05 決着
男はウッドナイフを構え、突きを放つ。鍛錬の成果もあり、その動きは洗練されてはいたのだが――しかし、野生の勘に勝る程のものでも無く、ジェネラルゴブリンの払うような腕の一撃により阻害される。
威力も速度も足りない、と男は気付き、思案する。前世の知識、格闘技や武術から得た身体操作の極意とも呼ぶべき技術を総動員し、どうにかより速く、より強い一撃を放とうと画策する。
最初に思い返された技術は『縮地』と呼ばれる技術であった。
本来、人間の歩法とは足で大地を蹴り、その時点で加速を開始し、身体を前進させる。故に第一歩目は脚力に依存した早さで徐々に加速してゆく。
故に初動には力みが生まれ、また瞬間的に加速することが難しく、行動の起こりを相手に察知される可能性が高まる。
これに比べ、縮地と呼ばれる技術の場合はより瞬間的に加速し、またより少ない力みから加速することが可能となる為、相手には察知されづらく、かつ素早い移動が可能となる。
原理は極めて単純であり――最初に、膝から力を抜き、下半身の脱力に任せて身体を落下させる。
続いてこの落下の速度を膝のバネの力で前方への速度に転換、ここで始めて大地を蹴る為、上半身の落下速度プラス脚力による加速という、通常の歩法よりも大きな速度的アドバンテージを得た状態で全身が開始する。
こうした身体を落とす際の速度を前進など、移動速度に変換することで瞬間的な移動速度の上昇を生み出す技術が『縮地』であると言える。
通常の歩法とは異なり、一歩目を踏み出した時点で既に落下速度によるある程度の加速が終わっているため、前進の気配、力みを察知してから実際に距離を詰められるまでの時間が少なくなり、結果として相手は対処が困難になる。
この技術を――男は即座に実践してみせた。
膝の力を抜き、身体が落下を開始する。その速度を膝に載せ、前方へと捻じ曲げ、瞬時に加速。
催涙粉末により視界不良に陥っていることもあり、ジェネラルゴブリンはこの行動を察知することは出来なかった。男のウッドナイフによる突きは正確に、狙ったとおりに眼球へと突き刺さり――しかし、脳に到達する程の威力は発揮できず、片目を潰すだけに終わった。
「ゲギャアアァァァァアアッ!!」
ジェネラルゴブリンの、激痛に苦しみ悶える絶叫が響き渡る。確実に、男の一撃は有効打であり、十分な速度をもってウッドナイフによる突撃に成功したものの、所詮は有効打に過ぎず、ジェネラルゴブリンを殺傷するには至っていない。
男は苦虫を噛み潰したように表情を歪め、己の行動の甘さを恥じた。有効打、等と言えば聞こえは良いが、それは所詮、致命傷を与えられなかっただけの、単なる失敗に過ぎない。一撃で確実に殺すことが出来なければ、相手に余裕を与えることに繋がり、対処、対策をする機会を与え――結果的に敗北へと繋がる可能性を増やしている。
これでは駄目だ、と男は考える。ちまちまと有効打を叩き込み、じわじわと嬲り殺しにするのも、また勝利ではあるだろう。しかし、そこに敗北の可能性が常に付きまとうこと、即ち己の勝利を阻害しかねない行動を、自ら肯定しているという事実が、男には受け入れ難かった。
このような状況、自らの命すら掛かる時に考えるようなことではないのかもしれないし、自惚れ、傲慢であるのかもしれない。だが――男は、ここが正念場であると思った。今日この時、この日こそが男にとっての最初の、最大の苦難であり、乗り越えるべき壁、真に勝利を得なければならない敵である。
ここで守りに入るような、甘えた考え方では――この先、自分は油断し、堕落し、そして敗北するだろう、と考えた。
故に、男は次こそは、と考えた。次の一撃こそ本当に、ジェネラルゴブリンを確実に葬らなければならない。
その為の力は、既に男の中に有った。
コツ、とも呼ぶべき『それ』を、男は縮地を成功させることで掴んでいた。
膝を抜き、脱力し、移動の瞬間に爆発的な力みを加えることで可能となる高速移動の技術を会得し、男の中で一つの感覚が形になろうとしていた。
言うなれば『脱力』とも呼ぶべき感覚。
より強く、より速く動こうと力むことで身体は強張り、筋力を十全に利用することが不可能となってしまう。
故に身体の力を抜き……『脱力』して落下、その勢いを瞬間的に力み、移動方向への速度へと転ずることで、無駄なく筋力を速度に変換する事が可能となる。
即ち脱力することにより、力みによって無駄に消耗していた筋力を、適切に、必要な瞬間に発揮することでより大きな結果が得られるようになる。
この脱力という基本的な考え方であり、身体操作の極意とも言える技術を、男は先程の縮地により、感覚を掴み、己のものとした。
この脱力を、攻撃にも利用することが出来たなら――と男は考え、最後の一撃に転ずる。
先程と同じように、膝を抜くことにより落下の力を速度に変え、瞬間的に前進。目を潰されたことにより気が動転し、暴れるジェネラルゴブリンへと即座に肉薄した。
そして先程は力いっぱい突き込んだウッドナイフを、今度は全身を少しも力まない状態で構え、突き出した。身体を硬直させ、威力を、速度を減衰させていた筋力を、今回は一切使用しないことにより、さらに速い突きを実現させた。
そしてウッドナイフがジェネラルゴブリンの残る眼球へと迫り、突き刺さる段階になってようやく力みを入れる。まるで爆発するかの如く、瞬時に筋肉が、風船のように膨れ上がるイメージでもって、男は突きの直撃するその瞬間だけに全ての筋力を総動員する。
ウッドナイフの破壊力は、速度と重さにより決定される。柔軟な、脱力状態からの一撃は速度こそあるものの、手先だけの重量が衝突するだけに過ぎず、このままでは大した威力を発揮することは無い。
しかし――打撃の瞬間に力み、腕を、全身を一つの打撃武器と化すことにより、この一撃の重量は全身の体重がそのまま相手に伝わる。
更には、力むことでより強く大地を踏み込み、結果ウッドナイフが直撃した瞬間の、反動による反発力を抑え込み、より深くねじ込むような一撃と化した。
即ち――先程の男の突きとは比べ物にもならないほど速く靭やかで、しかし直撃の瞬間重く堅い一撃が、ジェネラルゴブリンの眼球を襲撃することになる。
男の腕が――ウッドナイフが、ぐしゃり、と果実の潰れるような音を立て、ジェネラルゴブリンの眼球を深く貫き通す。
ウッドナイフの全体どころか握る男の拳までがジェネラルゴブリンの眼孔に深く突き刺さり、その先端は確実に脳髄へと届き、致命的な破壊が起こっていた。
ジェネラルゴブリンの巨躯が、ビクリ、ブルブルと反射的に震える。
それを最期に――ジェネラルゴブリンは活動を停止した。
男の勝利である。