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僕達は、頭を上げることが出来ない⑥

 結局しっかり働いて、夕方のアイドルタイムを迎えた。朝からオールでここに居るので、暇になったこの時間に帰宅することになった。


 ひーちゃんは、浮かない顔の店長と、空元気の私を見て何かを察したらしく、いつも以上に動いてくれた。本当に出来る子だ。出来る子。


「坂田さん上がりっすか? お疲れ様です」


 暇になった時を見計らい、ひーちゃんが休憩室にひょっこり顔を出した。


「お疲れ。ごめんやで、急に抜けて」

「なんかあったんでしょ」


 疑問形ではなく、もう確定した事実を問い詰めるような言い方。私は苦笑いした。


「ひーちゃんにはほんま敵わんな」

「顔色見るんだけは上手いんすよ」


 ひーちゃんはそう言って、舌を出した。この人懐っこさは、私には無い。


「ちょっとね、クレーム処理」

「それ店長の仕事じゃないんすか」


 うーん、と言いながら、変な空気を作りたくないな、なんて考える。もし、あったことを馬鹿正直に話してしまえば、ひーちゃんもハルちゃんのことを『そういう子』として見てしまうだろう。それは悪影響だ。仕事場全体の、雰囲気的に。


「私に対するクレームやったから、一緒に謝りに」


 そういうことにした。大体合っているし、間違ってもいないだろう。ひーちゃんはちょっと考えるように難しい顔をした。


「珍しいっすね、坂田さんにクレームなんて」


 まあね、と私は答える。


「まあ、無事終わったんならよかったっすけど。あ、お客さん来たんでいってきますね。お疲れっす」


 ひーちゃんは後ろを振り向き、急いで休憩室から出て行った。今度はいつひーちゃんとご飯に行こうか。そんなことを考えただけで、少し気持ちが軽くなった。


 家に帰ろうと鞄を持ち上げた瞬間、昨日の夜優樹に言われた言葉を思い出した。そういえば、出て行けって言われたっけ。すっかり忘れていた。浮かしかけた腰を、もう一度下ろす。優樹の怒りが収まるまで、どこかに泊まった方がいいかもしれない。スマホを取り出した時、休憩室ががちゃりと開いた。


「……おはようございます」


 丁寧に頭を下げたのは、高橋くんだった。いつもながら、真っ直ぐに切りそろえられた前髪。指紋の一つさえついていない、黒縁眼鏡。


「おはよう、高橋くん」


 高橋くんはもう一度会釈して、私の向かいにあるロッカーに鞄を入れた。


「上がりですか」

「まあね」


 そう言いつつ、私は時計を確認した。三時半。


「高橋くん今日何時からなん」

「四時からです」

「めちゃくちゃ早く来たな」

「学校終わってすぐ来たんで」


 テキパキとバンダナを巻く高橋くんの手を眺める。


 今日はどうしようか。実家に帰るのも気が引ける。多分変に心配をかけてしまうだろう。結婚するかもしれない、なんて期待をさせたままもう五年が経とうとしているのだ。今更実家に一人で帰るほど、私は強くない。


 そうなればやっぱり、どこかのホテルに泊まるしかないだろうか。懐が痛いが仕方がない。その辺のビジネスホテル、なんならカプセルでもいいかもしれない。もしくは、ネットカフェか漫画喫茶で一日過ごすのもいい。そういえば、二年前にハマっていたあの漫画の続きが、気にならないこともない。最有力候補は漫喫かな。


「……帰らへんのですか?」


 ふと我に返ると、怪訝そうな顔でこちらを見ている高橋くんがいた。


「え、あ、もう帰るよ」


 急いで鞄に腕を通した。くそ真面目な高橋くんのことだ。女性と二人きりというこの空間が、何か嫌だったのか。慌てて立ち上がろうとすると、高橋くんがすとんと何故か向かいに座った。


「なんか家に帰りたない理由でも?」


 え、と思わず声が詰まる。いや、帰りたくない訳ではなくて、帰ってくんなと言われたからで。


 いや、でも、帰ってくんなと言われても、帰りたければ勝手に帰ればいいだけの話だ。だって私の家だから。それなのに、私はすんなり受け入れて、帰る気は微塵もなかった。既に次の行き場を探していた。


