承諾
準備が終わって夕食へと向かうとすでに父であるフェルマンと母、ダーナ、それからカイルがそろっていた。
両親とカイルと食事の席を囲むのは、なんだか不思議な気持ちではあるのだが、こうして集まることが出来て嬉しい。
フィリスが大人に近づけば近づくほど、フェルマンはこの屋敷に帰ってくる頻度が減っていたし、フィリスも母と過ごすよりも自分の役目の為にあちこち回っていた。
だからこそこういったことは滅多にない。こういう一日をフィリスたち家族は大事にしていくべきだと思う。
「しばらく見ぬうちに、またたくましくなったなフィリス」
「ありがとうございます。お父さま」
「さあ、早く席について、晩餐会を始めましょう?」
「うん。お母さま」
彼らと軽く会話をしてカイルの隣に腰かける。
これからの為に自分の事をきちんと話さなければと思いながら、気持ち新たにテーブルに目をやると、先ほどの差し入れのようにボトルがドレスを着ていてフィリスは危うく吹き出しそうになった。
「っ、っ、ごほっ」
「どうかしたか?」
隣から問いかけてくるカイルになんと伝えようかと思考をめぐらせて、考えていると、机の上の燭台にも同じようにドレスが着せられていて、思わずフィリスは押し黙る。
父と母はとても和やかに世間話をしていて、目の前のこれらをまったく気にしていない様子だった。
そんな彼らに気がつかれないようにフィリスはカイルの服の裾を引っ張って、彼に小さな声で言った。
「カイル! ボ、ボトルが」
「……ああ、言っただろう。過激だと。最近はこういう物が屋敷のそこかしこに置かれていてな、少々不気味だ」
冷静に状況を教えてくれるカイルだったがこれは過激というか、過剰が正しいのではないだろうか。
しかし、もっと不思議なのはフェルマンの反応である。
彼もフィリス同様、騎士団の詰め所に常にいるので、この屋敷に帰ってくることは少ない。必然的に今日初めてこの光景を見たはずなのにまったくの無反応だ。
そうこうしているうちに前菜が運ばれてきて大人たちはワインで乾杯した。
けれどもフィリスはそれどころではなく、言おうと思っていたことが頭から抜けていき、母はいったいどういうつもりなのかということで頭がいっぱいになる。
「さて、こうして家族がそろうことが出来て嬉しい限りだ。ダーナ、常にこのブライトウェル公爵邸を維持し続けていること、感謝しているぞ」
「ええ、フェルマン。当然のことだから」
「そしてフィリス。お前の話はどこにいても聞く、学園でもその名をとどろかせているようだな」
「……? あ、はい」
「お前たちは私の自慢の家族だ」
フェルマンの言葉をフィリスはあまり集中せずに聞いたが、学園では大人しくしている方だ。いったいどのあたりで名がとどろいたのかわからないが適当に返事をしてしまった。
それからフェルマンは家族をほめた後にカイルに視線を向ける。その表情は鋭く、深く皺が刻まれたその顔つきには騎士団長としての貫禄がある。
彼が厳しい表情をすると場の空気が一瞬で緊張感があるものになるのだ。
「そんな自慢の娘が、このブライトウェル公爵家を継ぎたいと考えていると聞いたが……直接話を聞かせてほしい」
しょっぱなから本題に入るらしくフェルマンは丁寧にテリーヌを切り分けながらフィリスに言った。
心の準備ができていなかったフィリスだが、なんとかドレスを着ているボトルから意識を逸らして神妙な表情を作った。
「はい……私は……その、今まで自分のやるべきことは何かと考えていました」
しかし、気になるものは気になるもので先ほど頭も真っ白になった事だしフィリスは話し出したはいいものの、なんとなくそれっぽい事を口にした。
「それはこのブライトウェル公爵家や国家に守り育ててもらった恩返しをすること……」
見切り発車で進みだしたが案外、良い感じに進んでいる気がする。
「他家に嫁いでブライトウェル公爵家の発展の為に尽くし聖女としての立場を利用しより一層仕事に励むことがそのやるべき事にとって最善だと信じていました」
それに常に考えていたことを仰々しく言っているだけだ。フェルマンはこう言った誇りや使命を大切にする。しかし、それと同時にどこまでも現実的だ。
フィリスが出来ないと思えば彼はフィリスを跡継ぎにすることなどない。
