29話 シャノンの告白
シャノンは今、泣きじゃくるウィリムに困惑していた。
今回逃げ出したことで怒られるのは分かる。けれど、こんなに大泣きされるとは想像だにせず、実際に大泣きする人もはじめて見た。
「あ、あたし、お嬢さまが、ご無事で……!」
言葉は支離滅裂だが、要は出て行ったシャノンを心配していて、無事で安心したということだった。
嗚咽混じりの訴えはシャノンに新しい感情を芽生えさせる。こんなに心配されたり無事を喜ばれると心がほわほわとして、不思議な心地だった。母やメアリとだけ接していた時には知らなかったものだ。
「……ごめんね、ウィリム。わたしのことで、怒られてない?」
「いいえ、いいえ!」
「服も、持ち出してごめん。使えなくなっちゃった」
「うう、うううっ」
幾重にも巻かれた包帯で足は痛々しいことになってい。全身はくまなく筋肉痛。痛み止めを飲んだ上で絶対安静と言われている。医者の先生は無口な人で愛想もなかったけれど、診察のおわりに飴をくれた。
アーネストに助け出されたあと、緊張の糸が切れたせいか、その後はこんこんと眠ってしまった。熱が出ていたらしいが次に目が覚めた時にはだいぶ気分がスッキリしていた。筋肉痛の痛みが毎度おそうが自業自得だ。
あれ以来アーネストの様子も少しおかしい。
なにかと様子を見に来ては不足がないか聞いたり何かを食べさせようとしてくる。「急にいなくなるな」と釘も刺す。とても面倒見がいい人なのだと思うけれど、一方で兄やメアリとも違う距離感に少しだけ戸惑っている。
アーネストはずっと痛そうな表情をしていた。
それがシャノンのせいなのも知っている。
アーネストとウィリム以外の人間はシャノンのことを敵にように見ている節があった。それはそうだろう。ケイトを殺した犯人はシャノンだと思っている。憎まれるのが自然だった。
翌日、タイミングを見て聞かれたのはバリーのことだ。せっかくなので往診に来ていた医者も含め、隠れ家にいた全員をこの場へ呼んで話を聞いてもらうことにした。
「やはりあれはヘンリー殿の元補佐官なのか」
「うん」
ここを出て、路地裏で男たちに絡まれていた時に助けてくれたこと、そのあと宿屋連れて行かれたこと。順を追って話していくたびにアーネストの表情が曇っていく。
「最初は警備隊に引き渡すつもりだったみたい。でもバリーはケイトとダフナの死体をどうしたか知っていた。わたしはそれを知りたくて、なんでもするから教えてほしいって頼んだ」
「……あの男は姉さんとダフナの行方を知っていたのか」
「そうだと思う。二人の処理がどうのって言ってた」
詳しく聞き出せなかったのが悔やまれる。あと少しだけでもバリーが話をしてくれたら、糸口が掴めたのかもしれないのに。
「バリーはヘンリー兄さんの補佐官を辞めたような口ぶりだった。退職金がわりにくすねたお酒って言ってそれを飲んでた。わたしにも飲ませようとして口移しされたけど……」
アーネストの顔がまた怖くなった。
「わたしはギュッと口を閉じていたからあんまり入ってない。でも気化したアルコールはだいぶ吸ったと思う。眩暈がひどかった。それからしばらくしてバリーは血を吐いてわたしの上に倒れた。アーネストが助けに来てくれたときにわたしは目も開けられなくて、意識も朦朧としてた」
ここで区切り付けて、一度ゆっくり呼吸をする。肺に満たされた冷たい空気が気持ちよかった。
「もしかしたらバリーが飲んでいたお酒には毒が入ってたかもしれない」
「確かにバリーの状況はそう見てもおかしくない。でも誰が、なんのために」
「ヘンリー兄さんとメアリが、口封じのために。その可能性がいちばん高い。もともとバリーがあのお酒に興味があったと知っていたらあらかじめ毒を仕込むことはできる」
