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3 生活費は二万円



 朝から母親が化粧をしている。

 しっかりと、入念に化粧をしている。

 昨晩は、普段したことのないパックまでしていた。


 父は全くやる気が見えない。

 父も私と一緒で、(にい)(にい)伯父さんの家に行きたくなさそうだった。

 しかし、行かないと言った場合、父が私を送迎することになるのだろう。

 私はそれでもいいのだが、父は私の通学に協力するつもりはないのだ。


 ピンポーン


 チャイムが鳴る。

 みどりおばあちゃんが約束の時間よりも早く家に来た。

 やる気満々といった感じだ。



 おばあちゃんと母親は何を考えているのか分からない。

 なぜ自分の息子、自分の兄に会いに行くだけなのに、こんなに気合を入れているのか。

 私の下宿なんて二の次みたいな印象を受ける。


 そもそも今日二(にい)(にい)伯父さんの家に行くのは四人だ。

 父母、そしておばあちゃんと私。


 (にい)(にい)伯父さんに、四人までにして欲しいと言われたのだそうだ。


 最初は、()(ねえ)叔母さんも行きたいと言っていたが、四人までと言われて、泣く泣く辞退したそうだ。


 本来なら、二兄伯父さんと一番仲の良い(いち)(にい)伯父さんが同伴すべきだと思うが、みどりおばあちゃんが何としてでも行きたがって一兄伯父さんは辞退したそうだ。


 今日の訪問は、私の下宿をお願いするためなので、私と父母がいれば十分だし、そこに二兄伯父さんと仲の良い一兄伯父さんを入れるのが最強(ベスト)布陣(メンバー)だと思う。


 亜音(あのん)も行きたいと言ったが、即却下されていた。



★★★



 (あま)リーヒルズ。

 私と亜音が勝手につけた二兄伯父さんの家のある住宅地だ。

 当然ビバリーヒルズと二兄伯父さんの家がある尼上市の地名からつけた名前だ。


 日曜午後の(あま)リーヒルズに、父親運転の車が侵入していく。

 通報されないか不安だ。

 父の自信作(くるま)だけに、私は不安なのだ。


 T社製のミニバン。

 父親曰く、上品な排気音にして、上品に車高を下げて、エアロを盛っている、と言っていた。

 そこから先が一番要らない部分なのだが、上品ながらもちょっと硬派に、そして攻撃的に仕上げてあると自慢していた。

 なぜ普通の車のままで乗れないのか不思議である。


 本当はワンランク上の車種が欲しかったらしいが、同居している父親の父親である一郎爺さんの許可が下りなかったらしい。

 正確には、許可というよりは援助が少なかったらしい。

 父親の給料では、(じい)(ばあ)の援助がなければ高級車は買えないのだ。

 父親は、ワンランク上の車種が買えなかったので、多少改造してもお金はかかっていないと言っていた。

 改造する前の乗り心地の方が私に良かったと思う。

 改造する前の方が静かで乗っていて楽しかった。

 今ではうるさくて、車内で話をするのに声を大きくする必要がある。


 車乗りの界隈では、車高の低さは知能の低さ、と言われて、頭の悪さを競っている人たちもいるとかいないとか。

 私は車高の低さは民度の低さと思っている。

 そんな民度の低い私たち家族が、(あま)リーヒルズに足を踏み入れた。

 この住宅街に全く存在しないはずの車で。

 高級住宅街に、場違いな排気音が響き渡る。

 ……恥ずかしい。

 排気音をぶつけてしまったお家の方、私たち家族が生きててごめんなさい。


 ナビにセットしていた住所地に到着する。

 二兄伯父さんの家だ。

 二階建てで外壁がピカピカしている。

 土台がのっぺりしていなくておしゃれな感じがする。

 この家は高級住宅街に埋没している。

 悪い意味じゃない。

 高級住宅街の一部と化しており、全く違和感がないのだ。


 カーポートにはピカピカの車が二台置かれており、余っているスペースはない。

 代わりに、来客用駐車場と思われるスペースがあった。父親はそこに車を駐車した。


 エンジンが止まったことで高級住宅街への騒音がやみ、私は少しほっとした。

 これからの交渉は苦痛だが、私は心の中で結論をすでに決めている。

 それを話す(プレゼン)までの我慢だ。

 私の人生だ。

 人に迷惑をかけて生きるのなんてマッピラごめんだ。

 親の都合だけで振り回されてたまるかっていうの。



 車から全員が降りた。

 誰がインターホンを鳴らすか躊躇している様子が窺える。

 絶対に父親は鳴らさないだろう。そういう位置取りをしている。


 みどりおばあちゃんもインターホンから意識して離れている。

 母親は、手土産で手がふさがってインターホンを押せないというアクションを、少し離れてインターホンを押したくないとボディランゲージしている父に向ってアピールしている。


