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12話 ヘンリー・ライランス

 ライランス家当主代理であるヘンリーは、強く握ったこぶしを勢いよく机へ叩きつけた。


「くそっ!!」


 昨夜の事件で頭がいっぱいだ。


 死体発見は深夜0時を少しまわった頃。場所は一階の西側廊下の奥。第一発見者は見回りをしていた従僕で、悲鳴を聞き駆けつけたころにはもうケイトはほんのり冷たくなっていた。血で濡れた服には複数個所に穴があり、ナイフで刺された跡だと思われる。


 凶器となったナイフはライランス家の所有物ではなかった。それなりの銘柄なのでケイトがもともと護身のために所持していた可能性がある。ヘンリーは努めて冷静に思案しようとし、考えをめぐらせる。


 それをシャノンが持ち、あの場に立っていた訳。


 いや、それはどうでもいい。どうやって殺したかも興味ない。ヘンリーにとって重要なのは、ケイトが殺され、それをリパーキン家にどう報告するかということだ。


 犯人が誰であれライランス家内部で令嬢が殺されたことはあまりにも外聞が悪すぎる。できればライランス家の不利になる部分は脚色したい。


 例えば侍女とケイトは二人で町へでかけて、そこから帰ってこないことにするか。行方不明扱いだ。捜索はこちらでもやっている姿勢をみせればライランス家の過失は少なくてすむ。もちろん監督責任は問われるだろうが、多少の金で解決できるかもしれない。


 問題は死体の処理。そしてこの屋敷内に多数いる目撃者だろう。隠し通せるかどうかが最大の鍵となる。


 リパーキン家に限らずとも、娘が行方不明となればそれなりの規模で捜索をするはずだ。もちろんこの屋敷にも事情を聞きに来るだろう。その時にだれひとり口を割らずにやりすごせるだろうか。忠誠心が薄い者、後ろめたい自覚がある者、金で左右される者、つまらない正義感で自分に酔いたい者。それら全員の手綱をとり続けられるのか。街での目撃情報がなにも出てこないならライランス家に疑問を抱き、聞き取りを強化するかもしれない。リスクが高すぎる。


 リパーキン家とライランス家の力関係はほぼ互角と言っていい。ライランス家が圧倒的に強ければ簡単に隠ぺいできたが、今回はそれができない。


 他にも考えてみる。


 外部から不審者が侵入し、たまたま遭遇したケイトが被害にあった。侍女は主人を守ろうとするが階段上から突き落とされて絶命。同じく使用人たちに口止めをする必要があるが、死体はそのままでいいためリスクは少なくなるだろう。


 あとは?


 散策に行った先で暴漢に襲われケイトと侍女のふたりが犠牲になってしまった。


 あるいは、ケイトは自死した。侍女はショックのあまり身投げをしたとか。


 最もリスクと労力が低いのはありのままの状況を伝えることだろう。その場合はシャノンを犯人だと突き出し、相手方に引き渡す。私怨で殺されようが裁判にかけられて処刑されようが、それはもうヘンリーの手を離れたところだ。


 大勢に口止めする必要もなく、隠ぺい工作も不要。しかしそれは同時に少なからずライランス家の名に泥を塗り、名声を地に落とすことになる。世間はこのスキャンダルをおもしろおかしく取り上げるだろう。シャノンの生い立ちにスポットを当てられたら悲惨だ。同情を寄せられるのはシャノンで、ヘンリーたちは悪者として槍玉にあげられるかもしれない。


 それでライランス家が携わる事業にも影響を及ぼし、万が一にでも深刻なダメージを受けることになったら。


 どの選択肢が最善か。

 決断に時間をかけることが一番まずい。


 ライランス家の知らぬ所で行方不明になった。

 この屋敷内で外部の人間に殺された。

 内部の人間に殺された。


 この屋敷内に存在するふたつの死体は時間とともにどんどん変貌していく。今後をどうするかによって死体の扱いも変わるので目撃者を増やさないために医者にも見せていない。


 リスクも労力もあるが家名へのダメージを最小限にするか。汚名を浴びることを覚悟して全てをつまびらかにするか。


 ヘンリーの前には真っ暗な空間にいくつかの綱が張られている。下は地獄だ。足場は一秒ごとに崩れていって、このままではすぐ地獄に浸かってしまう。どれかに乗って前へ進まないといけないが、いったいどれがマシな地獄なのか。


