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1.『リコーダー・アンサンブルクラブ』との出会い

「制服の胸のボタンをください」


 卒業式の日。


 校庭の隅のまだ蕾も芽吹かない桜の大木の下で私は、卒業する三年の河合(かわい)匠吾(しょうご)先輩に俯いたままそう告げた。

 先輩は、暫し無言で、じっと私を見下ろしている。

 沈黙に震えながら、私の胸の中を一瞬にして、様々な想い出が駆け巡っていった。


 あれは今から約一年前のこと────── ・・・



 ◇◆◇



 桜吹雪が舞い散る麗らかな春・四月。


咲来さくら! 私達、同じクラスだよ!」

「うん、侑里ゆりちゃん! 良かったあ」


 真紅の手触りが滑らかなシルクのスカーフが特徴の紫紺のセーラー服姿の私達は、掲示板の前できゃっきゃと手を取り合って喜んでいる。

 侑里ちゃんは幼馴染みで、同じ幼稚園、同じ小学校出身。そして、同じ『楠城くすのき中学校』に入学した。でも、同じクラスになったのはこれが初めてだった。


「ねえ、咲来。クラブ、どうする?」

「うーん、ブラバンに入りたかったんだけど、うちの学校ないんだよねえ」

楠城(くす)中てまだ創立十年の新設校だから、予算ないのかなあ」

「文化系って言ったら、生物部に将棋部に読書研究会……どれもイマイチ……」

「テニスとかは? ユニフォーム可愛いじゃん」

「私、運動苦手だからなあ。やっぱり音楽系がいい」

「じゃあ、合唱?」

「コーラスはあんまり。私、何か楽器を()りたい」


 そんなことを話し、教室へと向かいながらクラブ勧誘のポスターが貼られている掲示板を見ていた時。

 私の目に一枚のポスターの存在が飛び込んできたのだ。


「リコーダー・アンサンブル……?」

 そこには、大小四本の笛がモノトーンの色彩で丁寧に描かれていた。


 “音楽好きの若人来たれ!”


「若人だって。今時、古めかしい」

 そう侑里ちゃんは軽く笑ったが、私はその綺麗な笛の絵に引き込まれている。

「咲来。咲来? まさか入部したい、なんて……」

 ポスターの前で固まっている私の顔の前で、侑里ちゃんが掌をひらひらと泳がす。

 私は力拳を握りながら言った。


「侑里ちゃん。一緒に入部しよう!」

「えーっ!?」


 それが私と『リコーダー・アンサンブルクラブ』の出会いだった。



 ◇◆◇



「咲来ー! 遅刻遅刻!」

「侑里ちゃん、待ってえ」


 私は遥か前方を駆けていく侑里ちゃんの後ろから息も絶え絶え走っている。侑里ちゃんは短距離走も得意だけど、私は走るのは苦手。

 ふらふらしながら校舎内に入ろうとした時、ドンと誰かにぶつかった。


「痛ったあ……」

 私はその場に派手に転んで、右手をついた。

「大丈夫? 新入生?」

 頭上から涼やかな声が降ってくる。

 それは綺麗なテノールのハスキーボイス。

 一見して背が高い。親戚の伯父さんが180センチとかって言ってたけどそれくらいか、少し小さいくらい。多分、178㎝くらい?

 それに細身で線が細い。でも、貧相な感じはしない。

 知的なフェイスで黒縁眼鏡がよく似合っている。


「あ……、すみません」

 三年生ということは制服のタイの色でわかった。

「擦りむいてるね」

 その人は私の右手を見て言った。

「保健室はあっちの校舎。ちゃんと診てもらった方がいい」

「いえ、このくらい」

 私は慌てて手を引っ込める。

「君は楽器は……」

「楽器……?」

「いや……。とにかく、女の子なんだから」

 爽やかに笑んだ。

「咲来、大丈夫?」

「侑里ちゃん」

 侑里ちゃんが近寄ってくると、

「じゃあ」

 と、その人は校舎の中に消えていった。

「咲来? どしたの」

「え。うん」


 侑里ちゃんの言葉にも私はあまり反応できなかった。

 私の脳裏にはその人の姿が焼き付いて離れなかった。



 ◇◆◇



「ここだよね、入部案内のあるとこ」

「うん、この音楽室」

 放課後、私と侑里ちゃんは北校舎の四階隅の広い音楽室を訪れていた。リコーダークラブの入部説明会があるのだ。


「多いね。みんな、入部希望?」

 私と侑里ちゃんは並んで席に座って様子を伺っている。新入生が沢山詰めかけている。ほとんどが女子だが、ちらほら男子もいる。

 楠城中学は一年生だけでも500名以上いるマンモス校。しかし、音楽系クラブはリコーダー部と合唱部しかない。私のようにブラバンに入りたかった新入生が皆、リコーダークラブに流れ込んできたのだろう。


「あ、あれ……あの人。咲来」

 その時、侑里ちゃんの声に私は息を飲んだ。

 朝、ぶつかった先輩が壇上に現れたのだ。

 その人が教卓の前に立つと、ざわめいていた教室内はシンと静まりかえった。


「入部希望の皆さん、よく集まってくれました。僕は、三年、リコーダーアンサンブルクラブの部長の河合匠吾です」

 

 よく通るあのテノールのハスキーボイスで、その人は挨拶した。


「『リコーダー・アンサンブル』がどういうものかよくわからない人がほとんどでしょう。リコーダーには、皆さんが小学校の音楽の授業で習っていた『ソプラノ』に、中学から習う『アルト』リコーダー。そして、『テナー』『バス』と言って四種類あります。大きさががその順番に大きくなり、形が異なります。運指と言ってリコーダーを吹くときの指の使い方が、ソプラノとテナーが同じで、アルトとバスが同じですが、ソプラノ・テナーとアルト・バスとは違う指の使い方をします」


 よどみなく、河合先輩は話す。


「リコーダー・アンサンブルはこれらの笛を複数で奏でます。簡単に言えば合奏です。笛の音を合わせ、奏でることです。大事なのは、皆さんの心を一つにして、音楽を奏でることです。奏でる心をこれから培い、一緒にリコーダーの世界を楽しんでいきましょう」


『奏でる』という言葉を河合先輩は強調していた。

 奏でる……なんて綺麗な響きなんだろう……。 

 誰からともなくパチパチと拍手が起こり、鳴り響く。河合先輩は軽く頭を下げた。

 私は、そんな先輩の姿にやはり目が釘付けになっていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 「制服の胸のボタンをください」 第二ボタンをくださいって言わないところが関係性を表しているのかなあ? もらえるかもらえないか微妙なラインの関係性なのかなあ?と最初のひと言でなんだか気にな…
[良い点] 連載版いいじゃないの~。 頑張ってください。 [気になる点] 身長178センチくらいはかなり正確。 ここは「かなり大きい。天井に届きそう……でもないか」とか、「かなり大きい。親戚の伯父さん…
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