32話 メアリという女
ロレッタはアーネストたちを部屋に上げるとお茶でもてなしてくれた。奥にある真っ赤なシーツがかけられた寝台がいやでも目につく。
シャノンにはここがどういう所かよくわからないが、嫌な感じがすることだけは確かだった。
「ここは貴族のおえらいさんもいらっしゃるから、こういう茶器もそろっているんです。お茶がおいしくないのはご愛嬌」
ふふ、と口元を隠して彼女は小さく笑う。
「それで、あの子のことを聞きたいと?」
「ええ。できれば婚約破棄になった経緯など詳しく」
メアリの情報を得ることがアーネストの目的であるようだ。シャノンは問答無用にアーネストの隣に座らされており、さらに手をしっかりと握られていた。また逃げ出すとでも思っているのかもしれない。
「本当は話してはいけないし、話したくもないんですよ。思い出すだけでも怒りでこの身が焼けてしまいそう。……しかし、この度は大変よい条件を頂きましたので」
そう言うと、ロレッタは優雅な手つきでカップを持ち上げ口元へ運んだ。
「あの子は弟の婚約者でした。家の都合で結ばれたふたりでしたが、傍目で見ていても仲がよさそうでしたよ。弟はメアリのことが大好きでしたし、メアリもまんざらでもない様子でした。このまま順当に結婚するんだろうなと誰もが思っていたんです」
過去に思いを馳せる彼女は手の中でカップをもてあそび、そして切ない吐息をこぼす。
「ほころびは……いつだったんでしょうね。私が気づいたときにはもう何もかも壊れていた」
メアリの過去をシャノンはまったく知らない。
兄の婚約者としか聞いておらず、兄と結ばれる人なのだから素敵な女性なんだろうという気持ちしかなかった。
シャノンはメアリが好きだ。
まだ、好きなのだ。
ロレッタの口から語られる過去を聞いて、自分はどう感じるのだろうとシャノンは胃が重たくなる思いだった。
ロレッタは語りはじめる。
「ある日とつぜん弟は自殺未遂を起こしました。中途半端に助かったから今はとても苦しそう。どうしてそんなことをしたのかと聞くと、メアリが怖いと言うのです」
その後わかったことは、メアリと弟はとても歪な関係だったということ。虐待という言葉が適切かはわからないがメアリは弟の自尊心を壊し、依存させることで彼女の支配下においた。人が見ていないところではペットのように扱われていたそうだ。反抗する心を持たないように洗脳されていたのかもしれないとロレッタは語る。
「あの娘はね、一見ふつうの女の子なの。ちょっと気弱で、周囲を苦手に思うような、ふつうの女の子。だから最初は私にも怯えていたのよ。ああ、あと大人っぽい男の人に憧れるなんてかわいい面もあったわね」
ただね、と彼女は陰った表情で笑う。
「自分より弱いって思う相手にはとっても優しくて残酷。彼女は小さな生き物が好きと聞いたことがあるけれど、きっと自分の脅威にはならない存在が好きなんでしょうね。下を見て安心するのよ。ああ、この子よりマシだって」
シャノンの心臓がどくんどくんと強く跳ねる。
聞こえてくる話が怖くてたまらない。
「そして私がここにいるのはあの女のせい」
ついにロレッタから表情がなくなった。
「あの女、弟が自殺をする前から不義密通をしていた。相手は結婚間近だった私の恋人。あいつらの浮気を知っているのは私ひとり。大事にしたくないと周りに何も言ってなかったのがいけなかった。私の恋人とあの女は結託し、あることないこと言い立てて私をここへ閉じ込めた」
「……っ」
シャノンが慄く様子に、アーネストが心配そうに覗きこむ。恐怖から奥歯がかちかちと音をならし、手足の温度が空気に溶けていくよう冷えていく。