 刻一刻と決断を迫られる。

 じりじりと身を焼く焦燥に叫びだしたくなる。

 判断の誤りがただしく致命傷になると本能で感じる。



 乱暴に頭を掻きむしった。

 普段は麗しいと評されるヘンリーの見目も、今は極度の焦燥から輝きを失っていた。


「兄さんを……イアンをここへ呼んでくれ!」


 ヘンリーの激昂に補佐官が慌ただしく出て行き、そのすぐ後にコンコンと控えめなノックがあった。そっと開かれる扉からはメアリの顔がちょこんと覗く。


「あの、お茶をお持ちしました。少し休憩されませんか?」


 子犬にように濡れた瞳がこちらを見つめる。

 正直に言うと気が立っているので今すぐ出て行けと叫びたいところだ。しかしこの苛立ちを落ち着かせることも必要だと思い、メアリに中へ入ってもらった。


 淹れてもらった熱いお茶は少しだけ心を鎮めてくれた。一緒に出されたのはドライフルーツは甘酸っぱさが疲れた脳に栄養をくれる。気付けばだいぶ荒んでいた心が平静に近づいていた。


「……昨夜から情けない姿を見せたかもしれない。気を使ってくれてありがとう。少し気分がマシになったよ」

「いいえ、大変な時ですもの。お役に立てたら嬉しいです」


 優しい笑顔でメアリにヘンリーの心が少しだけ凪ぐ。しかし思いとはうらはらに状況はさらに悪くなるばかりだった。


 ドンドンと乱暴なノックのすぐ後に扉がひらき、ひどく取り乱した様子の補佐官が叫んだ。


「大変です、イアン様が……!!」

「なんだ、どうした」

「お、お部屋で倒れられています。意識がありません。室内には飲み干された蒸留酒の瓶がいくつかあり、おそらくそれが原因かと」

「……なんだと」

「とにかく、一緒にきてください!」


 補佐官の言う通りイアンの部屋へ急いで向かったが、道中は無限のようにも思え、生きた心地がしなかった。リパーキン家の人間がふたり死んだことよりもよっぽどショックが大きく、頭がふわふわする。まるで現実を拒否するかのように。


 半開きのままだった扉に手をかけて開くと、強い酒精の匂いが鼻につく。そして床に倒れるイアンの姿が目に入った。


「イアンッ!」


 そばへ行ってイアンの体を抱えるが、行って大きな声で呼びかけてもなんの反応もなく、寝ているのとは違う気がする。死体のように顔色が悪く、体は異様に冷たい。呼吸はかろうじてしているようだが、死の気配が全身から漂っているようだった。


「医者を呼べ、大至急だ!」


 さわぎを聞きつけて使用人たちが顔をのぞかせる。


「おまえたちはすぐに窓をあけて換気をしろ。酒瓶は医者へ説明するときに見せるから一か所に集めておけ。あと男はこちらへ。イアンをベッドへ移動させるんだ」


 男四人がかりでベッドへ運ぶ。服をゆるめて毛布をかけてやると、あとはもう医者を待つことしかできない。いっそ自分も気を失ってしまえばどんなにラクだろう。


 その時、きいっと扉がきしむ音が聞こえた。無意識に視線を向けるとそこに立っていたのはメアリだった。心配のあまり執務室からここへ来てしまったのだろう。


「うそ……」

「メアリ」


 目を見張り、小さく震えるメアリ。ヘンリーはそんな彼女のもとへ行くとそっと抱きしめた。女性をこんなふうに抱きしめるなんて初めてだったが、不安におびえるメアリを見たらそうせずにいられなかったのだ。


 メアリが腕の中にいると、自分のなかにあった不安もほろほろと溶けていくような気がした。いつかイアンが『情緒不安定なときの一番の薬は抱擁だ』と言っていた気がするが、それは本当なのかもしれない。


「イアンのことは医者に任せるしかない。心配だろうが、きみは部屋に戻っていてくれ」


 目を閉じて気持ちを落ち着ける。

 精神的に本当にぎりぎりの状態だった。


「……リパーキン家に使いを。具体的なことは言わずご息女らに大変なことが起こったと伝え、それ以外は口を閉ざせ。おそらくあちらから誰か来るはずだ。ありのままを見てもらう」


 きっとイアンが倒れるまで酒を飲んだのはケイトが殺されたショックからだ。非常に不本意ではあるが、イアンが倒れたこの状況を利用させてもらえばまだ心証がマシかもしれない。




 ヘンリーはイアンの部屋からでるとそのまま一階の北側にあるシャノンの元へ足を運んだ。


 いら立ちのまま扉をノックし、返事を待たずにドアノブを回す。相変わらず暗くて辛気くさい部屋だ。そこには幽鬼のようにたたずむシャノンの姿があった。


「……シャノン。おまえ、イアンに何か言ったか」


 不気味なほどに静まりかえった室内。血のつながった妹を前に、ヘンリーはどうしても嫌な想像をぬぐえなかった。

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