のめり込みの要
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
へえ~、人形劇の動画? CGとかも多用されるいまどき、たくましく生きている文化もあるものねえ。
まあ、全部が全部ミーハーな技術満載の作風ばかりじゃ飽きも来るだろうし、こういうすき間産業? 的なものは無くならないと、個人的には思うのよね。
ワンパターンを嫌う、人間の本能みたいなのがある限り。ふと、音も映像も派手ではないレトロなもので、身体の中の処理や分析機能もさほど働かせずに済む。
その「骨」にあたる、さわりの部分だけで楽しめるような、素朴な何か。たとえしょぼいと思われても、肝心なことが練りこまれている場合はあるかもしれないわね。
私も昔に体験したことがあるんだけど、聞いてみない?
あの子と一緒のクラスになったのは、小学校5年生の時だったかしら。
自分の好きなことに、こだわりがある子でね。気に入った言葉やコマーシャルがあると、すきあらばその真似っこをみんなの前で披露していた。
はじめこそ受けていたんだけど、あまりに繰り返しすぎ、空気を読まなさすぎで、次第次第にみんながシカトするようになっていく。
よくいえばマイペースなんだろうけど、集団生活の場で、それはしばしば鼻についた。
私自身も、臆面もなく飛び出す彼のなりきりに「ハイハイ……」とおざなりな反応を返していたわ。
その彼が、抜群の力を示すのが国語の授業。
先生の問いにクラスの誰より深く、正確に答えるのみならず、演技力にも優れていた。
過剰ななりきりを失笑し始める、思春期の子たちにどれだけ伝わったか分からないけれど、少なくとも私は彼に勝てないと思った。国の言葉が成すものの、理解に関しては。
そこへ、物語の続きを自分で作ってみよう、という授業がやってきたのは、彼にとって絶好のチャンスだったかもしれない。
彼は生徒たちがめいめいで作った話の中でも、最も深く、さわやかな終わり方を提示したの。私なんか不覚にも涙ぐんでしまったほどの傑作。
そのラストで、主人公の持ち馬があらゆる束縛から解き放たれて、どこまでも広がる野を走っていくのだけど、それを彼は再現してみせる。
大掛かりな仕掛けじゃなかった。
割りばしの先に、馬をかたどった紙を張り付けて、教壇の上をてとてとと走らせる。
発表の場たる黒板の真ん前で、かがみこんだ彼は教壇の端から端まで、箸の先にくっつけた馬を走らせていく。
「てってって~、てってって~」
彼が口にする、妙なBGMと一緒に馬は上下に波打ちながら、果てしない野を走る仕草を見せる。
左から右へ、右へたどり着いたらすぐ左へ戻って、また右へ……。
それをずっと繰り返しそうな勢いで、先生もストップをかけてしまう。
自分の席へ戻り、他の人の発表を聞くときになっても、彼は自分の馬を走らせ続けている。
「てってって~、てってって~」
あのオリジナルの歌を、小さく口ずさみながら。
そして、だいたい予想はついていたけれど……彼は馬の走らせにすっかりはまってしまった。
誰よりも先に教室へやってきてね。教壇の上であの馬を走らせているのよ。
連日連日。私が日直でたまたま早く学校へやってきた日も、彼は教壇を陣取っていた。
「てってって~、てってって~」
そのようなのめりこみ具合、周知のことであったけれど、今回のそれは群を抜いていて、一日たりとも欠かさないどころか、休み時間のわずかな暇さえ狙って、教壇へ向かおうとするほどだったわ。
いぶかしがる視線は、日に日に増えていく。自分とは異な者に対する仕草、「自分ならこんなことはしない」という、軽侮のあらわれ。
それを意に介さないところが、彼の鈍さにもとれ、強さにもとれる。
周囲の目を気にすることなく、自分のやりたいことを貫く。ややもすれば幼くて、自分勝手に思えるけれど、自分の命の時間を燃やすに足るものと出会い、付き合っていくこと。
彼は幸せだったんじゃないかと、こうして歳を重ねたあとになると、しみじみ思い出すのよね。
やがて、その日はやってくる。
もう国語の授業が終わってから、3か月がたち、冬の気配も濃くなってきた朝の時間。
白い息を吐きながら、教室の戸を開ける私は、その90日ほど前から変わらない光景を目にする。
「てってって~、てってって~」
彼はまた教壇の前にかがみながら。そして私と同じように白く息を吐き出しながら。
メロディとともに、馬を走らせていた。
ずっとランドセルに突っ込んで保管し、傷んだ箇所もあったのか。当初は馬の輪郭に対してゆとりを持たせるように、たっぷりと残っていた余白部分は、ほとんどなくなっている。
いまや、馬の輪郭が鮮明に浮かぶばかりとなった、その紙の姿。それが私の目の前で、教団の奥から手前へ。私のいるほうへ向かって、横断しきったとき。
どっと、馬が私へ迫ってきた。
あの紙の馬が止まった位置から、まさに飛び出してきたのよ。牧場で見たことがある巨体そのままに、走りながら私との距離をあっという間に詰めてくる。
私は悲鳴をあげながら尻もちをついてしまう。後ずさりをするときにはもう、馬は私の目の前からいなくなってしまったわ。
馬は確かに私を踏み越え、背後の窓へ向かっていった。けれど振り返ったそこには、壁にも窓にも穴や割れ目どころか、ひびひとつ残っていない。
「――ようやく、いったか」
戸惑う私の耳が、その言葉をとらえる。
凛としたその声は、いつも聞きなれている質のものなのに、別人のように思えたとか。
その声の主は、この場で考えられる限り、目の前の男しか考えられないのだけど……。
「てってって~、てってって~」
いつも通りの、どこか間の抜けた調子で彼は席へ戻っていってしまう。
その手に持つ箸の先、描かれていたはずの馬は影も形もなく、ただの白紙になっていたけれどね。
児戯にも等しい出来の中にも、神髄のようなものが宿っているんじゃないかと、あの時以来、私はちょくちょく感じるのよね。