34話 決別
死んでちょうだい。
メアリの言葉にシャノンはピクリとも動けなくなった。心がひどく葛藤しているのだ。メアリのお願いだから聞くべきという自分と、それはダメだと思う自分がいる。そのことがシャノンには不思議だった。
なぜ死にたくないのか。死んではいけないのか。瞬く間のほんの短い時間のなかでシャノンは考えた。答えは思いのほか簡単だ。メアリに反抗することになっても、生きてやらなければいけないことがある。
メアリの凶行を止めること。
ケイトたちを探すこと。
それまでシャノンは生を諦めてはいけない。
それに、勝手にいなくならないとアーネストと約束した。今死んではいけないのだ。例えメアリに請われても。
「シャノン、そいつの言うことは聞かなくていい」
考え終わったと同時に、後ろから強い力で引っ張られた。アーネストだ。守るように抱きしめられ、服ごしに温かさが伝わってくる。
ふん、とおもしろくなさそうにメアリは鼻を鳴らす。手に持ったランタンを小さく揺らしながらアーネストをにらむ。
「やっぱりあなたがシャノンを匿っていたんですね。どうしてですか」
「見過ごせなかったからだ。シャノンは誰かの助けを必要としていた」
するとメアリは表情を柔らかなものへ変えて、こてんと首を傾げる。
「じゃあ私も助けてくださいませんか? 今とっても困ってるんです」
「断る」
「なぜ?」
「俺はきみが嫌いだ」
「あははっ!」
シャノンを抱くアーネストの腕に力がこもる。先ほどまでこの世にはメアリとシャノンの二人きりかのように視界と思考が狭まっていた。でもちがう。シャノンのそばにはアーネストがいる。フィンもいる。そう思うだけで気持ちがらくになった。
アーネストはなおもメアリを糾弾する。
「ケイトたちの居場所を教えろ」
「居場所? 死んでる人に居場所っておかしいわ」
「こいつ……!!」
けらけらと笑って手に持ったランタンを揺らす。アーネストの表情がいっそう険しくなった。こみ上げる怒りをどうにか抑えているようだ。
シャノンは思う。やっぱりメアリのことは嫌いになれない。刷り込まれた愛情を手放しで捨てることができない。でも、彼女が間違ったことをしているのはわかる。今もなおケイトたちを侮辱し、そしてアーネストを傷つけている。それを許容することは愛でもなんでもない。相手の顔色をうかがって、嫌われることを厭っているだけだ。自分のことしか考えていないのだ。
今の今でようやく理解できた。
シャノンはずっと、自分のことしか考えていなかった。自分の飢えた心に栄養をくれる相手に依存して、機嫌をとっていた。それは相手のためじゃない。自分のためだ。自分のほしいものを手にいれるためだ。相手の悪いところには目をつぶり、飢えを満たすために自分の心や体すら犠牲にした。不健全な関係を喜んで続けていた。
それじゃダメなんだ。
「……メアリ。ケイトたちがどこにいるか教えて。そのためにわたしたちここへ来た。真実を手にいれるためならわたしは証言台に立つこともいとわない。その結果、わたし自身が罪に問われようとも。……もう終わりにしよう。これ以上メアリといがみあうこと、したくない」
今までにないシャノンの姿に、メアリの瞳がいぶかしげに細められる。そして手を差し出し、猫なで声で呼びかける。
「……ねえシャノン。こちらへいらっしゃい」
「だめだ、行くな」
引き留めようとするアーネストの腕のなかから出て、シャノンはメアリとまっすぐに向かい合った。アーネストの庇護はありがたいけれど、これはふたりの問題だと思ったから。その様子をアーネストもフィンも固唾をのんで見守っているようだった。
「私たち、やり直しましょう。きっと次はうまくいくわ」
メアリの言葉にシャノンは小さく首を振る。
控えめな、でも確実な拒否に、メアリの表情がまたころっと変わる。
「ひどい子。私のこと姉のように慕ってくれたと思って嬉しかったのに」
「……ごめんなさい」
ずきりと痛む胸に、さらに追い打ちがかかる。
「やっぱり男がいいんだ。アーネスト様はあなたには優しそうだものね。もう体とか許しちゃったの? ふふ、はしたない」
「アーネストのこと好き。でもそれは今関係ない」
痛みをこらえながらも視線はいっさいそらさなかった。
誰がいい、とかじゃない。
「わたしは、誰かにべったり頼るんじゃなくて、わたしの力で、ひとりで立ちたい」
その上で人と関わること、人を信じること、人に優しくすることを知りたい。アーネストたちが与えてくれた温かい気持ちがどこからくるのか、シャノンにはまだ何もわからないから。
「メアリの優しい手が好きだった。救われた。だからもう大丈夫。今までありがとう」
決別の瞬間だった。
「ケイトたちがどこにいるのか教えて。アーネストに言ったひどいこと、ちゃんと謝って」
しばらくのあいだ見つめあい、そしてメアリの顔からすとんと表情が抜け落ちる。その瞬間、ぞわりと背に悪寒がはしった。なにかとてもイヤな予感がする。
「……もうさ、めんどくさいから全部なくしちゃった方が早いわよね。どうせ使用人が誰もいなくなったお屋敷ですもの。怒られるもことないから、絨毯に油をたっぷりまいちゃった」
メアリが何を言っているのかわからない。油とはなんだ。イヤな予感だけがむくむくと大きくなっていく。
刹那、風もないのにランタンの火が不気味に揺れた。
「じゃあね」
言うや否や、メアリはランタンをシャノンたちがいる床のあたりへ放った。中にあるろうそくの火が宙で揺れ、床に落ちたと同時に辺りへ燃えうつる。メアリはすぐに踵を返し、シャノンの部屋から去っていった。
火は絨毯をつたい、すごい勢いで燃え広がっていった。油をまいたのはこの為なのか。メアリを追ってドアから逃げようとしても、両手を広げるように炎が立ちはだかり、先へ進めない。
「アーネスト様、こちらです!」
フィンが差したのは部屋の奥にある窓だった。アーネストが細工した、外へ通じる窓。
「シャノン、ここからでるぞ」
「待って」
シャノンはアーネストの腕を振りきり、チェストの一番下の引き出しをあけた。そして中を探す。以前、医者の先生が残してくれた書置きがあるはずだ。シャノンの見立てが正しいなら、この中にはとても重要なものが入っている。やっと見つけた封筒を掴むと、火がすぐそばまで迫ってきた。息をすれば喉を火傷しそうな熱された空気が辺りを包んでいく。
「はやく!」
開かれた窓は換気用で、人ひとりがくぐれるくらいの小さな窓だ。アーネストに押し上げられ、先に外へおりたフィンがシャノンを受け止める。
「アーネスト様、お早く!」
「すぐ行く」
灼熱の火がみるみると辺りを食い尽くしていく。シャノンの生まれ育ったライランス家のお屋敷は今、真っ赤な炎にのまれようとしていた。