 父親が情けない目で私を見る。

 さっさと茶番劇を済ませたい私はインターホンを押す。

「こんにち…」


 私が挨拶を言い終わる前に、玄関が開いた。


「いらっしゃい。中に入って」


 そう言ったのは、一兄伯父さんよりも遥かに若くて黒髪がふさふさしている男の人だった。

 左腕にチワワを抱っこしている。

 チワワは静かに唸り声をあげて、私たちを警戒している。



『誰この人?』

 私の頭が瞬間フリーズする。


 二兄伯父さんの息子?

 二兄伯父さんには子供がいないって聞いていたけど。


 ということは二兄伯父さんの亡くなった奥さんの親戚?

 顔が一兄伯父さんに似ているってことは、私の方の血が入っているってことでしょ?


 ……。


 もしかしてこれが二兄伯父さん?

 何が遺伝子を(つかさど)っているの?

 勝男おじいちゃんも一兄伯父さんも頭が寂しいじゃないの?

 同じ遺伝子なら二兄伯父さんも頭が寂しいはずだと思っていたけど……。



拓茉(たくま)!」「(にい)(にい)!」

 みどりおばあちゃんと母親が同時に声を上げる。

 私が間にいなければ、抱きついていそうな雰囲気だった。

 だったら私に先陣きらせるなっていうの。


義兄(にい)さん、久し振りです」

 少し遅れて父親が挨拶をする。少し緊張した声だった。

 父親がまともな言葉を使うとは思わなかった。


 この三人の反応を見る限り、目の前の男の人が二兄伯父さんらしい。

 金の力は遺伝子(ハゲ)を超えるのか。

 それだけじゃない。(それ)以上に外見が若い。

 父や母より若そうに見えるが、関係性を聞く限りでは年上なのだ。

 何が若さを保っているのだろうか。

 金だろうか。髪だろうか。海産物だろうか。

 全てKが付くものに原因はありそうだ。


 (にい)(にい)伯父さんに招かれて、私たちは(あま)リーヒルズの一軒家に初めて入った。


 玄関の三和土(たたき)は、約二メートル四方のスペース。広くて何もない。

 我が家のように靴が乱雑に置かれていないのだ。

 唯一あるものは、さっきまで二兄伯父さんが履いていたクロックスだけ。


 割れ窓理論だろうか。

 自然と靴を揃える父親がいた。


 家の中には、どこかで見たことのある絵画が飾られている。

 レプリカだということは分かるが、内装と妙にマッチしており品が良い。


 そして家の中に流れているコーヒーの香りが優雅な日曜日を演出している。


 流石尼リーヒルズ。

 これがセレブのデフォの生活なんだ、と妙に感心した。



「座って」

 示された椅子にそれぞれ座る。

 六人掛けのテーブルだが、一ヵ所壁に接しているので実質五人掛けだ。

 道理で四人と指定があったのか。

 二兄伯父さん入れて五人が、このテーブルのキャパなんだ。


 テーブルの上には高級(たか)そうなコーヒーメーカーがコポコポと音と湯気を立てている。

 テーブルクロスは安物のビニールではなく、高級(たか)そうな模様の入った布製のものだ。

 こんな高級(たか)そうなテーブルクロスにコーヒーをこぼしたくない。


 部屋を見回すが、一言で言い表そうとすると、広い。

 これが、リビングダイニングと言われている部屋なんだろう。

 広いと感じた印象の次は、物がない。

 各種調度品はあるものの、すっきりしている。

