22話 寝台は悪魔の支配下※
R15注意報
暗い自室のベッドの上。
ヘンリーは腕を伸ばし、隣に眠るメアリを抱き寄せた。お互いに生まれたままの姿。不安をかきけすように肌の温かかさを求めれば、メアリが寝ぼけまなこで優しくほほ笑む。小さな口に吸い付くよう唇を重ねると、身を焼く焦燥を少し忘れることができた。
メアリとはいつのまにか深い関係になっていた。
結婚前にこのようなことになって罪悪感もある。申し訳ない気持ちもある。しかし一度知ってしまうと求められずにはいられなかった。
不安も焦りも悲しみも怒りも、快楽に呑まれるうちは忘れられる。ひと時の逃げ道だ。意味なんてない。状況はよくならない。むしろ悪くなるばかり。それでもすがってしまうほどにヘンリーの精神は憔悴していた。
夜眠れなくても、衝動のかぎり体を動かせばそのうち疲れて寝ることができた。耳障りのいい優しい言葉は自尊心を復活させた。甘えられれば使命感で立ち上がれた。
メアリのくれる甘さと淫靡な喜びはヘンリーの脳を麻痺させてくれる。
「ねえ、ヘンリーさま」
砂糖菓子のような声をだすメアリ。
それを聞いたヘンリーの心に、小さな小さな恐怖が生まれる。小さすぎてなんに対しての恐怖かはわからないまま、次の瞬間に麻痺した思考で上塗りされる。
「可哀想だけど、シャノンを指名手配にして懸賞金をかけましょう。殺人犯だもの。あの子にとってもこのままじゃ良くないと思うの。罪を償うことが大切だわ」
「しかし……」
シャノンは突然姿を消した。
鎖で拘束していたのに手枷の錠は外され、そばにはねじれた針金が一本落ちていた。落ちていた皿の破片で切ったのか、ベッドのシーツは細く裂かれてロープ状になり、外に通じる小さな窓から下に投げられていた。シャノンひとりなら潜れそうな小さな窓だった。
逃げたのだと思う。
メアリの話では、シャノンはこのところ食事を拒否していたらしい。そんなシャノンに脱走など出来るのかは疑問だが、できないことはないのだろう。誰かが手引きしたのかもしれない。しかし可能性は限りなく低く、手を貸すような相手も思い当たらない。扉は施錠されていて、たったひとつの鍵はメアリが管理している。
仮にメアリが自分で逃げ出したのならまだ近くにいるはずだと使用人たちに探させた。しかし見つかったとの報告はない。体力のないシャノンではそう遠くにはいけないだろうに、死体すらも見つからない。となれば誰かに匿われたのかもしれない。
シャノンは血のつながった家族で、守るべき存在なのではと脳が警告をだす。懸賞金をかけて世に公表していいのか。
一方でじわじわと心を蝕む不安もある。
メアリはケイトと侍女を殺したのはシャノンだと思っている。二つの死体から見つかった殺害の跡。
本当にシャノンがやったのだろうか。
少なくとも一方は……
「バリーっていったかしら、あの補佐官。あなたの言うことしか聞かないんです。だからちゃんと言って聞かせてください。ね?」
「あいつは……もう俺のことを見限ろうとしている。俺の言うことも聞かない」
メアリはこの状況を憂いている。
でも考えたくない。
まだ、現実に戻りたくない。
ヘンリーは返事をする代わりに、形のいいメアリの胸を口に含んだ。
◇◇◇
しぶとく訪問するアーネストをこれ以上無視することはできず、夕食会へ招くことになった。全身に疲労がしみ込んでおり、ヘンリーは椅子の背に体重を預ける。体が重くてたまらない。頭もずっと痛い。
他愛のない話からケイト行方不明の進捗に話題はうつり、アーネストは今もっとも触れてほしくない所を突いてきた。
「ところでヘンリー殿。あなたには確か……弟さんがいたはずだ。姿を見かけないがこちらにはいないのか?」
