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28話 確保

 

 どうかどうか、気のせいでありますように。


 しかしシャノンの願いは虚しく、乱暴に開け放たれた扉からみえたのは黒い隊服だった。ベッドの上でバリーにのし掛かられている状態ではよく見えないが、少なくとの二人の警備隊が部屋へずかずか入ってくる。もう終わりだ。眩暈がする。


「手配中の少女がいると通報があった」


 扉が閉じられた音がする。逃げ道なんてない事を突きつけられ、真っ暗な絶望が身を包んでいく。


「おいおまえ、聞いているのか!」


 ひとりが力任せにバリーの肩を掴んでシャノンの上から剥がした。ねちゃりと粘着質な音を立てたのは吐き出された血。胸元が血で染まったシャノンを見て、隊員のひとりが絶句した。縛られた両腕と無惨に破られた服、抵抗する際にあらわになった脚で状況を察したのもあるかもしれない。


 シャノンは眩暈がひどくなっていくのを感じた。視界が揺れる。気持ち悪くなってぎゅっと目を閉じても、頭の中を揺らされている感覚だった。


 アルコールの作用だろうか。バリーの急変を思えばあのお酒に毒が仕込まれていたとしてもおかしくない。なぜそんなことが。考えないといけないのに頭が回らない。


「息をしていない」


 訝しげなつぶやきが耳に入ってくる。でもシャノンはもう目が開けられなかった。意識が奥へ奥へと引っ張られていく。


「おい、大丈夫か」


 誰かがシャノンの体に触れた。腕の拘束をとき、はだけた胸元に布がかけられる感触がある。抱き上げられる動作は宝物を扱うかのように丁寧だった。


「助かった。ありがとうトム」

「いいえ。やっと恩義に報いることができて嬉しいです。あとは任せてください」

「せっかく警備隊に入れたのに面倒に巻き込んですまない。この礼は必ず」


 聞いたことがある声。

 なぜか耳馴染みがよくて安心感がある。


「どうかご無事で、アーネスト様」


 そこでシャノンの意識はぷつんと切れた。




 ◇◇◇




 死にかけたこの少女を腕に抱くのは何回目だろうか。その度に心臓を握りつぶされる思いがする。どれだけ俺を心配させる気だと、アーネストは大声で言ってやりたかった。


 シャノンらしき人物が宿屋に連れ込まれたと聞いてどれだけ焦ったか。扉を開けて目に入った光景にどれほど絶望したか。


 建物の陰で待機していたフィンにシャノンを預け、警備隊の服を急いで着替える。トムが手を貸してくれたからあの部屋へ押し入ることができた。フリをしたことがバレたら刑罰ものだ。


「戻る。医者を連れてこい」


 シャノンを抱いたまま飛び込むようにして馬車へ乗る。まだシャノンは生きている。いつまで体が持つか不安でたまらない。大丈夫だと自身に言い聞かせ続けた。そうしないと不安がと焦りが足元から這いよってきて取り込まれそうだった。


 永遠にも思える道中が終われば、急いで隠れ家の中へと入った。泣き出しそうなウィリムに指示をしてお湯と医療道具をかき集めてもらう。


 アーネストはシャノンを抱いたまま浴室へ入った。あらかじめ用意させていた湯舟から手桶でお湯をすくい、抱いたままのシャノンへゆっくりとかかけていく。自身が濡れのも構わず、ゆっくりと丁寧に。


 シャノンにかかるお湯が血に汚れて流れていく。こびりついた血も指先で優しく拭えば簡単に落ちた。シャノン自身に傷はないとわかってアーネストは少しだけホッとすることができた。


「あの、わたしがやりましょうか」


 様子を見にきたウィリムが申し出てくれた。女性のことは女性に任せた方がいい。男の自分が嫁入り前の娘にしていいことではない。分かっていてる。ちゃんと理解している。


「やらせてくれ」


 しかし今はシャノンをひと時でも離したくなかった。


 改めてシャノンを観察すると、見覚えのある服を着ていることがわかった。抜け出すために用意したのだろう。ウィリムのメイド服は無残にも胸元がやぶられ、寒々しく肌が出ている。足はあちこちケガをしていて、裸足のまま走り回ったあげくに転倒したようだった。


 傷口を清潔にするために、繰り返してお湯をかけやる。たっぷりと水分を吸った服が張り付いて気持ち悪い。きっとシャノンもそうだろう。そう思ってウィリムを呼び彼女の服を脱がせてもらった。裸が見えないように大きなタオルで覆い、シャノンを浅い浴槽のなかへつけた。


 濡らしたタオルで顔も拭っていく。伏せられたままの長いまつ毛、形のいい鼻すじ、ふっくらとした唇へと視線が移っていった。水滴が散った肌は美しく瑞々しい。人形のように整った顔立ちにはちゃんと喜怒哀楽が宿ることを知っているが残念ながら苦しそうな表情しか見たことはない。


 しばし手が止まって見入っていた。

 それに気づいてもう一度お湯をかけてやろうとして、ふとシャノンのまぶたが震える。


「……アー、ネスト?」


 うっすらと開いた青い瞳はまだ焦点を定めきれていないようだった。ぼんやりとした意識のまま掠れた声がアーネストの名をささやく。胸がつまって返事をすることができなかった。


 ちゃぽんとお湯の揺れる音がする。


「泣いてるの……?」


 言われて気づいた。泣いてないと強がりたかったし、弱い男だと思われたくなかった。しかし上手く取り繕える気がせず、恨みがましい口調で言い訳をする。


「勝手に、出ていくから」


「ごめんね」


 震える声でしぼり出したのに、シャノンは淡々と謝罪をする。どうしてこんな事をしたと追及したかった。叱って、怒って、自分がどれくらい心をかき乱したか知ってほしかった。


「また助けてくれた。……ありがとう」


 はじめて見た慎ましげな笑顔。それだけでアーネストの言いたかった言葉は全て霧散していった。自分がいかに心配したのかは関係ない。シャノンが無事でいることに価値がある。


 両手でシャノンのほほを包んだ。小さくてやせた顔はアーネストの両手にすっぽりと収まる。お互いに顔をのぞき込んだ。目の前にいる人間が本当に存在するのか、瞳の色、まゆの形、ひとつひとつ確認するようにじっくりと。


「不思議。アーネストは怖くない」


 言葉の意味を知りたくて親指がシャノンの唇にふれた。その柔らかさに吸い寄せられ、気づけば唇を重ねていた。


「……?」


 姉を殺した犯人かもしれないのに。

 無思慮な感情が姉と自分の尊厳をがりがりと削っていくのに。


「……どこか、痛いの?」


 どうしてもこの手を離すことができなことができない。

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