 ホテルのスイートルームって、こんな感じなんだろうな、と思ってしまう。

 どでかいテレビが高そうな台に乗っている。

 うちのテレビは五十インチだと父が自慢していたけど、それよりはるかにでかい。

 テレビの前には高そうなソファーが置いてある。

 このソファーで十分寝られそうな大きさだ。

 訂正する。

 気持ちよく寝られそうだ。



 二兄伯父さんは左腕にチワワを抱っこしたまま、器用にコーヒーをカップに注いで大人たちの前に置く。

「うちに砂糖ないから、コーヒー苦かったらこれを入れて」


 二兄伯父さんがテーブルの上に置いたのはメイプルシロップの瓶だった。


 セレブなのかセレブアピールなのか分からない。

 何でもありそうな家なのに。

 私の家にないものばかりある家なのに。

 どこの家にもある砂糖がない。

 甘味が欲しいのに嫌味が先に入っているのか、と思ってしまう。


 そんなことを考えたからか、私の分のコーヒーだけがない。


「君はジュースでいいかな」

 二兄伯父さんがそう言って冷蔵庫からジュースを出してきた。


 私もメイプルシロップを入れたコーヒー飲んでみたい。

 嫌味でも何でもいいから、おしゃれな甘味を味わってみたいお年頃。

 亜音や友達に自慢してみたい。


『お気遣いなく。私も同じものでお願いします』

 私の頭の中に回答はあるが、言葉として出せない。

 すでに用意されているジュースとグラスを目の前に、そんな贅沢を言えるはずもない。

 二兄伯父さんがジュースをグラスに注ぐ姿を諦め顔で見ている私。


『えっ?』

 ふと気が付きました。

 二兄伯父さんが注いでいるジュースはウェルチではないでしょうか。

 ストローを差し込んだグラスが私の目の前に置かれた。

 私は目の前のグラスではなく、ペットボトルの文字を必死に読み取った。

 まさかジュースまでセレブだとは思わなかった。

 まあ、普通のジュースより、ちょっと高いだけだけどね。と心の中で毒を吐きつつも嬉しい。



「悪いけど先に一言注意しておくね。この犬は放っておいてね。吠えても何しても無視していれば絶対に噛まないから。静かだからって手を出すと噛まれるからね」

 そう警告して、二兄伯父さんはチワワを床に降ろした。


 チワワは部屋の中をぐるぐるとダッシュして、侵入者である私たちに向かって吠える。


『大丈夫だよ、この家に住むつもりはないから。少しだけ我慢していて』

 私は心の中でチワワに話しかけた。

 もう私の心は決まっているのだから。



「その犬スピッツ?」

 みどりおばあちゃんが場違いな質問をした。

 どう見てもチワワにしか見えないのだが。


「チワワだよ」

 二兄伯父さんはムッとすることなく静かに答える。

 私が飼い主なら即行帰ってもらうレベルだと思うが。


「そう、チワワってこんなに可愛い犬だったんだね」

 みどりおばあちゃんは吠えるチワワを見てそう言った。


 恐るべし、みどりおばあちゃん。

 天然か養殖かは分からないが、地獄から天国のお愛想。

 多分天然だろうけどね。



「早速だけど、うちの花蓮(かれん)(あま)(ひがし)に合格したのよ」

 母親が早速切り出す。


 早速すぎないか?

 本当なら、二兄伯父さんの奥さんを弔慰してから本題に入らない?

