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僕達は、頭を上げることが出来ない②

「おはようございます」


 バイトのひーちゃんが、更衣室に入ってくる。


「おはよー」

「……坂田さん、目の下ヤバいっすよ」


 そうだろうね、と思う。結局昨晩は眠れなかった。その上、優樹と一緒に起きて、朝食を作り、ゴミをまとめ、優樹を駅まで送り、そのまま駅で夕飯と日用品の買い出し、夕飯を作って、そして仕事だ。


「寝れんかってん。そんなヤバい?」

「マジヤバいっす。マスカラ付けて泣いた後みたい」


 ひーちゃんが笑う。ひーちゃんは、ちょっと敬語が下手だが仕事は出来る大学二年生である。茶髪にピンク色のメッシュという今時珍しい髪型をしているけど、バンダナで隠れるからよしとされている。


「また彼氏のせいすか? さっさと別れたったらいいんすよ」


 ひーちゃんは言う。私はよく、優樹の愚痴をひーちゃんに零す。ひーちゃんは、聞いているようで聞いていないようで、やっぱりちゃんと聞いている。だから信用している。ちなみに今ひーちゃんに彼氏はいない。


「うーん、そうは言うてもさあ」

「あれでしょ? どうせもう十年も付き合ってしもたから、引くに引けんようになってるんでしょ?」


 耳のピアスを次々に取りながら、ひーちゃんは言う。図星すぎて言葉に詰まる。引くに引けない。全くその通りだ。


「もったいないっすよ。そんな男に二十年も使うんは。坂田さんええ人なんすから、もっとええ人捕まえな」

「捕まえる、いう歳でもないねんなあ」

「そんなネガティヴなことばっか言うててどうするんすか。マジで出遅れますよ」


 ひーちゃんはたまに口が悪い。


「厳しいこと言わんといてえや」

「厳しく言わんと、坂田さん気付かんでしょ。あ、そうそう」


 バンダナをつけ終えたひーちゃんが、ぱちんと手を鳴らした。


「こないだ入った新入り君おるやないですか」


 私は、エプロンを付けながら考える。新入り。そういえばいたような、いなかったような。


「あー、いたっけ」

「まあキッチンの子っすから、フロアの坂田さんはあんま知らんかもしんないっすね。キッチンに入ったんすよ、期待の新人」


 期待? 私は問う。片手でタイムカードを押す。ついでにひーちゃんの分も押す。


「すげえっすよ。めちゃくちゃ皿洗い早いっす」

「へえ。どんな子?」

「どうも、新聖の子らしいっす」

「新聖高校? めちゃくちゃ頭ええんやな」

「頭ええと、皿洗いも早いんすかねー。マジ、吉瀬の奴に爪の垢煎じて飲ませたいっすよ」


 ため息混じりにひーちゃんが言う。


「まだ慣れてこやん感じなん、吉瀬君」

「慣れる慣れやんの話じゃないっすよ。……ちょ、今日晩ご飯行きません?」


 ひーちゃんは眉間に皺を寄せた。だいぶ溜まっているようだ。ファミレスでも行くか、と言いかけて、やめた。


「あー、ごめん。今日ははよ帰らんと」


 あー、とひーちゃんが言う。どうも察してくれたようだ。


「ごめんなあ」

「ええっすよ。また今度行きましょうよ。でもマジ、坂田さん彼氏と一回別れた方がいいっすよ」


 言い終わるか終わらないかの間に、ひーちゃんはホールに出て行った。元気なおはようございますの声がキッチンに響いている。こういうメリハリのあるところが、ひーちゃんの魅力なのだろう。


 魅力、かあ。誰に言うでもなく呟いてみる。私の魅力って、何だろう。優樹の魅力って、何だったっけ。


「……おはようございまーす」


 無理に仕事スイッチを入れて、それをかき消す。考えたって仕方が無いし、考えてはいけない。私の発した挨拶は、馬鹿みたいにキレが無かった。


 ---


 休憩室に入ると、先客が居た。テーブルにペットボトルのお茶が置いてある。その前のパイプ椅子に、ぴんと背筋を伸ばして座っている男の子。黒縁眼鏡に、真っ黒い髪の毛の、足の長い男の子。


「あ、えっと……新人の子やっけ」

「はい。高橋です」


 男の子、高橋くんは頭を下げた。


「新聖高校の、キッチンの、期待の新人くん」

「照れます」


 そう言う高橋くんは笑わない。ぴっしりとアイロンのかかったコック服。ここのキッチンでこんなに綺麗なコック服を着ている人は誰もいない。切り揃った前髪が、いわゆる『ええとこの坊ちゃん』感を醸し出している。


