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17話 甘い声音

 あの日、ケイトのことでメアリにぶたれてもうまく誤魔化せた。自分で転んだとウソの説明もしたし、メアリもなんの罪悪感を持っていないようだった。


 ただたまに機嫌が悪くなる時があったので、シャノンなりに慰めたつもりだ。うまくやれたかは分からない。シャノンが読んだ本では人体のメカニズムや地層の種類などは詳しく書いてあるけれど、慕っている相手を気分良くさせる方法は書いてなかった。


 シャノンがやっているのは飼われた動物と変わらないのかもしれない。


 めいいっぱい好意を伝えて、相手に服従する。生与奪権は相手にある。生きるも死ぬも喜びも悲しみも、全て相手によって与えられる。


『それではいけない』と言ってくれたのは誰だっけ。頭がぼんやりしてうまく思い出せない。



 ケイトが来た日からシャノンはずっと荒れていた。表面はにこにこしていても、不満を溜め込んでいたのが側から見ていてよくわかった。


 メアリはまだその時はシャノンを男だと思っていたので不機嫌であったとしても、甘く優しく接してくれた。「好き」「大好き」「一緒にいて」。そう言えば笑顔になってくれた。



 性別のことは積極的に隠していたわけじゃなかったけれど、「シャノンくん」と嬉しそうに呼ぶメアリにわざわざ訂正することでもなかった。自分から言えば、あるいはメアリが自然と気付けば現状は変わっていたかもしれない。第三者から指摘される形で知ってしまったのがまずかったとシャノンは思う。


 シャノンが女だと知ってメアリは態度が変わった。


 でもメアリが辛辣に当たるのはそれだけじゃない。


 彼女は分かっている。ケイトを殺したのがメアリで、それを知っててシャノンが黙っていることを。




 ◆ ◆ ◆




 おそらく深夜。

 かちゃりと小さな金属音が聞こえてきてシャノンの意識は浮上した。メアリが鍵を開け閉めする時の音より細く、頼りない音だ。


 そっと扉を開ける音がして、忍ぶような足音も聞こえた。これはメアリではないと確信するものの、シャノンは身動きをとるのも億劫だった。目を開けることなく、横たわったまま侵入者を受け入れる。


「……もしかしてライランス家の未子か。どうして鎖で繋がれているんだ」


 きっと、ケイトたちを探しにきた例の弟だ。勝手に鍵を開けて入ってきたのだろう。


「おい、生きてるか」


 意思表示のためにゆっくりと目を開けた。暗さに慣れきっているシャノンの瞳は闇の中でも侵入者の姿を捉える。思ったよりも不明瞭なのは体の限界が来ているせいだろうか。


 弟と言うくらいだから自分と同じくらいかと思っていた。しかし相手はいくらか年上のようだ。18歳前後かもしれない。


 しばらく無言の睨みあいのようになったが、その人はシャノンの状態がよくないと気付いたらしい。


「必要なものはあるか。持ってこれるかもしれない」


 まさかの質問に面食らう。


「……お、みず、を」

「わかった。少し待ってろ」


 期待はしなかった。去っていく後ろ姿をぼんやり眺めながら、自分があとどれくらい生きられるか考える。このままだったらあと一日持つかどうか。下手したら数時間。もともと少食で体にエネルギーのストックがなかったシャノンには、三日生き延びれたことが奇跡なのかもしれない。


 明日の朝、メアリの機嫌が直っていればまだチャンスがある。それで話をすることができたら。


(メアリ……)


 無性に悲しくなったけれど泣きたくてもそんな水分すらない。侵入者の帰りを待つことなく、再びシャノンの意識は常闇に溶けていった。



 曖昧な意識のなか、誰かに抱き起こされた気がした。求めていた潤いが口に入り、のどを伝っていく感覚に感動する。しかし意識を保っていられず、夢うつつの境界線で与えられるまま嚥下した。夢なのか現実なのかわからなかったが、その瞬間は確かに幸福を感じたのだった。




 ◆ ◆ ◆




 目が覚めたとき、体の重さと喉の渇きが少し楽になっていた。そして頭元に置かれた水差しといくつかのフルーツを見て驚愕する。


(これは……)


 あの人はシャノンの為に水と食べ物を置いていってくれたのだ。たくさんの実がついたぶどうが一房と小ぶりのりんごが二つ、水差しもたっぷり中身が入っている。もう顔もおぼろげな彼に精いっぱいの感謝をささげた。


 水はしっかり飲んだ。フルーツは一気に食べても体によくないかもしれないと判断し、慎重に口へ運んだ。実の柔らかいぶどうを一粒ずつゆっくりと噛みしめる。甘みがつよく酸味もあって、こんなにも食べ物を美味しく感じたのは初めてだった。


 ある程度のところで手を止めて、水と食料を隠しておくことにした。メアリに見つかったらきっと大変なことになる。薬箱の入っている引き出しに入れようとフルーツの乗った皿を持ち上げると、底からひらりと紙が出てきた。


 小さな紙切れには小さな文字。


『きみと話をしたい。夜、また来る』


 ドクンと大きく打つ心臓に、シャノンは胸元のシャツを強く握りしめた。


 どうしよう。

 焦りと困惑がシャノンの正直な感情だった。


 聞きたいことはなんとなく察しがつく。彼は姉を探している。きっとヘンリーはケイトたちの死を隠蔽したのだろう。どうやって、というのも分からないし、そもそも部屋に捕らわれているので全体の状況がつかめない。


 まずはヘンリーやメアリの思惑を知りたい。


 ふいにガチャりと鍵穴をかき回す音が聞こえて身がこわばる。メアリだ。シャノンは急いで引き出しの中にしまってしまうと、不自然に見えないように気をつけてチェストへともたれかかった。


「あら、起きてたのね」


 監禁して食事も取り上げているのに、まったく悪びれた様子もなくメアリはにこりと笑って入ってきた。じくじくと胸が痛む思いだったが、一方で機嫌がよさそうなメアリにひどく安心する。


「……昨日、部屋の外で声が聞こえた。知らない男の人だった。誰か……来てるの?」


 シャノンの質問にメアリの笑みが深まった。


「ねえシャノン」


 メアリがすぐそばまで来て、さらにシャノンをぎゅっと抱きしめた。こんなボロボロの体に、優しい温もりをくれる。触れてくれる。突然のことに嬉しさがあふれてきて涙がでそうだった。こんなことであっさり絆されて情けないけれど、やっぱりシャノンはメアリのことが好きだった。


「メアリ……」


 あの時と同じように優しく髪を撫でてくれる。メアリはいつだって優しくて、温かくて……残酷だ。


「イアン様が亡くなって、ショックのあまりケイトさんとその侍女はいなくなってしまったの。どこにいらっしゃるのかしらね」

「そ……れは……」


 覚えなければいけない筋書き。

 メアリはそれを言い聞かせている。口裏を合わせろと。やはり二人を行方不明にするつもりだ。


「兄さんが、そうしろって……言ったの?」


 にわかには信じられない。

 シャノンを犯人として問答無用で差し出すほうがよっぽどらしいのに。


「賢いからわかるわよね? ふふ、かわいいシャノン。あなたが女の子だってことに慣れてきたわ。いい子にしてたらわたしがずっと面倒見てあげるからね。大好きよ」


 メアリの甘い声音や優し気な表情は、シャノンの全てを支配しようとする。

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