 それだけ『アノオンナ』のことを話題にしたくないのか。

 みどりおばあちゃんも、突っ込みも弔意も入れないし。


「おめでとう。電話でも聞いていたけど、すごいことだよね」

 表情を変えずに二兄伯父さんが言った。

 一応褒められているんだろうな。

 そう思いながら、二兄伯父さんも弔意のないことを何もなかったかのようにふるまっている姿に違和感を感じる。



 私は尼東の合格について、毎日のように褒められている。

 初めこそ誇らしかったが、尼東に通うためには、私が誰かに迷惑を掛けないと通えないことが分かってからというもの、あまり気持ちのいい誉め言葉とは思えなくなっていた。



拓茉(たくま)花蓮(かれん)をここから(あま)(ひがし)に通わせたいんだけど良いよね」

 みどりおばあちゃんが思いっきり直球を投げる。


 いつかは誰かが、今日中にはっきりと言わなければならない言葉だったと思いますが、もう少し世間話をしてからでも良かったのではないでしょうか。みどりおばあちゃん。

 今日のみんなは早速とか直球勝負が多すぎて、頭がクラクラする。


(いち)(にい)から少し聞いていたけど、家から通えないのか」

 二兄伯父さんが難色を示す。

 少しの間おとなしかったチワワが吠え始める。


 二兄伯父さんがチワワを床から抱きかかえる。

 鳴き止むチワワ。


「ちょっとというか、かなり遠いのよ。分かるでしょ。うちから尼東高校よ。協力してよ」

 母親が言葉足らずに協力を要請した。


 協力ありきの発言だ。 

 尼東に合格したのだから、協力するのが普通でしょうよ、という意味にしか聞こえない。

 実際そういう意味だろうが。


義兄(にい)さんも一人じゃ家事も大変でしょ。花蓮が下宿すれば、家の中のことも少しは楽になると思うけど」

 父親が母親に続いて発言する。


 私は家事ができない。

 というか、やったことがない。


 我が家は父の実家に居候というか三世代同居しているため、幸子(さちこ)おばあちゃんが全ての家事を引き受けているので、家事はほとんどやったことがないのだ。

 母親だってほとんど家事をしていない。

 それなのに、やったことのない家事を条件に娘を下宿させようとは。

 もう少し娘の能力を見ろって言うのよ。


 それに、この家完璧すぎるでしょ。

 どこにゴミがあるのよ。

 どこに私がする家事があるのよ。

 我が家をたった一度でも、こんなホテルみたいな家にしたことがあるのかって。

 馬鹿親父!


「何なら私が一緒に住んで家事するわよ」

 みどりおばあちゃんまで暴走する。


 みどりおばあちゃん、少しだけ気持ちわかるわよ。

 こんなホテルみたいなお家で暮らしてみたい。

 うんうん。

 ババ付き下宿。

 うるさいババ付きという条件なら、誰もOKしないわよ。


「俺は静かに暮らしたいんだけどな。この家から通いたいならこの家売ろうか。適正価格で良いよ」

 二兄伯父さんは、ムッとしたらしい。

 そりゃそうだろう。

 突然話し合いに来て、話し合いの前に、結果ありきを一方的に要求されるのだから。

 更に訳の分からない婆さんの同居まで話が進むのだから。


 さすがに空気の読めない大人たちも、空気が変わったことは理解できたらしい。


「いや、そういう話じゃなくてさ、花蓮を下宿させて欲しいだけなんだよ」

 父親が空気を戻そうと言葉を発した。


『う~ん、このタメ語は如何なものでしょうか』

『お父さんの失言ですね。お願いするのに年下からタメ語で話すというのはダメですね。しかも下宿させて欲しいだけ?それが”だけ”の事なんですかね。”だけ”だから応じて当然だろう、としか聞こえませんね』

 冷静に分析している私がいた。


「なに?」

 二兄伯父さんは父親を軽くにらみつけて一言発した。

 その言葉を聞いて、父親はビクッと体を震わせた。


『あのヤンキー崩れのお父さんがちょっとビビりましたね』

『どうやら二兄伯父さんのことが苦手みたいですね』

『それにしてもちょっとビビり過ぎじゃありませんか』

 二兄伯父さんの面前には、私の知らない父親がいた。

 初めて会う伯父さんに、初めて知る父親の姿。

 今日は面白いものが見られました。



「ちょっと二兄。うちの旦那がビビってるじゃないのよ。そんなにビビらせないの」

 母親が二兄伯父さんに注意する。


 いや、それってビビらせた二兄伯父さんが悪いのか。

 人の都合考えずに、タメ語で自分の都合を押し付けようとしていた父親が正しいのか。


「そんなつもりはなかったが」

「もう、うちの旦那せっかく来たのに、こんなにビビったら話し合いにならないじゃないの」

 母親が文句を続けた。


「だから、どうすればうちの花蓮を下宿させてくれるの」

 母親が少し下手に出た。

 さっきまでは下宿ありきだったが、二兄伯父さんの条件を聞く気になったようだ。


 でも話の流れがヤンキーだ。

 父親の悪いことは棚に上げて、父親がビビったその点だけを付いて行くやり方。

 これで二兄伯父さんが腹を立てたら全てが終わるよ。

 冷静に分析する私。


「それは俺が聞きたい。どうすれば俺が花蓮ちゃんの下宿を認める気になるか」

 二兄伯父さんがおとなしくなったチワワを撫でながら言った。

 あ~あ、やっちゃったよ。

 完全に喧嘩別れルート一直線だよ。


「どうすればいいのよ。こっちは花蓮が下宿できなきゃ大変だから、ある程度は何でもするつもりだけど、何をどうすればいいのよ」

 母親も不毛な話し合いに突入した。

 『ある程度』ってどの程度?

