02 異形の習性
男が最初に実行したのは、拠点の確保であった。
理由としては、まず己が異形の怪物――名付けるなら、ゴブリンとでも呼ぶべき存在の群れの中でも下位に属している為である。
男の記憶から得られる情報を整理すると、どうやらゴブリンの群れは下位の存在を利用し、上位の者の生存を助けるという構造をしているということが分かった。
例えば、外敵に群れが襲われた時、戦う力の無い子供や弱いゴブリン、老いたゴブリンを餌として置き去りにして、強く若いゴブリンが真っ先に逃げ出すといった行動が幾度となく見られた。
つまり、群れとしての生存の為に、弱い個体を切り捨て強い個体を残そうとする戦略を取っている。
これは即ち、男もまたいつか道具のように使い捨てられ、利用され、生き餌として死んでゆく可能性が高いことを意味している。
当然、それを是とするはずもなく、男は群れからの脱走を図った。
幸い、餌となる植物、果実の類は記憶の中にある為、安全な寝床さえ確保してしまえば一人で生きることはそう難しくないように思えた。
夜の闇に紛れつつ移動し、偶然見つけた大木のウロの中に身を隠して初日はやり過ごした。
その後は夜明けと共に再び移動を開始し、運良く水場を見つけた。岩壁の割れ目から湧き水の流れ出る岩場で、小さな水溜りも出来ている。他の生き物がこの場所を利用しているような足跡も無く、非常に都合が良い。
しかし、幸運はここで終了した。
男が寝床に出来そうな場所を探して岩場の周囲を探索している正にその時、近寄る者が居た。目を凝らして見れば、それは男が所属していた群れの兄弟達であった。
計三匹のゴブリンは、鹿に似た姿をした生き物を追い回しており、恐らくは狩りの途中である。
だが――その内の一匹が男に気付いた様子で動きを止め、指を向けて声を上げる。それに釣られたように、他の二匹も男の存在に気付き、狩りを止めて近寄ってくる。
――居場所が群れの奴らに知られるのは、まずい。
ゴブリンの群れは、上位のゴブリンが絶対である。故に、群れを抜け出すといった勝手な行動は許されない。
つまり、こうして男が一匹きりで群れから抜け出していることを認知されるわけにはいかないのだ。
瞬時に男は――覚悟を決め、そして三匹の兄弟ゴブリンを迎え入れる。
こっちに来い、という意志が伝わるよう、身振り手振りで三匹を呼び込む。何かあるのだろう、と気に掛けたようで、三匹は何一つ疑うことなく男の方へと近寄ってくる。
そして男は、三匹を湧き水の岩場へと案内した。新たな水場が見つかったことを喜んでいるのか、三匹は手を上げ、叩いて喜びを表現した。そして、三匹揃って我先に、と小さな水溜りに顔を付け、ごくごくと水を飲み始める。
その様子を――男は背後から見遣りながら、ニヤリと醜悪な笑みを零した。
三匹がそれぞれ手にしていた武器、棍棒は、今や水に夢中になるあまり地面にそのまま投げ出されている。これを男は一つ立派な形のものだけ拾い、残りの二つはそっと茂みの中に隠した。
そして男は背後から兄弟に近づき――その後頭部に、力強く棍棒を振り下ろす。
ゴッ、と鈍い打撃音。打たれたゴブリンの後頭部は明確に凹んでおり、明らかな致命傷を受けていた。
突然の出来事に、混乱しつつも残る二匹のゴブリンは飛び上がる。そして武器となる棍棒を求めて手を伸ばし……何も無いことにより、さらに困惑する。
無論、この隙を男が逃すはずも無く、続く第二撃がゴブリンの側頭部を襲う。ゴリッ、という音と共に、頭部が陥没する。
これで三匹居たゴブリンは残り一匹となり、状況は男の圧倒的優位となった。最早、最後の兄弟は戦意すら失っており、ただがむしゃらに腕を振りながら、どうにか逃げる機会が無いかと画策している。
だが、男が逃走を許すはずも無く、無慈悲にも棍棒がゴブリンの顔面を捉え、グシャリと音を立てて陥没させる。
こうして男は、同じ群れの中に生まれた兄弟たるゴブリン三匹の殺害に成功した。
この時、男の胸中に渦巻いていた感情は、兄弟を殺してしまった罪悪感でも、命を奪ったという事実に対する嫌悪感でも無かった。
あったのは――ただひたすらに純粋な、爽快感。
己こそが勝者であると、一匹の生命体として優位に立つ存在であると証明出来たことへの快感。
それが男の脳内を駆け巡っていた。
この時、男の中で決意は明確に固まった。
再び生を受けた以上、今度は勝利のみを、暴力による頂点のみを目指そう。
その結果――例え親兄弟を殺すようなことになろうとも。己が生存し、勝利するためであれば一切躊躇わない。
どのような手段を使ってでも生き残り、勝ち抜き、己ただ一人のみが絶対の勝者であると証明し続けよう。
それこそが――俺が生まれ変わったことの意味。
男はそうやって、ゴブリンとしての今生に思いを馳せた。