それを了承している時点で、これはただの宣言をするだけの儀式に過ぎないのだ。
「しかし、私はそう信じて努力するうちに、このブライトウェル公爵家を率いるだけの力を得ました。男性に比べて、力の劣る身ではあるけれど協力をしてくれるといったカイルとともにブライトウェル公爵家の繁栄に努めたいと思います」
「うむ」
「どうか、私を後継ぎとして認めてくれないでしょうか」
適当にまとめて、そう口にするとフェルマンは深く頷いて合格だというようにフィリスに深い皺をさらに深くして微笑を浮かべてフィリスを見た。
「……よかろう。お前はその力を私に十二分に示した。これからも励むように」
「はい、お父さま」
「カイル……淑やかな娘ではないがよろしく頼む。……お前が支えるのならば何も心配いらないだろうがな」
「はい、フェルマン様。勿体ないお言葉です」
フィリスの申し出を受け入れたフェルマンはカイルにもそう告げて食事を続ける。
分かっていたこととは言え、こうしてきちんと了承してもらえるととても安心する。母はどう思っているだろうかと視線を向けると複雑そうではあったが笑みを浮かべていた。
「さて、フィリス。お前の決意も聞けたところだが一つ私から謝罪をさせてほしい」
父はそう話題を変えて、フィリスは首を傾げた。フィリスは別に謝ってほしいことなどないし、もしかすると何か妙な仕事でも頼まれるのかと身構えた。
けれどもフェルマンは食事をする手をとめて、壮年の男性らしい威圧感のある雰囲気を緩ませて、ほんの少しだけ落ち込んだような表情をした。
「お前は察しが良く、賢い子供だった。だからこそ大人の望んでいることに対して応えることをなんとも思っていなかったように思う」
「……」
「お前は誰にも甘えることなく他人の期待に応える努力を怠らなかった。しかし、そうたくましく賢くあってほしいという事を、察させてしまった要因の一人は私だろう」
……あれ、私、今、褒められてる?
フィリスは珍しくよくしゃべる父に、瞳を瞬きながらも彼の言葉を聞く。
その言葉はとても珍しくブライトウェル公爵家当主や騎士団長からの言葉ではなく父からの言葉に感じる。
「それは、親としては、子供に察させて行動を望むのは正しい行為とは言い難い。向き合う時間も取れず、お前の頼りになる親ではなくて、悪かった。フィリス。お前はよくできた素晴らしい娘だ」
「……」
父の素直な言葉にフィリスは思わず、驚いてそんなことは無いと思う。父は父としてきちんと働き、フィリスに背中を見せてくれていた。それだけで親の役目は果たしているだろう。
しかし少し寂しく思っていたことも事実だ。だから否定せずに、いつも通りの声で最後の言葉だけに「ありがとうございます」と返した。
父は確かに多くの時間を仕事に費やしてきた。
そんな彼に認められるのはなにより嬉しいし、謝罪も快く受け入れられる.。しかし、それとは別にやはり引っかかる。
「……これからも期待に沿えるように頑張ります」
「うむ。期待しているぞ」
つぶやくように言うと、父はそう返した。
父は、フィリスのがんばりを認めるだけでなく、自分の過ちまでもを見つめて、謝罪をしてくれた。それはとてもうれしい事だ。
けれども、それと同時にやっぱり思うのだ。
この状況を母がどう思っているのかだ。母は状況に合わせてしんみりとした顔をしている、けれども彼女はフィリスに対して思うことがあるはずだ。
そしてそれは夫婦の中では共有されないのだろうか。
ダーナはよく見ると青白い顔をしていて、カイルからの話を聞いても目の前にあるものからしても、普通ではない。
しかし、父はその状況には何一つ言わないし、話し合いもしていない様子だ。
彼女たちはお互いに夫婦であるはずなのに、どこかかみ合っていない。
父は常に厳しく厳粛で家を取りまとめる、母や屋敷の事や社交界で内から外からブライトウェル公爵家を支える。
しかし、どちらも手をつないでいない、お互いを見ているようで見ていない。
そういう形はフィリスが幼いころからずっと変わっていない。たとえ父が子育てに対する後悔を覚えたとしても夫婦では共有されない、そういうバラバラな所を打開しなければ母の今の状況は変わらないだろう。
そうフィリスでも理解できるのに父は母に目が向いていない。きっとこれからも向かないだろうと思う。