 ある程度<通学、ではあるのだろうけど。


 そもそも二兄伯父さんは、今の生活を壊されたくないのだ。

 私という異物がこの家に入り込まなければ、平穏な生活ができるのだ。

 私が下宿さえしなければ、だ。


 私のために、こんな空気になっている。

 


 二兄伯父さんの腕に抱かれていたチワワが暴れ始めた。

 二兄伯父さんは、暴れるチワワをあやしながら、ゆっくりと床に降ろした。

 チワワはテーブルの下に移動し、みんなの足のにおいをかぎ始めた。


「放っておいてよ」

 二兄伯父さんがもう一度注意する。

 おいで、と言いかけたみどりおばあちゃんが、バツ悪そうに床に伸ばした手を戻す。



 すっかり空気が悪くなった。

 このままでは、私の親せきが仲違いしたまま別れることになりそうだ。

 母親もみどりおばあちゃんも二兄伯父さんのことが好きなのに。


 仕方ない。

 大人たちが『早速』とか『直球』やら『上から目線』とか、『結果ありき』で話をしているのが悪いのだ。

 この空気と流れを変えるのは張本人である私しかいない。

 覚悟を決めた私。

 一回深呼吸をする。

 チワワにも心の中で話しかける。

 もう少し我慢して。それで終わるから、と。


「伯父さん、私はできれば下宿して通いたいとは思っていますが、父が言ったような家事はできません。もし下宿させてもらったらやるつもりではいますが、やったことがないので、できるとは言えません。なるべく伯父さんに迷惑を掛けずに生活することを心掛けますが、今日初めて会ったばかりのおじさんの生活スタイルが分かりませんので、お約束はできません。それでも宜しければ下宿させて下さい。下宿が嫌なら今はっきりと言ってください。そうでないと、父も母も次のプランに移れませんので」

 私ははっきりと二兄伯父さんに言った。

 断られること前提だ。


 父親も母親も他人である二兄伯父さんに甘えている。

 自分の娘くらい自分で面倒見ろっていうのよ。

 この言葉は、夕べしっかりと考えたのだ。

 家事まで入れたのは、父親の失言に対するアドリブだが。


「ちょっとぉ花蓮(かれん)

 母親が慌てて私をたしなめる。

 いきなり断られること前提の話をしたのでびっくりしているのだろう。

 いや、それより他人に迷惑を掛けずに自分が頑張れよ。

 尼東高校の受験で舞い上がって目の前が見えなくなっていたのは母親も同罪(おなじ)だろ、と思う。


「分かりました。花蓮ちゃんの下宿ですが、はっきりと断らせて…」

 二兄伯父さんの言葉を遮るかのように、チワワが私の膝の上に飛び乗ってきた。


 動くとチワワを落としそうなので固まってしまった私。

 固まって抵抗できない私のアゴをチワワはぺろぺろと舐め始めた。


「ちわまる、何やってるんだ」

 二兄伯父さんが立ち上がって、私の膝上に乗っていたチワワを抱きかかえる。

 ちわまる、って言うのか。危うくファーストキスを奪われるところだった。


「どうしたんだ?」

 二兄伯父さんが抱っこしているちわまるに話しかける。

 尻尾を振りながら二兄伯父さんの顔を見つめるちわまる。

 つぶらなお目目が可愛い。

 うちの亜音より可愛いのは間違いない。


「じゃあはっきりと結論を出させてもらうけど、俺はなるべく静かに暮らしたい。家事は最低限で良いが、こいつの世話を少々やってもらう。お母さんと里子(さとこ)は、花蓮ちゃんの下宿に名を借りて俺に干渉しないこと。それに反したら、すぐにでも自宅に帰ってもらうという条件なら下宿させてもいい」


 さっき、断ろうとしていたのでは?

 急に態度が変わったのは、チワワのせい?

 私はちわまるを見つめた。

 ちわまるはしっぽを振りながら私を見ている。


「じゃあ、そういうことで下宿お願いします」

 父親はさっさと決めてしまいたいようだ。

 通学になったら、一番大変なのは父親なのだから。


 みどりおばあちゃんと母親は、不満そうな顔をしているが、背に腹は代えられないという感じで条件を飲んだ。


「ところで下宿代は?」

 二兄伯父さんが具体的な金額を聞いてきた。


「一応二万円くらいを考えているんだけど」

 母親が言った金額を聞いて私がびっくりした。

『やっす!』


「二万円の内訳は?」

「全部込みで二万円くらいかなって考えていたのよ」

 母親が恥ずかしげもなく言った。

 全部って何が入って全部なの?

