06 変化
そうして――二人の共同生活が始まって、最初にカワードが教わったのは、流暢な言葉の扱い方であった。
何をするにも、片言の言葉では意思疎通に苦労する為、その手間を二人が互いに惜しんだため、初期は言語の習得に時間を集中的に費やした。
カワードの日課らしき鍛錬、訓練を行ったあとは、一日の殆どを言語習得の為のコミュニケーションに使う。様々な日常会話を交わし、その過程でキャサリンはさらにカワードという人物の人となりを知ることとなる。
カワードが語ったのは、前世の記憶というもの。この世界とは異なる、魔物も、魔法も無いという不思議な世界で、カワードは人間として生活し、莫大な資産を一代にして築き上げた、人生の成功者であった。
しかし、幼少期に味わった敗北、暴力に屈したという経験が忘れられず、死の間際に、生まれ変わりがあるのなら、次こそは決して暴力に屈しないように、より強き者になりたい、と願ったそうな。
その記憶、異世界での人生というものにどの程度の信憑性があるものか、キャサリンには判別がつかないものの、それがカワードという人物の哲学を作り上げる礎となったということだけは確実であった。
そして、そうした敗北経験に対する強い怒り、自分自身への遣る瀬無さ等、複雑な感情を理解しているからこそ、男達の暴力に屈しようとしていたキャサリンへと同情的になったということも理解できた。
要するに、キャサリンの恐怖、男達への恐れそのものを克服するには、ただ時間が心を癒やすことを期待するのではなく、自らを鍛え、暴力で相手を上回る必要があるのだと、カワードは考えていた。
その考えに、キャサリンは理屈としても、感情としても同意出来た。実際、自分を裏切った冒険者の男達を殴り飛ばすことが出来れば、決して屈しないだけの力さえあれば、もう二度と恐れる必要は無いだろう、と感じていた。
また、カワードはキャサリンのような素人だからこそ、本格的に戦う術を、武術を習うことでより確実に、より冷静に危機的状況に対処可能になり、その対処可能性がまた心の余裕を生み、実際に危険と対峙したときの安全性、冷静さを確保するのだとも語った。
武術を学ぶということは、即ち心の成長により危機的状況を打破する、という要素も含んでいるのだ、という話であった。
そうした話に納得してから、キャサリンはカワードの日課である訓練に付き合うようになる。
とは言えども――実際にキャサリンが、カワードと全く同じ訓練を受けるわけにはいかなかった。
まず、カワードと比べてキャサリンが圧倒的に素人であるため、下手に過酷な訓練を行えば逆に負傷したり、悪い癖が付く可能性があること。
そして何より、カワード自身が余りにも人間離れした能力を獲得しており、それと同等の訓練を行えば、単なる人間の女性に過ぎないキャサリンでは拳や身体を壊すだけになりかねないということから、訓練の内容自体は別ものをカワードが用意した。
例えば、カワードの日課の一つに拳の部位鍛錬というものがある。日本では空手等の武術の中でも見られる考え方で、拳という肉体に宿る部位を鍛え上げ、より堅く、より鋭い武器へと仕上げることで、殺傷力、あるいは破壊力を高めるという考え方である。
当然、その鍛錬の中には非科学的なものもあるにはあるのだが……カワードの場合は、ゴブリンという種の特性が幸いし、全くの無意味とはならなかった。
最初は砂への拳の突込から始まり、やがて樹へ、石へと対象が変わり――今では、森の各所から拾い集めた鋭い金属片を詰め込んだ穴の中に拳を突き込むようになっていた。
無論、これをキャサリンが行えば一撃で拳がズタボロに引き裂け、血まみれとなって終わる。だが、カワードの場合はゴブリンの環境適応力もあって、そうした鋭い金属片にも負傷しないほどに、皮膚が頑丈に鍛え上げられていた。
そうした理由から、カワードが部位鍛錬を行っている間、キャサリンには砂を使った部位鍛錬を行うように指示を出す。さらに拳では無く、掌、手の甲、そして指を砂に突き込む、というよりシンプルで、拳に負担の掛かりづらい鍛錬を要求した。
キャサリンはこれに従い、素直に砂場へと手を突き込み、部位鍛錬を実行した。
そうした鍛錬の対価として、キャサリンは言語の習得の手伝いだけではなく、簡単な生活魔術も教える。
カワードは飲み込みが速く、一月もすれば全ての生活魔術を完璧に習得し、かつコミュニケーションに必要最低限の言葉の流暢さまで獲得することとなった。
そうした最低限の訓練と、言語習得の日々に一区切りがついたある日――遂にカワードはキャサリンに向かって提案する。
狩りを見に来ないか、と。
実際にカワードが魔物を、食用の生物を武術で仕留める様を見せつつ、キャサリンにより詳細に武術を教えよう、という提案であった。
キャサリンは、この提案をすぐさま受け入れた。実際に、キャサリンもまたカワードの武術というものがどのようなものなのか、どういった理屈で展開されているものなのか、という部分に興味が出て来ていたのだ。
そうしてこの日――キャサリンを同行させての、初めての狩りが行われることとなった。




