33話 再会
ライランス家の屋敷は夜にのまれているかのように真っ暗だった。部屋に明かりがともっている様子はなく、まるで無人のように静まり返っている。
冷ややかな玄関ポーチへ行き、ドアノッカーを響かせても誰も出てくる気配はない。仕方がないとばかりにアーネストが大きな扉に手をかけると、ぎぃっという音とともに暗闇がぽっかりと口を開ける。
「わたしが先に行く」
手に持ったランタンを掲げ、シャノンが歩き出す。
エントランスホールを左に抜け、談話室や遊技場などを通り過ぎると馴染みのある部屋の前へきた。シャノンがずっとこもっていたあの部屋だ。
ドアノブに手をかける。
鍵がかかっていてあかない。
「まかせろ」
ドアの前にひざをつくと、アーネストは道具を使い手慣れた様子で施錠を解く。この技術に救われたところもあるが、よその屋敷の鍵を勝手に開けるのはどうなんだろう。複雑な気持ちでアーネストを見下ろしていると、彼と目が合った。
「……いつもこんなことやっているの?」
「ちがうから。非常事態だけだから」
気まずそうに弁明する彼の横をするりと抜け、シャノンは開けられた部屋へはいる。記憶にある状態と大きくは変わっていない。ただ外窓がはずれていた。シーツで作ったロープみたいなものが開いた窓から外へ垂れていて、ここから脱走しましたといわんばかりの光景だった。おそらくアーネストがシャノンを連れて行く際に工作したのだと予想する。
アーネストたちも続いて部屋へ足を踏み入れた。全員が無言のまま、ひんやりとした空気が流れる。
しかし。
「おかえり、シャノンくん」
背後からの聞き覚えがある声に空気が凍り付いた。
ぎこちない動作でゆっくり振り向くと、想像通りの人物が扉の横に立っている。
「……メ、メア、リ」
「どうしていなくなっちゃったの? 心配したんだから」
手にランタンをもってほほ笑むメアリ。
前と変わらない様子が逆に怖い。それに、この時間帯だったらナイトウェアに着替えていてもいいのに、どこかに出かけるような装いが気になった。
メアリは笑顔を取り下げるとアーネストへ冷たい視線をよこす。
「アーネスト様。それ犯罪ですよ」
鍵あけを見られていたらしい。シャノンはアーネストをかばうように前へ立ち、必死に説明をした。緊張からか舌がもつれてうまくしゃべれない。
「ご、ごめんなさい、メアリ。ちがうの。わたしが、開けてって言ったの。ア、アーネストは悪くない、よ」
「だまってよ。あんたに聞いてないでしょ」
とすり、と言葉のナイフが刺さる。
ごめんなさい。ごめんなさい。変なことを言ってごめんなさい。嫌いにならないで。恐怖に心がおののくがしかし、シャノンはおのれを叱咤してメアリを見つめ返した。その瞳の強さに、メアリは怪訝そうに片眉をあげる。
もう、決着をつけないといけない。
本当はもっと早くにすべきだった。メアリの犯したあやまちに、真正面からぶつかる時だ。
「メアリは……イアン兄さまのお酒に、睡眠薬をまぜて昏倒させた」
シャノンの部屋にあった薬箱から睡眠薬が一包なくなっていた。シャノンの部屋に出入りができて、睡眠薬を盗むことができる人物は限られている。
「抵抗できない兄さまの口のなかに少量の水をいれて、窒息させた」
イアンの頭の下に敷かれていた枕が濡れていた。イアンの口元にはわずかに水滴があった。イアンの態度が急変した時そばにいたのはメイドとメアリのふたり。看病をするフリをして近づくことは用意だろう。一連の加害はケイト殺しの犯人に感づいたイアンを口封じした可能性が高いとシャノンは考えている。
ただシャノンにはどうしてもわからない。
「メアリは、イアン兄さまが好きだったの? メアリにはヘンリー兄さんがいるのに。イアン兄さまはケイトのこと大事にしてたのに……」
将来結婚する人が身近にいるのに、どうして道ならぬ相手に近づくのか。
「人聞き悪いこと言わないでよ。なんの証拠があるっていうの」
やっぱり怖い。
メアリに意見を言うのが、機嫌を損ねるのが怖い。
だけど。
「……見た」
あの日、シャノンは見てしまったのだ。
「夜遅く……イアン兄さまの部屋から出てくる、メアリの姿。それを見ていたケイトが、怒って詰めよった。廊下の端まで行って、怖い顔をして話をしてた」
もしあの時、ケイトが大声でわめきたてていたら結果が違っていたかもしれない。大人で、理知的で、冷静で、上品な令嬢であるケイトは静かに訴えていた。懐に物騒なものを忍ばせて。
「ケイトは持っていたナイフを突きつけた。護身用で持っていたのか、脅すつもりで持っていたのかはわからない。でも、そのナイフは……メアリが奪って……それでケイトを刺した」
ケイトは今まで大声を出すことがなかったのかもしれない。あの状況で大声を出すことが怖かったのかもしれない。腹を刺されたケイトは、叫ぶことなく床へたおれ、静かに震えていた。
メアリが去り、シャノンが慌てて駆けよると、ケイトは「痛い……痛いわ……」とかぼそい声で泣いていた。どう声をかけていいか分からず、腹に深々と刺さったナイフを抜いていいものかわからない。そうするうちにケイトの息は耐えた。せめてと思い、恐怖で震える手でなんとかナイフを抜いた。死したあともこんなものが体に刺さっていては、ケイトはずっと痛い思いをするだろうとシャノンは思ったからだ。
そしてシャノンは罪をおかした。
メアリをかばったのだ。
積極的に欺いたわけではないが真実はなにも言わなかった。自分が犯人扱いされても否定しなかった。メアリが怖かったから。真実をみんなに伝えて、メアリに嫌われることがとても怖かったから。
「……もう、やめよう? わたし、一緒に、いるから」
これからは荊の道を歩むだろうけれど、決してひとりにしない。
「一緒に、つぐなうから」
メアリが罪深いのならシャノンも同罪だ。
「神さまに、許してって……毎日おねがいするから。だから……」
すがるようなシャノンの表情に、メアリは口元だけで笑う。
「あんたが一緒にいてくれてなんの得があるの。意味わかんない」
言葉が、冷たい視線が、シャノンの心臓をえぐる。
流血にあえぐけれど、それでもメアリと共にいたいと口走りそうになる。わからない、わからない。どうしていいかわからない。涙が次々を頬をながれ、床にぽたりと落ちた。
それを見たメアリの表情がふっとやわらぐ。
「ああ、ごめんなさいシャノン。言い過ぎたわ。やあね、わたしったら。……ねえ、シャノン。あなたはわたしのこと好きでしょう?」
熱を帯びてきた頭にメアリの甘い声音が入り込んでくる。警戒せよと訴える脳を麻痺させて、するりと心に忍びこんでくる。わかっているのに、抵抗ができない。
「……好き」
「わたしもあなたがだぁい好き」
傷ついてどうしようもないのに、この一言でまた癒される。喜んでしまう。一緒に笑いあう未来を夢見てしまう。
「大好きなシャノン。もうそろそろいいでしょう? わたしのところへ帰ってきてくれたんだもの。わたしのお願い、聞いてくれるわよね」
メアリがゆっくりと近づき、ランタンを持っていない方の手をシャノンの右頬へ添えた。間近に感じる甘い吐息にシャノンの頭がくらりとする。
「目ざわりなの。死んでちょうだい」