「あの」


 高橋くんが、じっと私を見つめて口を開いた。


「どしたん」

「先輩って、損ですよね」


 思わず動きを止めてしまった。突然の爆弾発言。ええとこの坊ちゃんは、オブラートという言葉を知らないのだろうか。それとも、賢いなりに色々考えた末の台詞なのだろうか。


「……損って?」


 驚きつつもどうにかこうにか声を絞り出し、私もパイプ椅子に座った。休憩時間は一時間。でも、十五分前には用意をして、五分前にはホールに出ていなければいけない。そういう暗黙のルール。


「損な性格やなあって、思います」


 はは、と、思わず乾いた笑い声が出た。


「高橋くんもそう思うん」

「『も』ってことは、先輩も自覚あるんですか」

「まあね」


 机に目を落としつつ、自嘲気味にそう答えた。ちらちらと、優樹の顔がちらつく。酒の入ったおじさん達の笑い声も。


「けどまあ」


 私は言う。


「そういうとこも含めて私かなあとか思たりして」


 わざとおどけて言ってみたが、高橋くんは笑わない。笑うとこやで、と言いたかったけど、言えない雰囲気だったのでやめておく。


「そうそう、ひーちゃんがこないだ高橋くんのこと褒めとったで」


 のっぺりとした空気を振り払うように、話題を逸らす。


 なんで私が損やと思うん? 聞きたかったのに聞けなかった。損だと思う理由なんていくらでも予想はつくけれど、初めて話す年下の異性にさえもそれが伝わるのが不思議だった。


「ひーちゃん……浅野さんのことですか」

「そうそう、浅野ひかる。よぉ覚えてたね」

「キャラが強いんで」


 確かにひーちゃんは、一度見たら忘れられないような見た目である。しかも声も大きいし仕事も出来る。本人自体は覚えやすいとはいえ、あだ名とフルネームをすぐに一致させるのはなかなか難しいことだ。


「名前覚えれるっていうんは凄いやんか。私よぉ覚えんのよ」

「そうですか」

「なんかコツとかあんの?」

「いや特には……今回当たったんもたまたまです」


 高橋くんは鞄を探り、携帯を取り出した。


「……珍しいね、今どきパカパカの携帯」

「まあこれで事足りるんで」


 そう言うと、高橋くんは携帯を弄り始めた。次に話す話題も無くなって、ふわっとした空気の中、私もスマホを取り出した。


 損ですよね。その声だけが、遠くの方でこだましていた。そうだね。損だね。華やかなSNSの投稿に、ハートを付ける。私だって、綺麗なカフェとかで働いてみたかったなあ、なんて思わなくもない。油の臭いとおじさんの煙草の臭いに囲まれて、零れた酒の臭いに塗れて、意味も無くただ働くこの感じ。なんて表現すればいいんだろうか。胸のどこかに、紐がきつく縛られている感じ。


「先輩」


 ふいに高橋くんが私を呼ぶ。


「どしたん」

「俺、LINEやってないんで。申し訳ないですけど、連絡先教えてもらっていいですか」


 これ、と差し出された懐かしくて画質の悪い液晶には、高橋くんの電話番号が表示されている。あ、そうなんや。そう答えて、スマホに電話番号を打ち込む。登録する名前を少し迷って、『高橋くん 新人』にしておいた。


「LINEやってなくて不便ちゃうの」

「なんでですか」

「友達とかみんなやっとるんちゃうん」

「ああ」


 最後の「ああ」は、まるで呆れているかのような声だった。鼻で笑ったような、溜息が混ざったような、そんな声。何か地雷を踏み抜いてしまったんだろうかと後悔する。


「そんなに友達と連絡取ることないんで」

「あ、そうなん」


 ごめんと謝るべきなのか、あえて謝らないべきなのかと考えて、結局何も言わないでおいた。そんな感じするね、とも言いそうになってやめた。


「じゃあ俺、もう行きます」


 高橋くんはそう言うと立ち上がり、パイプ椅子を畳んで壁際に立てかけた。ぱんぱんとコック服を叩き、微かについていた皺も伸ばす。


「頑張ってな」

「まだ皿洗いだけですけどね」


 靴を履き替えて、高橋くんは出て行った。全く彼の思考が読み取れなかった。今どきの男の子はみんなこんな感じなんだろうか、と少し苦笑いする。


「……馬鹿とは話が合わんのかなあ」


 何気なく呟いたその言葉が、意外と自分の心を抉っていった。

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