7.悲願の全国大会の結果は……
それは不思議な感覚だった。
あれほど緊張していたのが嘘のように心が落ち着き、周りがよく見える。
演奏が始まると、私は曲に集中し、五人の音の音程と音色を何より感じていた。
ピアニッシモでは繊細な音を奏で、盛り上げる箇所では大いに謳った。
五人のハーモニーは県大会の時以上に冴えていた。
それは、スポーツで言えば、ゾーンに入っていると言っても過言ではない領域だった。
最後の一音が会場中に吸い込まれて消えていく。
終わった……。
会場からの割れんばかりの拍手を受けながら、私は全力を出し尽くしたことに初めて満足していた。
◇◆◇
悲願だった東京での『全国大会』。
いよいよ結果発表の時が来た。
まず、『ソロ部門』。六位入賞から発表される。
六位、五位と発表された後。
『四位入賞、楠城中学校・綾部未織』
綾部先輩が信じられないように両手を頬に当てている。綾部先輩にとって、初の全国入賞。
「綾、やったね!」
皆から祝福を受けて綾部先輩は涙ぐんでいるのも束の間。
すぐに『アンサンブル部門』の発表となった。
『六位入賞、大澤高等学校』
軽い歓声が会場の一角から沸き起こる。
そして、五位、四位と発表されるが、楠城中学の名前は挙がらなかった。
皆の胸に失意の色とひょっとしてという期待の複雑な感情が去来する。
いよいよ金・銀・銅賞を残すのみとなった。
祈るような想いで続く発表を待ちわびた末。
『三位銅賞、楠城中学校』
え……?!
耳を疑った。
しかし確かにそうアナウンスされたのだ!
『青少年リコーダー・コンクール全国大会』の結果は、『一位金賞』には届かなかったけれど、『三位銅賞』という輝かしい成績が私達、楠城中学リコーダー部員を待っていた。
銅賞入賞が決まった瞬間──────
感極まり、ただぼーっとしているだけの私の隣の席で、
「三浦」
河合先輩の左手の握り拳が私の頭にこつんと触れた。
「よく頑張ったな、三浦」
「河合先輩……」
思わず見つめた先輩の顔は、それまで見てきたどの表情よりも優しく、柔らかく、そして笑顔に溢れていた。
ああ。
これが私が見たかった先輩の最高の笑顔……。
「咲来ちゃん。泣かないで」
「先輩こそ」
先輩方も皆、泣いていた。
そうやって、私の中学一年生の忘れ得ぬ夏は、全てが何にも代え難い煌く美しい想い出に生まれ変わり、優しい涙のヴェールに包まれて終わった。
◇◆◇
そして季節は秋へと移ろい十月、銀杏の木の葉が色づく中。
私達『リコーダー・アンサンブルクラブ』によるオープニングステージで、『楠城中学文化祭』の幕が開けた。
最初の曲は、部員全員によるアンデスのフォルクローレ『コンドルが飛んでゆく』。ソプラノとアルトだけで切々と奏でられる親しみやすく、どこか懐かしい曲。
それから有名な『パッヘルベルのカノン』。とても優しい音色の癒やし系バロック音楽。
そしてもう一曲、『リコーダー四重奏のための三つの古風な舞曲』が終わると、もう幾度となく演奏し尽くしたコンクール代表メンバーによる『エリザベス時代の二つの五重奏曲』がラストに披露される。
これが……。
河合先輩と奏でる最後のハーモニー……。
私は、気持ちを込めて精一杯、ソプラノリコーダーに集中した。
五人による四声の最後の一音が消えてゆく。
一瞬の静寂。
そして、会場から温かい拍手喝采が沸いた。
ああ、これで河合先輩とも……。
そう思うと胸にこみ上げてくるものがある。
私は皆に悟られないよう目元を拭った。
舞台が無事終了し、クラブの三年生の先輩方は、私達下級生に惜しまれながら引退した。
河合先輩は、