 もしかして、私は帰りたくなかったんだろうか。


「理由あるんですね」


 高橋くんが言う。


「ん……まあ」


 曖昧に笑った。高橋くんの無表情を見ていたら、もう全て見通されている気がした。隠しても無駄であるような、そんな気もしていた。


「まあでも、どっかに泊まったらええかなーって。ほら、今はホテルとかも安く取れるし」


 私は、さっきまで見ていたスマホの画面を高橋くんに見せた。安い近くのカプセルホテル。


 さっと見せてさっと引っ込めようとしていたのに、出来なかった。予想以上に高橋くんが食いついたからだ。


「ほんまに、安いんですね」


 高橋くんは、身を乗り出すようにしてスマホを覗き込む。


「え、あ、うん。せやろ」


 思わぬ食い付きに驚きつつ、私は高橋くんにスマホを手渡す。高橋くんは画面から目を離すことなく受け取った。


「なんか、そんなに気になった?」


 聞いてみると、高橋くんはちらりとこちらを見た。


「もしかしてやけど、高橋くんも家に帰りたくない理由があったり?」


 からかうつもりでそう言ってみる。が、高橋くんからの返事は無い。真面目君には冗談は通じないのだろうか。小さく聞こえる、休憩室の冷蔵庫のモーター音。気まずい沈黙が周りを取り囲んでいる。


「……とか言ってみたりして」


 苦し紛れに、沈黙を埋め尽くすように続けた。高橋くんの返事は無い。あぁ、やはり馬鹿とは話したくないんだろうか。確かに私はそんなに頭がいい訳じゃないけど。でもここまで露骨だとやはり少し悲しくなる。


 もう一度高橋くんの顔を見る。黒縁眼鏡。真っ直ぐに、それはもう定規を当てて切ったのではないかというくらい切り揃った前髪。ふと手を見ると、スマホの液晶の上空を行ったり来たりしている。


「……あ」


 ようやく、高橋くんが話さない理由を悟る。そういえば、高橋くんの携帯はガラケーだった。


「あ、ええよ、それ液晶タッチして、下にスーッとスクロールして」


 高橋くんがこちらを見て、おずおずと画面をスクロールする。


「すいません。自分のタブレット以外は触ってはいけないもんやと教えられてまして」


 ああ、なるほど。この一言で、色んなことを察知できる。それが大人だ。彼はガラケー以外にタブレットを持っていること、だからちゃんと操作方法は知っていたこと、親はタブレットを買い与えてやれるほどの経済力があること、そして、他人の物は触るなという言い付けに固く従っていること、固く従わなければならないある程度の理由があること。理由はどうあれ、可愛いところもあるじゃないかと思わず微笑む。


「一泊三千五百円から……」

「そうそう。まあその代わりめちゃくちゃ狭いけどね。寝るだけのホテルやから」


 高橋くんの持つスマホをスクロールして、客室を見せる。ひと一人が横になれるだけのスペースに、食事はついていない。


「でも、寝る場所さえあれば十分ですね」


 高橋くんが言う。


「そうそう。十分やで」


 私は高橋くんが両手で返してくれたスマホを受け取った。


「まあそういう訳やし、今日はホテル探すわ。お疲れ」


 時計が高橋くんの始業時間を告げようとしているのを見て、私は立ち上がった。


「俺も行こかな」


 ぽつりと高橋くんが呟いた。


「そやなあ、そろそろ時間やし」

「いえ、そうじゃなくて」


 ドアノブを回そうとした手を止める。


「俺も、家出しよかな」


 すっと高橋くんが、こちらを向いた。黒縁眼鏡の向こう側。真っ直ぐな目がある。目が合う。


「……え?」


 訳も分からず、動きを止めた。休憩室に流れる異様な空気。高校生と見つめ合うアラサー。頼むから誰も入ってこないで欲しいと願った。


「一緒に、逃げません?」


 無機質な関西弁。ドアノブの冷たさ。ぼんやりとした静けさ。肩から滑り落ちる、懸賞で当てた軽い鞄。


「僕、今日九時までです」


 高橋くんが立ち上がり、唖然としている私の目の前に歩いてくる。私が握っているドアノブに、高橋くんが手をかける。回す。私の手と高橋くんの手が、同時にドアを開く。


「ほな九時に、駐輪場で」


 高橋くんが静かに言い、目の前を横切って出て行く。私は、氷漬けにされたようにドアノブを握ったまま動けない。


 九時に、駐輪場。一緒に逃げる。何度か彼の言葉を反芻する。分からない。どういう意味なのか分からない。彼の心の中身が分からない。一緒に逃げる、何から? 私は一体、何から逃げるんだ? 彼が逃げたい物ってなんなんだ? というより、彼は一体何を考えているんだ?



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― 新着の感想 ―
[良い点] 職場でのことといい、彼氏のことといい、実感のこもり方が抜群で気づいたらお話の中にのめり込んでいました。 全てに疲れたような閉塞感やちょっと投げやりになっている感じにリアリティがこもってて、…
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