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8話【見せかけの平穏は崩され】

 尋常ではないメアリの様子を察してか、イアンは近くの部屋へ案内した。広い間取りには家具が備え付けてあり、客室のようにも見えるが、テーブルの上には本や紙などが乱雑に並べられているので誰かが使っているのだろう。


 ここなら人目につかないだろうから思い切り泣いても大丈夫だと言われて、涙がぽろぽろと流れ落ちる。


「なにかあったのか?」


 イアンは困ったように眉根を寄せているが口調は優しく、メアリのすり減った心を柔らかく包んでくれる。


「ケイトさんとヘンリー様が……」


 メアリはたどたどしい言葉をつなげて必死に説明をしていく。ヘンリーとケイトが仲睦まじい雰囲気で散歩をしているところを見てしまった。自分はヘンリーと散歩などしたことがなくて、どうしようもなく不安になってしまった。イアンはそれを聞きながらメアリにハンカチを差し出した。


「偶然だ思うぞ。ヘンリーは仕事の合間に散歩することがあるし、たまたま外で会ったから一緒に歩いてたとかじゃないか」


 こくんと小さくうなずく。

 そうだと思いたい。メアリはすっかり赤くなってしまった目元をハンカチで抑えながら、無理やり不安や焦燥を心のなかに押し込めた。聞き分けのないことを言ってイアンを困らせることもしたくなかったのだ。


「……あの、イアン様はどうやってケイトさんと仲良くなったんでしょうか。研究室でお知り合いになったっと聞いたんですけど」


 気持ちを落ち着かせるために少し話をしたかった。

 話題はなんでもよかったけれど、あまりにも突拍子がないのも変なのでケイトのことを出した。イアンもそれを分かってくれたようだ。「あー」と頭をかきながら言葉に迷いつつ、照れくさそうに話し始めた。


「俺ってどうしようもない男だからさ、前はかわいい女の子たちと結構遊んでたんだよね。生活態度も悪くて、まあ放蕩息子ってやつ? 親父は俺のこと見かけるたびに怒鳴りつけて……ヘンリーがずいぶん心配してたな」


 長兄らしくないとは思っていたけれどイアンは想像以上にやんちゃだったようだ。今でも見た目は遊び人のような雰囲気ある。でも所作はきれいだし、気品というものは隠そうとしてもでてくるものなんだなとイアンを見ていると思う。


「でも勉強とか研究とかは楽しくて、王立学院の研究室にはよく入り浸たってた。ケイトとはそこで出会ったよ。そのころの俺は女にだらしない最低男で、ケイトからの印象は最悪。汚物のような目で見てくる女なんて俺の周りにあんまりいなかったからさ、それが珍しくて逆に落としてやろうと思ったのよ」


 思った以上の軽薄な理由にメアリは小さく笑いをもらした。ロマンチックなスタートではないあたりがまたイアンらしいというか。そして笑ったのがよかったのか、心から淀みのようなものが徐々に抜けていくのが分かった。


「まあ、それから色々あって……俺はケイトひと筋になって他の女の子たちとはおさらばしたってわけ。どうやって仲良くなったかは、会って顔見てしゃべって、お互いを知っていったら自然とだったな。メアリもヘンリー誘って散歩でもしてみたらどうだ」


「ふふ、がんばってみますね」


 少しナイーブになっていたのかもしれない。

 ケイトという女性に必要以上に警戒して、それで心が疲弊していたのかもしれない。メアリは深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。


 目の前にはいつのまにかイアンが淹れてくれたお茶があって湯気を立てていた。よくよく観察してみると、テーブルの上には不思議な形のランプや小さなケトルがある。それなりに使用感があって日常的に使っているのかもしれない。乱雑におかれた書類や本には小難しいことがたくさん書かれていて、研究に必要な資料と言われたら納得してしまうだろう。ということはもしかしたらここはイアンの部屋なのかもしれない。