シャノンは部屋の隅にいた医者の先生へと視線を向けた。
「先生は知っていますか。お医者さまのアドウェール・バンクシー先生。うちの屋敷によく来てくれました。最後に会ったとき、もう来れないかもしれないと仰ってました」
「あいつはこの前死んだよ。事故だ」
「……そう、ですか」
ここにも、死があった。
一連の事件はいくつの死を作り上げたのだろう。あまりにも罪深い。シャノンはそっと目を閉じ、バンクシー医師の死に哀悼を捧げる。
もう、こんなのは終わりにしなければいけない。
「バンクシー先生は、おそらくケイトやダフナの死を知っていました。アーネスト言ったよね。ダフナの状況が使用人とヘンリー兄さんで食い違ってるって。わたしが聞いたのは階段から落ちての事故だった。ケイトのことで動揺して、階段を踏み外したんだろうって」
メアリはそう言っていた。
あの状況なら転落死以外は考えられなくて、誰かに突き落とされた可能性もあるという程度だった。しかし、バンクシー医師は他の証拠を見つけてしまった。
「ダフナを見て、きっとバンクシー先生は他殺だと指摘した。事故ではなく事件。それを知っているのは立ち会ったヘンリー兄さんたちだけ」
もう会いに来れないとバンクシー医師が言ったのは、死体をめぐりヘンリーたちと何かしら取引があったからではと思う。例えば死因を偽装して、その見返りとして多額の謝礼をもらった。その際にこの地を去るように言われてもおかしくない。
「バンクシー先生も、バリーも、ケイトたちの真実を知っていたから殺されてしまったのかもしれない。使用人にもそういう人がいるかもしれない」
シャノンには気になることがある。バンクシー医師がシャノンに残した書類だ。一度だけ見たときは字が崩れていて読めなかったが、あれはもしかしたら……そこまで考えて首をふる。今はアーネストたちへの説明が先だ。
「兄さんはケイトたちを行方不明にしたかった。屋敷内で殺された事実はあるけれど、内々に留めて穏便にすませたかった。それで大丈夫なハズだった。でも、予想外のことが起きて方針を変更するしかなかった」
「……予想外のことってなんだ」
「本当の犯人を知っている人間が屋敷からいなくなった。もうすぐ死ぬはずだったのに、逃げ出してしまった」
「それは」と小さく漏らすアーネスト。表情が驚愕に満ちていく。
「仕方なく方針を変更して、ケイトたちは行方不明から殺人事件へ。犯人をシャノン・ライランスとして指名手配にした」
こほんと小さな咳がでた。長い時間しゃべり続けてのどが軋んできた。今まで会話というものを疎かにしていた自分が憎らしい。
「最初はヘンリー兄さんもわたしを犯人としてすぐ差し出すつもりだったと思う。ライランス家に多少のダメージがあったとしても、それが一番いい。一番兄さんらしい選択」
その当初の計画さえ変わったのは、あの人の存在があったからだろう。シャノンは無意識にこぶしを握っていた。
「わたしは犯人だと疑われて、これまで一度も否定してこなかった。違うと言っても信じてもらえないと思ったし……何よりあの人に嫌われるのがとても怖かった」
今だって怖い。今だって特別。
この瞬間もあの人の優しい笑顔は心に住み着いている。この強がりも彼女を前にしたら簡単に砕けるかもしれない。まるで砂山のように、もろく、簡単に。
「黙っていてごめんなさい」
シャノンは深々と頭を下げた。
「わたしはケイトたちを家族に元に返したい。……そしてあの人を、止めたい。どうか、協力してください」
自分が好きだったり強い信念があると、それがその人の軸になる。かつてイアンはそう言っていた。軸は行動の指針になって、立ち位置と行く先を明確にしてくれる。
ケイトたちを探す。
彼女を止める。
シャノンにとってこの二つは、強く太い軸になっていた。