強い男が好き。自分を守ってくれるから。女は嫌い。自分をバカにするから。美しくて強い女は特に嫌い。自分を傷つけるから。自分のことを弱者だと思っているくせに人から弱者扱いされると許せない。そして別の弱者が自分に歯向かうことも許せない。ひとりよがりで傲慢な女。それがメアリ・ロスメルという女だとロレッタは言い切った。
「弟が自殺未遂をしたことで婚約は解消。あまりに外聞が悪かったから、周囲への理由はごまかされたわ。男が女にいいようにされてたんじゃ貴族のメンツが丸つぶれですもの。適当に理由をつけて、本当の所は厳重に封をして秘密にした。まあ、事情はこんなところです。あなたたちが聞きにいらしたということは、あの女、なにかやったんでしょう? いつかタガをはずすと思っていましたの。ふふっ」
「……うっ」
ふいに吐き気が込み上げて、シャノンは口を手で押さえてうずくまる。
「シャノン、大丈夫か」
「いったん外へ。私が付き添いますので、アーネスト様はお話の続きを」
そうフィンが申し出る。しかしアーネストは首を横に振った。シャノンの手を握りしめて離さないまま、視線はロレッタへ向ける。
「もう十分すぎるほど聞けた。ロレッタ嬢、感謝する。あとでまた連絡をよこすよ。……報酬を楽しみにしていてくれ」
「ええ。それだけが、私の楽しみですわ」
その報酬がなにかシャノンにはわからない。
ロレッタの愉悦に染まったほの暗い瞳をみるに、単純にお金じゃない気がした。
「見送りは不要だ。いい夜を過ごしてくれ。では」
◆◆◆
歩くのもままならないシャノンはアーネストに抱えられながら店を後にした。まだ頭が揺れている感覚がして気持ち悪い。
アーネストを待っていたのか、数人が馬車の陰から現れると彼を囲む。そして二言三言なにかを告げて去っていった。彼らが何を話しているのかわからなかった。まだ頭がよく回らない。
「これからどうされるのですか」
フィンが静かに問う。
「攻め時だ。このままライランス家へ乗り込む」
「しかし……」
フィンはシャノンをちらりと見る。その表情は曇っていて、シャノンの体調が心配なのか、あるいはアーネストに死神が取り付くのを恐れているかのどちらかだろう。後者の方がはるかに濃厚だが。
「シャノン。つらかったら馬車の中でウィリムと待っていてもいい。俺は決着をつけにライランス家へ行く。場合によってはきみの兄とメアリをその場で拘束することになるだろう」
「わたしも行く」
ライランス家はシャノンの暮らす屋敷だ。シャノンが迎えた友人だといえば、アーネストたちが無理に入ってもおとがめはない。そのことを伝え、何がなんでもついていくと気概をみせた。
気分は少しずつよくなっている。
メアリの話を聞いて、正直どう受け止めていいかわからない。確かにそうだと思う自分もいるし、メアリはそんな人じゃないと強く擁護する自分もいる。
しかし、もうヘンリーやメアリと決着をつけないといけないのだ。ケイトたちのためにも。これ以上、悲しいことを起こさないためにも。
ただ、決着を付けに行く前に、少しだけ寄り道をしたい。
「アーネスト。屋敷へ行く前に、少し寄りたいところがある。いい?」
「あまり時間はとれないかもしれないが……どこだ」
教会、と簡潔にシャノンは答えた。
「ケイトたちの……安らかな眠りを神に祈りたい。イアン兄さまの葬儀にもいけなかったし。それに、父さまも……」
しばらく考えるようにしていたが、アーネストは「わかった」と承諾してくれた。ライランス家に近い教会へ寄ってくれるそうだ。
夜更けに訪れたにも関わらず、神へ祈りたいと言うと神父は快く迎えてくれた。暗闇につつまれた聖堂へすすみ、ステンドグラスの前でひざを着く。
「神よ、どうか……」
瞳を閉じ、シャノンは静かにこうべを垂れた。
35話でおわります。
もうしばらくお付き合いくださると嬉しいです。