もう潮時だと、ヘンリーは悟った。
「……今まで黙っていてすまない」
うそにうそを重ねてもう手に負えない。
心がもたない。
「ケイト嬢がいなくなったというのは正しくない。シャノンが、殺したんだ」
「……は?」
アーネストの表情が固まった。無理もない。今まで行方不明だなんだと言っていたのはウソなのだから。
「あの子はメアリにとても懐いていたんだ。そしてメアリとケイトはあまり仲が良いとは言えなかった。ある日、街に出かけた際にメアリとケイトは口論になり、シャノンはそれを目の前で見た」
「待ってくれ、理解がおいつかない」
「その日の夜、シャノンはメアリを守るために、ケイトを殺した」
息をのむ音。
「殺されたケイトの死体を屋敷の人間は見ている。侍女のダフナ嬢は口を封じるために殺された。黙っていて本当にすまない。謝ってすむ問題ではないと思うが、俺は——」
ガシャンッ。アーネストが思い切り立ち上がりテーブルを叩き、皿やカトラリーが揺れる。そして思い切り殴られた。左ほほからの衝撃で椅子から落ち、ヘンリーは床に倒れる。
アーネストは荒く息を吐いて、必死に自分を抑えているようだった。きっとヘンリーを殴り足りないのだろう。口の中に血の味がしてきた。殴られたときに切れたらしい。
「……兄のイアンが死んだのは、きっとケイトのことがショックだったからだ。酒で乗り越えようとして、そのまま」
ヘンリーの口は止まらない。
いいのだ。メアリがそうしようと言ったのだから。それに全てを洗いざらい話すのは爽快な心持ちだった。改めて自分の器の小ささを知って自嘲の笑みがこぼれる。
「シャノンは逃げた。俺たちは高額の懸賞金をかけて探すつもりだ。生死は問わず、になると思う」
「殺されたというなら死体はどこだっ!!」
「死体はないんだ。どこにも」
「ふざけるなよヘンリー・ライランス……俺がそんな与太話を信じると思うか!」
そう言われても死体は本当にない。ライランス家の敷地のどこを探したってそんなものは出てこない。屋敷の中を総ざらいしようが庭を全部掘り起こそうが、永遠に。
ヘンリーは情けなく床に倒れたまま、虚ろな目だけをアーネストに向けた。もうこのまま死んでしまいたい気分だった。そしたら身も心もラクになれる。
「俺たちはシャノンを閉じ込めていた。何をしでかすか分からなかったからだ。アイツは頭がいい。気を引くためなら演技もする」
「……っ」
「きみも気をつけろよ」
アーネストは荒々しく踵を返し、憤慨した様子で部屋を出て行った。
残されたヘンリーは部屋にひとりぼっちで倒れている。手を貸してくれる人は誰もいない。
兄も、妹も、使用人も。
ずっと補佐をしてくれたバリーも先ほど愛想を尽かし辞めていった。
使用人を辞めさせたせいで屋敷の管理がままならない。厨房で働く人間はかろうじて残っていて今回の料理はまともに提供できた。しかし食べてくれる人は帰ってしまい、ヘンリーはひとり。
知らぬあいだに涙が流れていた。ぼたぼたと流れるそれを止めることができず、誰も見ていないのをいいことに床に倒れたままうずくまって泣いた。子どものように感情をあらわにして。
「ヘンリーさま?」
そっと肩に触れる手はメアリのものだった。様子を見に来てくれたのだろう。たまらずに彼女の腰元に抱き着き、やわらかなスカートに顔をうずめる。
「ううっ……」
「ふふ、かわいいヘンリーさま」
細い指先がヘンリーの髪をかき混ぜる。気持ちがよかった。条件反射のように欲望がうずき、もっともっととメアリに体を押し付ける。
もうメアリだけだ。
メアリしかいない。
このまま地獄に落ちようとも、そばにメアリがいてくれれば。