 親戚価格にも程があるでしょ。


義兄(にい)さん、花蓮を余っている部屋に突っ込んどいてくれるだけでいいからさ」

 父親が変なことを言う。


 民度の低い家族。

 恥ずかしくて嫌になってしまう。

 こんなホテルみたいな家に住むのに、月に二万円で済ませようとするその気持ち。

 私の通学代プラスαで、食費代、水道光熱費込みだなんて。

 親が二万(そのつ)(もり)でも、私がアルバイトをして下宿代を上乗せする。


「伯父さん、私アル……」

「分かった。それで良いから、なるべく俺に迷惑を掛けない方向で頼む。あと、妹まで下宿させるつもりはないから。亜音ちゃんがこっちの学校に入ったときは二人でアパートを借りるかどうかして欲しい」

 二兄伯父さんが了承した。

 二兄伯父さん、亜音のことは考えすぎだよ。

 亜音は体力はあるけど馬鹿だから、尼東は絶対無理。

 絶対近所の高校か、スポーツ推薦で行ける高校にしか行かないから。

 (あま)上市(かみし)の高校に入るメリットはほとんどないから。

 (あま)リーヒルズに住むことを許可された私は、そんなことを考えていた。



★★★



「住んでもらう部屋を案内するか」

 二兄伯父さんがそう言って、二階の部屋を案内してくれた。

 家族総出でぞろぞろ二階へ上がる。


 階段がすっきりしている。

 うちのように、階段に荷物を置いていない。たったの一個も。

 しかもうちよりも階段が広い。

 階段で人がすれ違えるほどだ。


 私にあてがわれた部屋は、六畳一間でフローリング。

 エアコンと暖房が完備とのことだ。

 テレビはないが、アンテナ線は来ているとのこと。

 更にクローゼットまでついていた。

 窓は南面。日当たり良好。

 窓から(あま)リーヒルズの景色が一望できる。ちょっと盛った。

 周囲の家の壁が見えるだけだ。

 暗いから余計そうなんだけど。


 でも、『一生住みたい』。

 たった十分ほど前までは、住むつもりのなかった部屋を見てそう思った。

 実家では亜音と一緒に四畳半の畳部屋で寝ている。

 亜音がこの部屋を知ったら、絶対に羨ましがるだろう。


 たった三年間だが、丁寧に住もうと思う。

 さっきのリビングのように、ホテル状態のままできれいに暮らそう。

 来た時よりも美しく。

 どこかの合言葉が頭に浮かぶ私。

 さっきまで下宿するつもりはなかったんです。

 急転直下、二兄伯父さんが許可しただけなんです。

 言い訳を考える私の脳みそ。

 私の頭は現実を受け入れるのに多少時間がかかりそうだ。



「ところで他の部屋はどうなっているの」

 みどりおばあちゃんと母親がそう言って、ほかの部屋を開けようとした。


「やめてくれ。そんなことするなら下宿の話もなしだって言っていただろ」

 二兄伯父さんの不機嫌な声が響いた。


「冗談よ。冗談」

 ひきつった笑顔で母親が言葉を返す。

 みどりおばあちゃんは、他人事のように知らんぷりをしている。


「こんな感じの部屋だから、調度品や荷物はあまり多くない方がいいと思う」

 二兄伯父さんがそう言った。


 調度品や荷物って、何を基準にしているのか分からない。

 私の持ち物を全部入れてもこの部屋いっぱいにはならないだろう。

 洋服だって、クローゼットがスカスカになるだろう。

 調度品といっても、テレビを買って貰えるか怪しいのだ。

 広々快適に使わせてもらおう。


「洗濯物は外には干さないから」

 二兄伯父さんが部屋を見ながら言った。

「どこに干すの」

 私は疑問を口にした。

「部屋干しできるようになっているから、洗濯物は部屋で干してもらうことになるが、乾燥機もあるから好きにすればいい」

 二兄伯父さんは、簡単に天井の仕掛けを説明した。

 天井から棒が釣り下げられ、それに物干しざおを掛けるそうだ。


 水道()光熱費(んぶ)込みで二万円ということだ。

 なるべく乾燥機の使用は控えようと思った。



★★★



「いやあ、義兄(にい)さんはやっぱり怖いな」

 父親が運転しながら言う。


「あんなに優しかった拓茉(たくま)が、あんな風に変わるなんて」

 おばあちゃんが父親の言葉と、ちょっぴり意味のつながらない話をする。


「二万円であの部屋に住めるなんて、花蓮はラッキーね」

 母親が楽しそうに言った。


 みんなの話がいまいち噛み合っていない。


 車の音がうるさいので、みんなの話が聞こえないふりをして私は返事を返さない。

 うるさい車もこんな時は役に立つ。


 ゴツン。

 車が道路の継ぎ目を通過した。

 衝撃が体に響く。

 やっぱりこの車嫌い。

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