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01 死して尚




 良い人生であった――と、男は思いを馳せ、薄弱な己の呼吸が更に弱まり止まるのを感じていた。

 齢八十数年にして、男は自室のベッドの上で、いよいよその人生に終止符を打とうとしている。最早目も見えぬ状態ではあるものの、周囲には確かに男の息子家族が、孫が居ると確信しており、見守られながら逝くのは悪くない、等と考えていた。


 男の人生はそう珍しくは無い程度の、成功者に分類されるようなものであった。一代にして起業し、成功を収め、金銭的にも何不自由無い人生を送った。友人、家族にも恵まれ、三年前に先立って逝った妻も良く出来た女であった。

 後悔などある筈も無く、男は間違いなく、満足のゆく人生を全うしたのだ。


 しかし――それでも尚、男の脳裏にこびりつき離れることの無い、忌まわしき記憶があった。

 それは幼少の頃、未だ男が少年というよりも、幼児と呼ぶ方が近い年齢の頃の出来事であった。近所に住まう体格の大きな同年代の子供と、喧嘩をしたという只それだけの思い出。

 結果は敗北、体格差故の暴力に屈した記憶が今でも残っていた。


 悔しい、許せない、という煮え滾る感情が男を支配した。だが、暴力で歯向かおうとも返り討ちに遭うことは必至であり、怒りは別の形で発散するしかなかった。

 結局、男はその子供よりもよほど勉強に励み、良い学校に進学し、そして人生における成功を収めた。そういう意味では、勝利したと言っても良いだろう。


 だが、男の悔しさ、脳裏に滲む敗北の味が消えることも、薄れることも無かった。あの時、幼い頃の敗北が、暴力に屈したという経験が、癒えることの無い傷を心に刻んだ。

 どれだけ勉学で秀でようとも、あの暴力に、拳に屈して味わった敗北感というものは、決して消えることが無かったのだ。

 自分は負けてなど居ない、今や人生の勝利者である、と理屈を唱えたところで、少年期に味わった敗北感は消えず、強く望んだ勝利の実感は一切得られることが無かった。


 故に――男は、最期に願った。

 願わくば――もしも次の人生があるのならば、今度こそは決して敗北を許すことなく、誰よりも強く生きよう、と。


 そうして男は、息を引き取った。



 ――次に男の意識が覚醒したのは、深い森の中であった。


 何故こんな場所に、という疑問もあったが、それ以上に男を困惑させたのは身体に漲る活力であった。

 手足が思い通りに動き、縛られたような負担感も無い。老齢の人間の肉体とは思えないほど、健康的なエネルギーに満ちあふれていた。

 不思議に思い、男が手足を眺めると――そこにあったのは、緑色の皮膚。


 到底人間のものとは思えない色合いに、男は困惑した。そしてようやく、男は己が死んだことを、そしてこの肉体に『生まれ変わった』ことを理解した。

 冷静に、よく思い返してみれば、男にはこの肉体になってからの記憶もあった。薄く、ぼんやりとした記憶であり、意味もとりとめもない断片的な情報に過ぎなかったが、しかし男が己の状況を理解するには十分なものであった。


 まず、男はこの肉体――緑色の皮膚をした、異形の存在に生まれ変わったのだろうと推測した。記憶を辿れば、異形の存在として生まれ、同様の異形に育てられた今日までの日々が思い返される。

 そうした情報から、男は自分が異形として生を受け、何の因果か今日この時、かつての記憶、人生、人格が蘇ったのだろうと推測した。


 そしてもう一つ――男が生まれ変わった世界は、おそらく地球上のどの地域でも無いということが理解できた。

 男の肉体、緑色の異形は地球上に存在する生物に該当するものが存在せず、同様に異形として生きていた記憶の断片の中にも、地球上の生物とは思えぬ様々な異形の姿があった。

 故に男は、己が異世界の化け物として生まれ変わったのであろう、と納得せざるを得なかった。


 思考が纏まるまでに、男は小一時間ほど要することとなった。その為、気付けば森の闇が深まり、日が沈む頃合いとなっていた。

 しかし、それだけの時間を掛けて思考を整理した甲斐もあり――男は冷静に、己が何をするべきか考えることが出来た。

 いいや――正確には『思い出すことが出来た』と表現する方が良いだろう。


 男は、醜悪な異形の怪物の顔を歪め、ニヤァと笑みを浮かべた。

 その笑みに込められた意味は、歓喜であり、またある種の殺意でもあった。

 まさか、本当に生まれ変わることがあろうとは。再び生を受けることが出来たという事実への歓喜。


 そして何より――今度こそ、かつて渇望して止まなかった勝利を求められるという幸運への歓喜。

 それに伴い、己以外の全ての生命に対して向ける殺意。


 そういった感情が溢れるあまり、男は笑みを零したのである。



 やがて男は暗闇に紛れるようにして、その場から姿を消した。

 死して尚、消えることの無かった少年期の羨望――勝利を求めて。

久々の投降、新作になります。


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