9.あの桜の樹の下で
最終回です。
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まだ芽吹かない大きな桜の樹の下で。
震える沈黙の中──────
私は意を決して、私より約十五㎝以上も背の高い先輩の顔を改めてしっかり見据えて告げていた。
「河合先輩……ずっとずっと好きでした」
先輩のいつもの優しい瞳に吸い込まれていく。
先輩は暫し無言で、目を細めた。
私はその沈黙に耐えられず、思わず言った。
「で、でも……。先輩は。綾部先輩とおつきあいしているんですよね……」
「綾部?」
先輩は問い返した。
「なんでそんなこと」
「だって……。ヴァレンタインの前、先輩と綾部先輩がお茶してるとこ見ました」
先輩は少し考えるような風をして、そして言った。
「ああ、『ラタン』のことか?」
「そうです。すごく楽しそうに……デートしてたとしか」
「確かにデートしたよ」
「やっぱり……」
私は、その一言にうちひしがれる。
やっぱり、河合先輩と綾部先輩は……。
しかし、先輩は言った。
「でもあの一日だけだ」
「一日だけ?」
思わず問い返した。
「一日だけって……どういう……」
「告白されたんだ。でも、断った。そしたら、あの日だけデートして欲しいって、頼まれた。十五の誕生日だからって。それで諦めるって言われたらさすがにそれは断れないだろ。結局、綾部には気の毒なことしたけど」
河合先輩は一瞬、顔を曇らせた。
「なんで断ったんですか。お似合いなのに……」
「三浦」
次の瞬間。
先輩はやはりズボンの後ろポケットに両手を突っ込んだまま、顔を私に近づけると、私の耳元でそっと囁いた。
私は、どくんどくんと鳴る胸を意識しながら、先輩の広い胸にゆっくりと顔を伏せた。
後から後から涙が溢れ、ずっと止まらなかった。
春浅いそよ風が吹く中、先輩は卒業して行った。
◇◆◇
桜の花びらがひらひらと空を舞っている。
音楽室前の廊下の窓から、あの桜の大木がよく見える。
巡り来た春・四月。
やはり麗らかな日の放課後のこと。
私はぼんやりと窓の外を見ていた。
「咲来ー! 何そんなとこ突っ立って外眺めてんの? ピッチ始めるよー」
侑里ちゃんがYAMAHAの黒いメトロノームを片手に、音楽室の中から私を呼んだ。
「うん、今行く!」
私は元気よく返事をするとみんなの待つ音楽室の中に走って行く。
ポケットに入れている匠吾先輩からもらった制服の第二ボタンを右手でもう一度ぎゅっと握り締めて。
"俺がずっと好きだったのは頑張ってる君だよ。三浦”
あの時。あの桜の樹の下で。
一言囁き、そう告白してくれた匠吾先輩のことを、胸に大切に想いながら……。
了
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