にあるとは言わないが、事の発端はブランシェール伯爵夫人である。
応接室へと通されてフィリスは、ダーナとともにやっとブランシェール伯爵夫人と対面した。
彼女は見た限りでは、いたって普通の奥様といった風貌だが、美しい豪奢な金髪に完璧に近い顔の造形、高く跳ね上げたアイラインが特徴的なすこし派手な人だった。
「エルヴィール様! お久しぶりです、お忙しい中お時間を取って下さって恐縮だわ」
彼女を見た途端に、隣にいたダーナが声をあげてにっこりと笑みを浮かべた。
その内容にフィリスは驚く。本来であれば今のセリフはダーナではなくブランシェール伯爵夫人のものだ。家名ではなく名前で呼びかけるのも珍しい。
「あら、良いのよ。ダーナは大切なわたくしの友人ですもの。そちらがご息女のフィリスでしょう?」
……私の事すら、敬称もなし……。
ダーナが許しているのなら、敬称もなく呼び合うことも問題は無いし、フィリスもジゼルやダイアナ達にはそう呼ばれていた。
しかし、許可もなくフィリスを呼び捨てにするのは母同士が友人であったとしての無礼だろう。これでも聖女だ。
ブランシェール伯爵夫人とは友人でも知り合いでもない。
「そうよ。魔法学園の休暇中にぜひ会っていただきたくて」
「そうよねぇ、可愛い娘には賢い生き方をしてもらいたいものね。そこで今日はたくさんの品を仕入れておきましたのよ、さあ座って」
「失礼します」
母はにっこりと嬉しそうな笑みを浮かべて彼女の対面に座る。フィリスは話を振られなかったが、そのままダーナの隣に腰かけた。
「それにしても……やはりわたくしが見た限り、フィリスには魔力の波の滞りを感じますわ」
真顔でやり取りを聞いていたフィリスに向かって、ブランシェール伯爵夫人は突然手をかざすように前に出して、その真っ赤な唇を歪めてそう口にした。
彼女は服を着ている珍妙なボトルや、小石、花などが置いてある場所へと手を伸ばして片手にもったりして難しい顔をする。
入室してすぐにはブランシェール伯爵夫人が目を引いたので特に意識していなかったが、この応接室にはブライトウェル公爵邸以上に珍妙なものがあふれていて異様な光景だ。妙なお香がたかれていて煙たいし、変なにおいもする。
そしてそこに鎮座している異様な雰囲気のあるブランシェール伯爵夫人はとてもそれっぽいというか、何か他人にはないような素晴らしい力を持っていそうに見えなくもない。
「や、やっぱりッ、そうなんですか? エルヴィール様!」
「ええ、そのせいであなたとの絆が薄れていますわ……このままではフィリスか完全に道を違えてしまう」
「そんな!」
「今までダーナが買っていた魔素パワーのあるものだけではとうてい太刀打ちできないのは……そうっ、魔獣の邪悪なる魂がフィリスの魂の格を下げているからだわ!」
「魔、魔獣……」
「多くのフィリスが殺した魔獣がフィリスの心をとらえて、戦いにいざなっている、これではわたくしたちのような安寧の生活は送れない……」
……。
母は、食い入るようにそのブランシェール伯爵夫人の話に聞き入った。フィリスはブランシェール伯爵夫人の言葉が信じられなくて頭の中でかみ砕いて反芻してみてやっと理解した。それから、なんて間抜けな話なんだろうと驚愕した。
アレだけたくさんの人が信じていて、高額なお金が動いているのに適当なことしか言っていない。
多少なりともブランシェール伯爵夫人の話を否定するのに苦労するだろうと思っていたのに、とんでもない理論も何もない事しか言っていない。
しかし、それを目の前にいる母は心の底から信じていて、その瞳は盲目的だ。
「今すぐフィリスにこの指輪をつけてあげなければなりません、ダーナ、あなたならできます、今すぐ娘を救ってあげなくては!」
ブランシェール伯爵夫人はそういってとても安っぽそうな指輪に小さなリボンがついたものを手に出した。
母は語り掛けられて、目を血走らせて「いくらですか?!」と聞く。お香お香の煙が目に染みてフィリスの頭の奥はぐらぐらしていた。
それに「ダーナなら特別に大金貨七十枚でいいわよ」と大きな声で言った。
フィリスはその声を聴いて、カチンと来て思い切り、机の上にどでかい岩石を生み出してドカンと落とした。