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僕達は、頭を上げることが出来ない③

 高校生の高橋くんは、十時には既に帰っていた。私とひーちゃんは、ラスト三時までホールにいて、三時半にようやく掃除が終わった。


「……吉瀬、ほんま使えませんわ」


 出勤した時よりげっそりしたひーちゃんが言う。


「うーん、どうしたらええんやろね」

「自分の作りたいやつから作るって何なんすか、どう思います?」


 バンダナを解いたら、つやつやの髪が飛び出した。ピンク色のメッシュが揺れる。


「それで怒られんのこっちっすよ。めちゃくちゃお客さんに怒られてもうたし」


 少ししょぼんとしたひーちゃんを見て、思わず笑ってしまう。こういうところが、愛される秘訣なのだろう。


 吉瀬くんは、ひーちゃんと同い年のキッチンの男の子だ。ひーちゃんの一ヶ月前に入ったにも関わらず、未だに伝票の文字が読めないらしい。ひーちゃんが怒っても、自分の方が先輩であると反論し、聞く耳を持たない。店長も手を焼いているが、人が少ないからクビにも出来ない。


「焼き鳥焼くの嫌いやからって、先に唐揚げ揚げる馬鹿がどこにおんねん」


 ひーちゃんは舌打ちをする。吉瀬くんは、少々自分しか見えていないことが多い。

 ぶつぶつ文句を言いながら着替えるひーちゃんを横目に、私はスマホの電源を入れた。


「うえ」


 思わず可愛げの無い声が出た。


「どうしたんすか?」


 どうしたんすか、と言いながらも、多分大体の内容を察したであろうひーちゃんが眉間に皺を作った。多分ひーちゃんの予想は当たっている。私は無言でスマホの液晶をひーちゃんに向ける。


「うげえ」


 ひーちゃんも可愛げの無い声を出しながら舌を出した。

 液晶には着信を告げる通知がずらりと並んで、ロック画面を埋めつくしている。


「面倒臭い奴っすね、マジで」


 どちらともない苦笑を返して、私は電話をかけ直す。更衣室を出る時に、これやからメンヘラ男は、というひーちゃんの呟きが聞こえた。ひーちゃんの元彼は、確かメンヘラだった。


