3話【まばゆい光であり】
それからメアリは昼食時にシャノンの部屋を訪れるようにした。同じようなメニューが載ったカートをからからと押して部屋に入っていく。
「シャノンくん、来たよ」
「……」
昼食を運んで、カーテンを開けて、窓も開けて、相変わらず毛布にくるまるシャノンに優しく話しかける。
「ごはん食べる?」
「……」
「ここに置いておくから後で食べてね」
「……」
それからベッドの端に腰かけて少しばかりしゃべっていく。内容はとりとめもない事ばかりだ。天気がいいだとかお菓子がおいしかっただとか。時にはシャノンに「好きな食べものはなに?」のような簡単なことを聞いてみるけど、答えは返ってこない。でもメアリは気にしなかった。
シャノンは毛布のすき間から目元だけをだしてメアリの話に耳をかたむけていた。話はちゃんと聞いてくれているのだ。連日話しかけていくうちに、だんだんと「うん」「やだ」「わかった」などの返事をしてくれるようになった。なんだか気難しい猫がなつき始めたような感じが嬉しくて、メアリは自然と笑顔がこぼれる。
この日は部屋の片付けを提案してみた。やはりここは物が散乱してホコリっぽいので、シャノンの健康のためにもどうにかしたいと思っていたのだ。イヤがるかとの予想に反して、シャノンは「わかった」と了承してくれた。
基本的に片付けは使用人にやってもらい、触られたくないものや大事なものは今日のうちにシャノンが片付ける。これだったら本人にあまり負担はないと思っての提案だった。
「じゃあ明日はがんばろうね」
「……うん」
「ふふ」
毛布ごしにシャノンの頭をなでる。まだまだ姿は見せてくれないしやるべき事は残っているけれど、距離が縮まっているのは実感している。
メアリは彼がかわいくてしょうがなかった。
◇◇◇
ヘンリーとの夕食は進捗報告会に近かった。
「明日は部屋を片付けようって約束したんです。わたしが強引に取りつけたようなものですけど、それで少しは気分が変わるかもしれないと思って」
「そうか」
羊肉のソテーには赤ワインのソースにマッシュポテトが添えてある。料理人の腕がよいのか肉は柔らかく、味もなかなかよいものだった。また皿やカトラリーも立派なものでライランス家の財力がうかがえる。
しかしそれにしては使用人が少ないようにも見えるのだ。ハウスメイドの姿はちらほら見るけれど、品のよさそうな侍女は見かけない。近侍や従僕もこの屋敷の規模だったらもう少しいてもよさそうなのに。もしかしたら当主でありヘンリー達の父であるダグラスについていっているのかもしれない。
ライランス家に滞在してからは二人での夕食がほとんどだった。イアンはあれから帰っていないようだし、シャノンも部屋から出てこない。婚約しているので二人きりで食事をするのはやぶさかでなく、むしろヘンリーと顔を合わせる夕食時は彼と話ができる貴重な時間だった。
ヘンリーのことは正直よくわからない。容姿端麗ではあるけれど表情はあまり変わらず、口数は多いほうではない。兄であるイアンとはなにか問題がありそうで、シャノンのことを気にかける一方で自身が積極的に関わろうともしない。メアリは頭のなかでいろいろと考えながらヘンリーの瞳をじっと見つめてみた。シャノンは澄んだ青い瞳なのだが、ヘンリーはそれに灰色がかった神秘的な瞳をしている。栗毛栗色の平凡なメアリとしてはつい魅入ってしまう美しさだった。
「……なにか」
もう少し知りたい。
ヘンリーのことも、シャノンのことも。
「シャノンくんのこと、よければヘンリー様からお話を聞きたいなと思って。前はお母さまとどういう風に過ごしていたとか、部屋にこもるようなきっかけがあったかどうかとか……ダメですか?」
相手をうかがうように見つめていると、ヘンリーは機嫌を損ねたように顔ををしかめてしまった。あまり触れない方がいい話題だったのだろうかとメアリは内心ドキドキする。
「あの、無理にとは言いません。ご家族のことですから話したくないこともあると思います。シャノンくんと打ち解けるヒントがあればと思ったんです」
話し相手にと呼ばれたからにはできる限りのことはしたいとメアリは思う。お節介かもしれないが傷ついた部分があるのなら癒してあげたいのだ。
彼の中で葛藤があったのだろう。
痛いほどの沈黙があったあと、ヘンリーは言葉少なに語ってくれた。
「……母は、あいつを愛していたんだと思う。ただその愛し方は私には理解できないものだった。今でも部屋から出てこないのは過去のそれが起因しているのかもしれない」
難しい言葉だった。ただ母マーガレットとシャノンの関係があまりよくなかったことは察して、それ以上深くは聞かなかったしヘンリーも言おうとはしなかった。
「あなたは……ウワサに聞いていたのとずいぶん違うようだな」
そう言って困ったように小さく笑うヘンリー。
メアリは嬉しくなった。ウワサがどんな内容かは聞かなくてもだいたい分かる。今のメアリを見て、理解してくれたら、それで充分だった。
◇◇◇
翌日には約束通り部屋の片付けをした。と言ってもやってくれたのは使用人で、メアリはシャノンの意向を聞きながら指示をするだけだった。なんだか申し訳ないと思いつつも、床に散らかった本や衣類が整理されていく様子は見ていて気持ちがよかった。
しかし片付いて明かりが入ったからこそ気付いたこともある。
この部屋は、異様だ。
部屋に飾られていた絵画は切り裂かれ、鏡は大きなものから小さなものまですべて割られていた。椅子やチェストなどの家具は無数の傷がついている。それに部屋にあった無数の衣類や靴の山。種類がてんでバラバラで、少年服に混じって少女用のドレスすらあるのはどういうことか。
シャノンに了承をとり、すべて撤去してもらったが、あれらが意味することとはいったい何なのだろう。
「キレイになったね」
声をかけても反応がないことはいつものことだ。しかしよく見ると毛布に包まれたシャノンは目元すら出さずに小さく震えていた。
「大丈夫だよ。わたしがいるから」
手を伸ばし、震える体を毛布ごと優しく抱きしめた。一瞬ぴくりと固まったようだが、メアリのあたたかな腕に安堵したのかすぐに硬直がとれていく。
「メアリ……」
「なあに」
シャノンが名前を呼んでくれたのは初めてだ。
「あ、ありがとう……」
消え入りそうなほど小さな声だったけれど、メアリはしっかりと受けとった。そしてシャノンを抱く力をほんのちょっと強める。
「笑わないで」と怯え、いまだに姿を見せてくれないシャノン。割られた鏡。人形に着せ替えして遊んでいたようにも思える多様な衣類。そしてヘンリーが語った母親の愛。
この部屋で行われていたのは親子のふれあいから常軌を脱したものだったのではないか。そんな考えが頭をよぎり、メアリの背すじがぞくりと震えた。