母の異変
「君が屋敷につく前に言っておきたいことが一つあるんだがいいか?」
無事に馬車が出発してからカイルは神妙な顔で言った。
てっきりフィリスは馬車に乗り込んだら再会の抱擁をして、これからの予定を立てるのだと思ってドギマギとしていたのだが、カイルの様子にスッと頭が冴えて向かいに座っているカイルを見つめて頷いた。
「……手紙でも何度か触れたと思うがここ最近、ダーナ様の様子がどうにも妙なんだ」
思考を巡らせながら言うカイルにフィリスは過去の手紙の内容を思い出す。たしかに母の話は何度かしているし、いくつか彼女のエピソードを聞いた。
例えば、最近は一定の相手とのお茶会が増えているとか、フィリスもその人との面識を持つべきだとかそういう風に言っているのだと。
「たしか、ブランシェール伯爵夫人だったっけ? 仲がいいって話は何度か聞いたけど……」
「ああ。その関連であってるが、今のダーナ様は言葉も行動も、少し過激に感じるというか行動が振り切れ過ぎていている」
……過激?
母は元から行動的で意欲的な方だ。
新しい流行りに敏感で、旦那とは別に歌劇の俳優に夢中になって他の夫人たちと応援していたり、時には気まぐれに刺繍をして父にプレゼントをしたりといろいろ多方面に動き回っている。
そういう彼女を表す言葉は意欲的という言葉でちょうどいいと思うのだが、過激というとまた何かニュアンスが違う。
「自分もできる限り止めたんだが、騎士業についている以上、あまりダーナ様の意見を取り入れるべき相手という認識をされないようでな。君の休暇の予定が…………何と言うか、母子そろっての茶会まみれになっているんだが……話は聞いているだろうか」
「……聞いてないかも……」
気まずそうに言ったカイルは、フィリスの返答を聞いてやっぱりというように、項垂れて額に手を当てた。
母とも手紙のやり取りはしているが、カイルとのように話をする話題もない。
必然的に業務連絡のようなやり取りしかしていないがそれにしても、そんなことをするのならばフィリスに一応連絡をするのが筋だろう。
フィリスだって聖女としての仕事で、突発的に魔獣退治に駆り出されるのだから、休憩したい日もあるし、騎士団の方へと顔も出したい。
それが出来ないとなるととても困るし、母は確かに意欲的な人だが常識は持っているはずだ。
お茶会まみれといっても、普段からお茶会に参加しないカイルからして沢山あるように見えたという意味かもしれない。
……多い事には多いけど、そうはいっても、週に二日休日を使ってとかかな……?
予想しつつもフィリスは少し考えてカイルに聞いてみた。
「どのぐらいのペースで予定が入っているかわかる?」
「……確証はないが、自分がダーナ様の使用人であるフルールから話を聞いたところによると、ほぼ毎日だった」
「……」
……毎日……毎日? そんなにお茶を飲んで、いったい何をするの?
言われた言葉にフィリスは固まって真顔で考えた。だって意味が分からない。
貴族の令嬢も夫人もしょっちゅうお茶会を開いているのは知っているし、ダイアナとブルースと付き合っていた時はフィリスも一生懸命話についていけるように流行の菓子を探し求めたり、可愛いドレスを作ったりしたものだ。
しかし、そういうお茶会であってももちろん話題というのは普通に最近会った出来事や、はまっている趣味、そういう普通のものだ。
高度なお茶会になると、その話題の端々に領地の産業の事や自分の娘や息子の自慢なんかを入れて戦うらしいのだが、フィリスはまだその領域に達していないので普通におしゃべりをしているだけである。
そういう高度なお茶会にしても普段の生活があるからこそ、そう言った話題が生まれるわけで合って、常にお茶会ばかりして生活をしていたら、話せる話題もないだろう。
強いてあげるならば前回のお茶会の事を話題にするぐらいしかないはずだ。
そんなものは無意味だ。ではいったい何がしたいのか、フィリスにはまったく見当がつかなかった。
「……」
「薄々、君が了承するとは思えないので無許可で予定を入れているのではないかと考えていたが、やはりか」
「うん……え、本当に毎日?」
さすがに納得できずにフィリスはカイルに聞き返した。すると彼は「おそらくは」と短く言った。
しかしいくら考えてもそんなにいったい何を話すのかと疑ってしまう。剣の鍛錬でもあるまいし、毎日やって上達させるものなのだろうか、お茶会というのは。
頭の中は疑問だらけになりフィリスは首をひねって一生懸命母の思惑を考えてみたが答えなど出るはずもなく、とにもかくにも母に直接聞くしかないだろうと思う。
「今知ったばかりなら混乱するのも無理はないが、ダーナ様に聞かない限り確証もない。確認するために話をしたが、到着するまでの間は気楽にしていてもいいと思う」
フィリスと同じように結論付けるカイルにフィリスはゆっくりと頷いてそうするつもりだと示した。
考えることは他に沢山ある。父も帰宅するだろうし、どんなふうに声をかけるのかとか、自分の決意表明だとか。
そういう今の自分に考えられることをしてゆっくりと過ごしていればいいだろうとフィリスは少し肩の力を抜いた。
「それに、手紙でも話を聞いていたが、学園での話を聞かせてほしい。君から直接話を聞くのを楽しみにしていたんだ」
そういうカイルに、フィリスは学園のエピソードを聞きたいなんて学校に憧れでもあるのだろうかと的外れなことを思ったが、ふいにカイルは向かいから手を伸ばしてきてフィリスの頬に触れた。
「自分と離れていた間、どんな毎日だったのか……君がどんな風に思ったのか知っていれば普段からともにいることが出来ない寂しさも埋めることが出来る」
「!」
「卒業して帰ってくる日が待ち遠しいが、学校生活は子供の特権だからな」
その瞳は真剣にフィリスに向けられていて、ついさっきまで警戒していたというのに、話題を一度変更しただけで接触を許してしまったという不覚を取った気持ちと、触れられた驚きがせめぎ合って後者がすぐに勝った。
カイルの瞳に浮かんでいる感情の名前をフィリスは知らないが、じりじりと焦げる様な寂しさのような焦燥感のようなものを感じ取って、いろいろなことが難しくて、ふいっと顔を背けてカイルの手から逃れる。
「……」
すると彼はキョトンとして、それから少ししょんぼりしながら手を引っ込めて「急に顔に触れて悪かった」と謝罪をした。
「いや! ……えっと、嫌じゃないんだけど……そうではなくて」
謝罪にすぐに嫌だったのではないのだと返すが、理由はフィリスにもわからない。
ほんの数か月までは家族のように触れ合うことになんの拒否感もなかったのに今は気軽に触れられない。
むしろ今までどうしてあんなに無遠慮に抱き着いたりしていたのかもわからないぐらいだ。
「……焦らなくていいからな。自分はまったく気にしてない」
「う、うん」
なんとか答えを出そうとぐるぐると考えているとカイルは、フィリスにとってとても都合のいい言葉を口にして、ついフィリスもその言葉に甘えて頷く。
それからすぐに、気まずくならないように話を変えるのだった。