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18話 支配からの逃避

 

「大好きよ、シャノン」


 魂が雷に打たれたような痺れが全身に広がっていく。


 ああ、ああ、大好きだって言ってくれた。その言葉が呪文のように心の痛みや澱みを浄化していく。これまでのつらかった事が喜びで上書きされていく。


「わたしの言うことが聞けるわよね?」


 従え。従え。何も考えずに従え。


 そうすればメアリはまたシャノンに優しくしてくれる。ごはんもくれる。おそろいのリボンをつけて、また一緒におでかけできるかもしれない。メアリの言うことさえ聞いていれば痛くて恐ろしいことは何も起こらない。欲しいものをくれたのはいつだってメアリだから。


 でも。


 だけど。


「だめ、だよ、メアリ。ちゃんと……ケイトとダフナの死を、認めてあげないと」


 二人がかわいそうだ。


 次の瞬間、ごとりと頭に重い衝撃があった。カートにあった皿を投げつけたらしい。中に入っていた熱いスープが頭からぼたぼたと滴り、肌と服を汚していく。視界がちかちかして、たまらず床にうずくまる。すぐ横で冷たい目をしたメアリが見下ろしているのがわかった。死の恐怖が足先からじわじわとこみ上げてくる。


「どうしてそんな事を言うの? シャノンはわたしのことを思って言ってるのに。わたしのこと嫌いになっちゃったの?」

「ち、ちが……好きだよ、メアリのこと、好き」

「ふふ……あははっ」


 メアリは屈んでシャノンの汚れた顔を手で拭った。自分が汚れるのも構わず、とても優しい手つきで。いろんな気持ちが込み上げてきて涙が溢れそうになった。


「じゃあ大丈夫よね。あの二人はいなくなって、あなたは何も喋れない。大好きなシャノン。わかってくれるわね」

「……」

「シャノン?」

「……だめ……それは、だめ」


 無言で立ち上がったメアリは無抵抗なシャノンの腹を、足を、背中を、容赦なくかかとで踏みつける。まるで害虫を始末するかのように。飢えと空腹で弱り切った体にはもう耐える力はないようだ。だんだん意識が遠くなってきた。


 これはもうダメかもしれない。

 メアリを止められなかったことに深く悲しみが募っていく。どうしてこうも無力なのか。


『きみと話をしたい。夜、また来る』


 ふとメモの内容を思い出す。

 彼がもし今夜訪れて、ぼろぼろの死体を見るのかもと思うと申し訳なくなってきた。


(あの人なら……メアリを……とめて、くれ……る?)


 シャノンが最後に考えていたのは、顔も覚えていない男の人のことだった。




 ◇◇◇




 アーネスト・リパーキンは不信感を募らせていた。

 きっかけはイアン・ライランスの訃報だ。まず人づてに聞いたのがいただけない。姉のケイトとイアンは親密な仲であり、現在はそのライランス家に身を寄せている。あちらから直接連絡があってしかりと考えるのはおかしいだろうか。


 そして姉のケイトからもなんの連絡もない。連絡ができないくらいに憔悴しているのかもしれないが、ともかくアーネストは不在の両親や兄の代わりにライランス家へ出向くことになった。


 いざ行ってみると教会での葬儀はすでに終わっており、どこを見ても姉の姿はない。当主代理のヘンリー・ライランスにお悔やみを言った上で姉の件を詰めると、侍女と行方知れずになったと言うのだ。イアンのことで屋敷中が動揺している間にいなくなってしまったと。


 応接室で対面したときの血の気の引いた顔。覇気のはの字もないヘンリーがぼそぼそとしゃべるのは正直に言って不気味だった。それだけ兄を失ったことに大きなショックを受けたのだと理解はできるのだが。


「……使用人たちに、探させてはいる」


 そのせいか屋敷の中にはいっさい人気がなく、静まり返っていた。本当に不自然なくらい人が少ない。


 アーネストは無理やり滞在の許可を取りつけて屋敷の中を捜索することにした。ヘンリーは「案内をさせる」と言って使用人をひとり寄こしてさっさと消えてしまった。その横に寄りそう婚約者の女。名をメアリと言っていただろうか。にこやかに見えてどこか胡散臭い。


 姉と侍女の部屋を見せてもらったが特に手がかりになるものはなかった。強いて言えば、争った形跡や無理に押し入った跡はなかったことだろうか。家具の破損や窓ガラスの割れもなく、どこもキレイに整えられたまま。自分からこの部屋を出て行ったと考えるのが妥当だった。


 ならば次は聞き込みだとそばにいる使用人に事情を聞こうとしても、始終ビクビクしてろくに話ができなかった。当時の状況を聞いても「わからない」「よく覚えていない」。イアンのことを聞いても濁した答えしか言わない。姉たちがいなくなったのが夜なのか昼なのかさえも分からない。


 他の人間に聞こうにも誰もいないのが腹立たしい。


 そしてアーネストの直感はこう言う。

 この家は何かを隠している、と。




 手がかりを求めて屋敷内をあちこち歩いている中で見つけたのが施錠された北側の部屋だった。あからさまに焦った使用人に手応えを感じる。もちろん、どこの家だって踏み入ってほしくない場所はあるだろう。しかし大きな屋敷の基本的な造りとして、一階部分は外部の人間をもてなす部屋が多い。応接室、パーティを行うホール、談話室に娯楽室。執務室もそうだ。あの部屋はおそらく予備の客室だったのではと思われる。


 その一階を使っているということは何か特殊な事情があるのだ。


 例えば、人間とはたびたび不具合が起こるもので、精神を病んだ者やどうしても手をつけられない者を閉じ込める場合がある。高貴な人間とてそれは同じだ。


 だいたいが屋敷の奥まった人目につかない場所で、施錠ができる部屋。家族が使う二階のプライベートルームからは程よく離れつつも、完全には見捨てない場所。つまりあの部屋は隔離するにはうってつけである。


 これならばアーネストが立ち入ることは無粋である。しかし姉たちの行方を探っている今、直近で問題を起こした人物を拘束しているケースならば無視できない。


 アーネストは行動した。


 深夜に忍び込むと、そこに閉じ込められていたのは鎖に繋がれ衰弱していたシャノン・ライランスであろう人物。


 水を乞われて急いで取りに行き、戻った時にはもうシャノンの意識はなかった。


(男と聞いていたが、この肩の小ささは女か)


 抱き上げた時の軽さに驚く。おそらくここ数日虐待めいたことを受けているのだろう。


 なんとか口に含ませた水が小さな喉へこくこくと波打って通っていく。この段階で話は無理だと判断し出直すことを決めた。


 そしてまた深夜。予告通りに再び部屋へ忍び込んだ時、床に横たわるシャノンは虫の息だった。まさか状態が悪化するとは思わず、アーネストは冷や汗をかきながらシャノンをゆっくりと抱き上げた。体が熱い。おそらく傷が原因で発熱しているのだろう。


「おい、大丈夫か」


 声をかけても反応はない。

 服の隙間から見える肌には暴力を受けたあとがある。頬にも切り傷があって、おそらく床に散らばっている陶器のかけらと関係があるだろう。


 アーネストは思案した。

 このままではシャノンは死んでしまう。リスクを承知で助け出すか否か。


 どのような経緯でシャノンが閉じ込められたかもわからない。姉の件に無関係の可能性は大いにある。その上でここから連れ出したとわかれば誘拐と騒ぎ立てられるかもしれない。


(……いや、それでも放っておけない)


 人として、ここは無視してはいけない。


 アーネストはシャノンを連れ出すことを決意した。

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