 更衣室のドアの向かいの壁に背中をつけて、電話を耳に当てる。背中が冷たいのは、多分コンクリートのせいだけではない。


『……もしもし』


 優樹の不機嫌そうな声がする。


「もしもし、なんかあったん?」

『なんかあったん? やないやろ』

「ごめん」

『はよ帰ってこいや、ちょっと話ある』


 頭の中で、トンカチがガンガン振り回されている気がする。


「何やねん、話って」

『ええからはよ帰ってこい』


 ぶちんと電話が切れた。そんだけの用事に、こんなにずらっと着信残しとく意味がどこにあるんや。それも押し込む。積み上げた、心の段ボールの中。


「……坂田さん」


 更衣室のドアが開いて、ピンクのメッシュが覗いた。


「今日も飯、無理そうっすね」

「そやなあ」


 はは、と笑った。


「坂田さん、笑い声乾き切ってるっすよ」


 ひーちゃんが言った。二度目に、そやなあ、と答えながら、なんかどうしようもなく泣きたくなった。


「絶対今度飯行きましょうね」


 別れ際、ひーちゃんが念を押すようにそう言った。原付で走り去るひーちゃんを見送って、私も原付に跨った。


 家に帰ると、リビングの電気が付いていた。恐る恐る、ドアを開ける。


「ただいま……」

「座れや」


 ソファの上に、優樹が座っている。言われるがまま、私も座る。ソファの下。優樹に見下ろされる形で。


「お前さあ」


 一言目の台詞は、大体予想していた。でも、今更説教されたってどうしようもないじゃないか。


「ほんまにこのままでええと思っとんの?」


 そんなわけないやろ。小さく呟く。このままでええわけないやろ。だから早くあんたも、言ってよ。私の欲しい言葉。あんた次第やんか。


「悪いけど、俺もう限界やねん」

「うん」


 何が『うん』なんだろう。優樹が大きなため息をついた。頭の中でトンカチを振り回していた何かが、小さく舌打ちをして座り込んだ。ため息をつきたいのは、こっちなのに。


「別れよ」


 吐き捨てられた言葉に、え、と顔を上げた。


「もう別れよ。こんなんずるずる続けてられへん」


 優樹は淡々とそう告げた。真っ直ぐにこっちを見ている。まるで、『どうや、言うたったぞ』とでも言うように。真っ直ぐな優樹の視線と、私の呆けたような目線が交差する。


 何のドヤ顔やねん。別れ切り出しといて、どんな表情してんねん。これが毎度優樹が言っている『男らしさ』なんだろうか。色々言いたいことはあったが、どれも口を開くと酸素に溶けて消えてしまう。今までずっとそうやってきたからだ。結局、私は口を開けたまま優樹を見つめる。ドヤ顔だった優樹の顔が、少しづつ怪訝な香りを漂わせ始める。


「……なんか言えや」

「いや、だって」


 あまりにも、間抜けで。お前のそのドヤ顔が。そんな事をこの私が言える訳もなく。だって、と言ったきり何も言わなくなってしまった私を見て、優樹が苛立ったように舌打ちをした。


「もうええ。とりあえず今日は寝ろや。明日話すぞ」

「何を」

「何を、ちゃうやろ。お前さあ、ほんまに何しとるか分かってんの?」


 地雷だ。また地雷を踏んだ。腰を浮かしかけていた優樹が座り直したのを見て、私は頭の中で大きくため息をついた。正直、昨日も今日もろくに眠れていないので睡魔はピークに達している。その上今日は新人のハルちゃんの世話で頭を使ったため、もう思考回路がパンク寸前だ。


「ほんまにええ加減にせえよ。俺がどんだけ我慢してるか分かってへんのか」

「我慢って」

「ああそうか、お前はそうやってずっと俺の事馬鹿にしよるもんな」

「馬鹿になんかしてへんよ」

「は? じゃあ何やって言うねん。自分は肩書きあって、ご立派に大学も出て、料理も出来て、俺みたいなヒラの世話も出来るもんな」

「そんなひねくれたこと言うなや」

「事実やろが。私はお前とは違うしって、心のどっかで見下しとんのやろ」

「ごめんって、そんなんちゃうやん」

「謝る言うことは心当たりあんねやろが。もうええ、お前とは口利きたない。出て行けや」

「ちょ、待って、出て行けって」

「出て行け!」


 ここ、三分の二は家賃私が出しとんのに。お前の方が稼いでる月もあるし、俺は会社の接待とか行かなあかんから家賃多めに出しといてくれって、言うたのに。多分大声で威嚇したように見せかけて、出て行けと言ったあとでその事を思い出したんだろう。つくづく女々しい奴だ。


 仕方なく、リビングを立って風呂に入った。油臭い髪の毛を、三回洗った。風呂から出てリビングに行くと、優樹はソファで寝ていた。寝室から布団を持ってきて掛けた。でもなんか悔しくて、わざと足が少し出るようにして掛けた。


 寝室の壁際のタンスの中の通帳を出してみた。百万円溜まっている、『結婚資金』という名の口座。入金記録は、給料日に一定額ずつ振り込んでいる私の名前しかない。優樹は、一体どうしたいのだろう。優樹もただ、後に引けなくなってしまっただけだろうか。恋とか愛とか、そんな面倒な事を考える余裕はもう無いし、考えたくもない。胃もたれがするから。それはもしかすると、優樹も一緒なんだろうか。そうだとすれば、私達は一体どういう関係なんだろうか。


 出て行けと言われたのが悔しかったから、通帳と印鑑を鞄に入れた。私が本当に出て行った時、通帳が無いのに気付いて焦ればいい。これくらい許されるだろう。第一、私の金しか入ってないし。


 リビングに背を向けて布団に潜り込む。静かな部屋の中で、心臓の音だけが響いていた。

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