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10話【はじまりはじまり】

 残されたケイトとメアリは互いに沈黙していた。指示を受けた侍従は何やら店主と話しており、いたたまれない空気というのはこれを言うのだろう。いまだに頭がぐわんと揺れる気がして立ち尽くしていると、侍従がきて馬車を呼ぶのでここで待っていてほしいと伝えてきた。


「私は他でやりたいことがあるので別で帰るわ。メアリさんをお願いね。大丈夫よ、この辺りはよく来ていて土地勘もあるし」


 なんて、にこやかに断りを入れるケイト。正直ひとりで帰れるのはありがたかった。馬車にふたり詰め込まれてどんな話をしろと言うのだろう。


 内心ホッとしているところにまた鋭い視線がメアリへ向けられた。反射的にびくりと肩がはねて、彼女はそれすらも気に入らないようだ。ケイトはもう、メアリに対する嫌悪を隠そうともしなかった。


「メアリさん、この際だから言うのだけど」


 氷のように冷たい眼差し。

 軽蔑か、あるいは侮蔑か。どちらにしてもこれから家族になるかもしれない人間に対して向けるものではない。


「イアンに近づかないでちょうだい。私の言っている意味がわかるかしら」


 それだけ言うとケイトはさっと踵を返し、店を出て行ってしまった。




 ◇◇◇




 屋敷に帰るなり、ヘンリーから呼び出しを受けた。きっと出先でのことを聞くためだろうが、とてもじゃないが気が乗らない。心も体もくたくたで、かなうことなら今すぐ自室に戻りたい。呼びに来たのは使用人の中でも上役の男性だった。そこそこ年を重ねていてきっと古くからいる使用人だ。つまりこの家の内情に通じている。


「ねえ、シャノンくんは女の子なの」


 メアリの唐突な質問に使用人は片眉をひくりと動かす。そしてしばらくの沈黙のあと「左様です」と静かに答えた。メアリはそれに対しなにも言わない。ただ黙々と使用人のあとに続いてヘンリーのいる執務室へと歩みを進める。


 思いもよらなかったのは途中の廊下でシャノンが飛び出してきたことだ。


「メアリ……!」


 待ち伏せをしていたのかもしれない。これ以上ないくらいに悲壮感をただよわせ、身を守るように白いシーツで全身を包んでいる。よく見ると顔色も悪くない、かたかたと小さく震えていた。


「シャノンくん」

「僕、あの……」


 メアリはにこりと笑った。安心させるようにシャノンの手をとると、優しい力で包み込む。


「ごめん、女の子に『くん』って付けちゃおかしいよね。ずっと気づけなかったわたしを許してくれる?」


 メアリの言葉に、シャノンの瞳がみるみると涙を含んでいった。性別の件で追い目があったのだろう。弁解しなければという強迫観念にも似た思いで突き動かされたようだけれど、メアリはこともなげに笑ってみせる。


「僕こそ……ごめんね……」

「ううん。シャノンが謝ることはなにもないよ」


 シャノンの表情に喜びの色が浮かんだ。それを見てメアリはまた目を細めてみせる。女を男と偽るからにはよっぽどの事情があったのだろう。メアリの考えが及ばないくらいの深い事情が。


 まだ頭がくらくらする。


「メアリ様、そろそろ」


 使用人が割って入ってきたためにシャノンとの会話はそこで打ち切られた。




 その後はメアリもおとなしく歩き、すんなり執務室へと到着した。しかし先客がいるのか、少し開いたドアのすき間から話し声か聞こえる。


「何度も言わせるなよ。ライランス家を継ぐのはおまえだ」

「でも」

「親父に見込まれた才能を信じろ。手助けならいくらでもしてやるから」


 イアンがドアノブに手をかけたままヘンリーと話をしているらしい。どうしようと思う間もなくイアンが執務室から出てきた。ばっちり鉢合わせだ。だがイアンは動じることなく、「すまない」と笑いかけるとそのまま廊下の奥へと行ってしまった。その背中が小さくなるのを見送ってから、メアリは深呼吸をして扉をノックした。


 中から「どうぞ」と声が聞こえてきたので遠慮なく部屋へ入らせてもらった。室内にはヘンリーと補佐官がいる。いつもと同じ光景だ。


「イアンからおおよそは聞いたよ。シャノンを弟と言って紹介した俺の落ち度だ。……ライランス家は男三人兄弟と世間に知られている手前、ああ言わざるをえなかった」


 勘違いしていたことについてお咎めはないらしい。メアリは心底ほっとした。よくよく考えたら、思春期を迎えた子の話し相手として異性は迎えないだろう。タイミングとしては最悪だったが、あそこで教えてもらってよかったのかもしれない。


「シャノンはきみにずいぶん心を開いているようだ。これからも相手を頼みたい。……それとケイトとも、できればうまくやってほしい。お互いタイミングが悪かったところもあると思うんだ。ケイトにも話をしておくから」

「はい」


 イアンからどういう話を聞かされたかはわからないけれど、ヘンリーはメアリに信頼を寄せたままだ。ケイトとはうまくやれると信じている。それならば、今のメアリに断るという選択肢はない。


「シャノンを注意深く見ていてくれ。昼間の件で不安定になっているだろう。何をしでかすかわからない」


 優しくて紳士的なヘンリー。それとは対照的に、補佐官の眉間に深くしわが刻まれるのが印象的だった。




 ◇◇◇




 事件が明るみになったのはその日の夜遅く。

 大きな悲鳴が屋敷中にとどろき、廊下がにわかに慌ただしくなった。メアリも尋常でない雰囲気を察して廊下へでる。


 月明りが差す廊下。

 だんだんと見えてきたのは絨毯の上に投げ出されている長い足だった。女性だ。女性が倒れている。その人が来ている服は赤黒い液体でじゅっくりと濡れて、見開かれた彼女の瞳は虚空を見つめたまままばたきひとつしない。


「ケイト様!」


 叫んだのは彼女が屋敷から連れてきた侍女だった。あまりの恐ろしさに腰が抜け、それでも近くにいかねばと這ってケイトのそばへ行こうとしている。


 そしてもうひとり、死体のそばにたちつ立ち尽くす影があった。


 血だらけのナイフを持ち、手も服も赤く染めあげている。月の光に照らされた体は状況にそぐわずに神秘的で、青い瞳が暗く陰ったままじっと遺体を見つめている。わらわらと人が集まってきても関係なく、視線はずっとケイトに向けられていた。



 その青い瞳がすっと動き、メアリに止まる。

 他にも人がいるにも関わらず視線はメアリをまっすぐに射抜いた。


 瞬間、どくりと跳ねる心臓。


 うつろな目のまま、血で濡れたまま、シャノンはじっとメアリを見つめた。

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