「三浦、頑張れよ。君ならやれる」
『宵の明星』が輝いていたあの夜と同じ、その一言を私に残して……。
◇◆◇
「「メリー・クリスマス!」」
私は侑里ちゃんの部屋の炬燵の中で、その年のクリスマスイブの夜を過ごしている。
炬燵の上には4号の生チョコレートクリームのクリスマスケーキにクッキー、ポッキー、ポテチにハッピーターン、ハーゲンダッツのアイスクリームと女の子の好きな食べ物が所狭しと並んでいる。
飲み物は、ちょっと背伸びしてブラック珈琲。でも、無糖のティーと同じく甘い物を引き立てていて結構飲める。
「美味しいねえ、侑里ちゃんのケーキ」
私は侑里ちゃんが手作りした大粒のあまおう苺が乗ったケーキに、ご機嫌でフォークを入れている。市松模様やぐるぐる渦巻きクッキーも侑里ちゃんお得意のレパートリー。
「それにしても咲来のパジャマ、可愛い~」
私は暖かな黄色いくまのプーさんの着ぐるみパジャマにくるまっている。
「可愛いっていうか私、寒がりだから。暖かいのが一番! 侑里ちゃんは……この真冬にそんなフリフリ、寒くない?」
「カーデにもこもこのモヘアの靴下履いてるから大丈夫」
そう言う侑里ちゃんは、いかにも乙女な白いゆるふわのレースのネグリジェの上から赤いカシミヤのカーデを羽織っている。でも、やっぱり寒そう……。
「女の子なんだもん。夜くらい夢を見たい!」
「何それ。どういう意味?」
「だーかーら。中学生になったんだから、ちょっとはロマンティックなこと考えるってことよ」
侑里ちゃんは、真っ赤なサンタのマグカップを両手で包むように持つと唐突に言った。
「咲来は河合先輩とどうなのよ」
「え? 先輩……?」
「いい感じだったじゃない。コンクールの頃」
「そうかなあ……。河合先輩は誰にだって態度変えることなく優しいでしょ。私なんか……」
「なんか、って言うの、咲来の悪い癖よ」
ペチと侑里ちゃんは軽く私の頬を叩いた。
そして。
侑里ちゃんは唐突に言ったのだ。
「告ればいーじゃん?」
「告るって……!」
相変わらず積極的な侑里ちゃんの言葉に私は目を白黒させる。
「でも……」
「何?」
「う、ううん。何でもない」
『あなたには負けないんだから』
あの時の綾部先輩の言葉が蘇る。
あの言葉の意味は……多分……。
「何でもないって顔してないよ、咲来」
侑里ちゃんは澄んだ目で私の顔を覗き込んだ。
「話してよ」
たった一言だけど、侑里ちゃんのその言葉は私の心を打つ。
私は、ずっと胸に抱え込んでいた綾部先輩との一件をぽつぽつと話した。
「うーん、綾部先輩かあ」
侑里ちゃんは難しい顔をした後に、こう言った。
「河合先輩と綾部先輩って部長・副部長同士だしお似合いだとは思うんだけど、でも、付き合っているって噂は聞かないよね。綾部先輩が大人しいタイプだし、どっちかが告ってる感じもしないし」
「そうかなあ。じゃあ、あの言葉は……」
そう言いながら落ち込みそうになる私に、侑里ちゃんは言った。
「やっぱりここは先手必勝よ! 咲来。告るのよ!」
「ど、どうやって……」
「バレンタインがあるじゃない。愛の告白の日よ。手作りチョコでアタックあるのみ」
「手作りチョコなんて今時、流行らないよー。それに私、お菓子作りしたことない」
「作るのは私、協力するから。後は咲来の熱意と勇気だけよ」
侑里ちゃんはやけに私に力説する。
「告白かあ」
その時まで私はそんなこと考えてもいなかったのに。
「頑張れ! 咲来」
「えー、侑里ちゃんの無責任」
なんて笑い合ってイブの夜は更けていく。
けれど、侑里ちゃんのその一言で私は嫌でもヴァレンタインの日を意識するようになった。