「……このお茶、とっても黒いですね。匂いも変わってる」

「これはコーヒーだよ。これ飲むと頭が冴えるってんで研究室じゃみんな飲んでるんだ。ちょっと苦いから気をつけろよ」


 紅茶とはちがう香ばしい匂い。

 ほんのちょっと口をつけると、びりびりするほどの苦みが全身に駆け抜けた。


「だいぶ苦いです!」

「はははっ」


 大きな手がメアリの頭をくしゃりとかきまぜる。


「不安になったら話くらいは聞いてやるから、その時はここに来い」

「……はい。ありがとうございます」


 先ほどから少し痛む右手を反対の手でさする。急に飛び出してしまったし、あとでシャノンのところへ謝りに行ったほうがいだろう。そんなことを思いながらメアリは再びコーヒーに口をつけた。


 先ほどよりも苦みはマシだった。




 ◇◇◇




 夕食会にシャノンが参加するようになった。

 事前に連絡はしていたのでそのことは全員が知っていたのだが、食堂に現れたシャノンの姿に誰もが目を見開いた。


「どうしたんだシャノン、そのケガは」

「……床に置いてた本につまづいて、その時にテーブルで額を打った。大したことはないよ」


 本人の言う通り、額には痛々しい包帯がまかれていた。出血をおさえるためにガーゼを当てているのだろう。転んだ時にあちこちぶつけたのか、よく見ると頬や手足がところどころ赤い。


 メアリはあわててシャノンへ駆け寄った。


「どうしたの、大丈夫? 痛い?」

「ぶつけただけだよ。ぜんぜん平気」

「無理しちゃだめだよ」

「うん」


 テーブルへ案内しようとしたメアリの手をシャノンがやわらかく掴んだ。驚いているうちにきゅっと強く握られる。


 ここにはヘンリーたちもいる。堂々と手をつなぐのはどうかと思い、やんわりと離れようとしたが……


「メアリ……」


 捨てられた子犬のような濡れた瞳で見上げられると、手を振りほどくこともできない。仕方がないので手をつないだままテーブルへとシャノンを連れて行った。彼から甘えられるのイヤではない。しかしお互いに年の近い男女だ。変に誤解を招いたりしないだろうかと内心そわそわしていると、その予感は残念ながら当たってしまう。


「まさかとは思うが、メアリの気を引くためにワザとやってるんじゃないだろうな」

「ヘンリー、やめろ」


 イアンが諫めているが、ヘンリーは厳しい眼差しでシャノンを見つめている。ひやりとした空気が部屋を包み、メアリは何も言うことができなかった。つながれたままの右手からふっと圧力がなくなった。


「……そんなこと、しない」


 感情がこもらない声。感情をともさない瞳。シャノンはメアリの手を放すと自分の席に座った。みるからに気を落としており、たまらずにメアリは口を出してしまった。


「ヘンリー様、シャノンくんはここへ来るにもたくさんの勇気が必要だったんですよ。優しくしてあげてください」


 何気ない言葉でもシャノンには鋭利な刃物のように感じることがあるだろう。特に肉親なら、わかってもらいたい気持ちとこれぐらいできるだろうという思いが互いに交差して、他人よりも溝ができやすい。メアリは家族の間に無遠慮に踏み込むまねはしたくなかったが、一方的にシャノンが傷つくのは見ていられなかった。


「……すまない。口が過ぎた」


 まさかメアリが言い返すとは思っていなかったのか、ヘンリーはしばし瞠目して、それから罰が悪そうに謝罪の言葉を口にした。


 なんとも言えない空気が部屋に満ちて、誰もが気まずそうにしている。イアンはやれやれと言いたげに首をふり、ヘンリーは口を手に当てて何やら考えごとをしているようだ。シャノンは言わずもがな。出しゃばったことをしたかなとメアリが若干後悔していると。


「シャノンさん、今日は一緒に食事ができて嬉しいわ。ここのお料理はどれも美味しいから、何が出てくるか楽しみね」


 ケイトが場を和ませるようとシャノンへ明るく話しかける。シャノンは何もしゃべらず、こくりと小さくうなずくだけだった。


 頭に巻かれた白い包帯が痛々しい。

1話から10話までのタイトルはつなげると文章になっているのでよかったら見てみてください。

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