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僕達は、大人になることが出来ない⑤

 たこ焼き屋は小さな屋台で、学生達が放課後に立ち寄るのに丁度いい場所にあった。赤くて薄い屋根と、筆文字で『たこ焼き』と書かれた赤い提灯。少し無愛想な年配の男性店主。


「完璧すぎるな」


 口を衝いて出た言葉に、片手にたこ焼きのパックを持った高橋くんが、何がですか、と振り返る。ソースが刷毛でたっぷり塗られたたこ焼きは、まだ鉄板の熱を放っている。じんわりと熱いパックを右手と左手交互に持ち替えながら、私達は原付に腰を下ろした。人通りの少ない道の片隅に停めた原付は少し頼りない。


「ちょっと嬉しそうやね」


 いそいそとたこ焼きに楊枝を刺す高橋くんに、私は言った。


「嬉しいですよ」


 そう答えた高橋くんはやっぱり笑わない。ほんまかな、と苦笑しながら、私もたこ焼きを口に運んだ。じわりと熱い中身が下を焼き、ソースと鰹節の匂いが熱を帯びた息になって飛び出す。


 やはりほとんど話さないままたこ焼きは減り、残り一つになったとき、高橋くんが口を開いた。


「電話、せんでええんですか」


 忘れていた冷たい汗がまたじわりと滲む。


「……誰に?」


 唇についたソースを舐めて、苦し紛れにそう呟いた。勿論色んな人の顔は頭に浮かんだ。優樹、ひーちゃん、それから店長。だけどわざとしらばっくれた。今のこの時間が、ゆらゆらした夢のようで、きちんと足を付けずに歩いているようで、知っている人の名前すら口に出したくなかった。出してしまえば最後、今見ているのと同じ夢を見られなくなるような気がしていた。


「……いえ」


 高橋くんは少しだけ首を横に振った。


「何でもないです」


 空のパックはもう温かくない。多分高橋くんは、私の意図を理解している。電話をかけるという行為が、現実との境目を大幅に縮めてしまうことを知っている。


 私は最後の一つのたこ焼きを口に入れた。舌と上顎で球を潰す。舌の上に残る違和感。


 それでも、夢が潰れることを知っているにもかかわらず、高橋くんは電話をかけた。時代遅れのガラケーで、彼は一番かけたくないであろう人に電話をかけた。どうしてだろう。高橋くんはどうして、怒鳴られるのを承知で電話をかけたのだろう。


「……高橋くんは強いなぁ」


 苦笑しながらそう言う。その言葉に顔を上げた高橋くんは、首を傾げた。


「そうでしょうか」

「うん、強いよ。めちゃくちゃ強いと思う」


 私は立ち上がって、空になったパックを高橋くんの手から取り上げた。私のパックと重ねて輪ゴムで止め直し、なるべくコンパクトにする。


「すいません」


 私がゴミをまとめる前で手を右往左往させていた高橋くんが、しばらく迷ってからそう言って手を下ろす。言いたくなくても、口から出そうになる。何ていい子だろう。


「公園の時高橋くんが捨ててくれたから、今度は交代」


 もう一度頭を下げる高橋くんを背にして、私はゴミを捨てに屋台の方へ向かう。赤い屋根の屋台の横には、ゴミ袋をかけた青いバケツが置いてある。乱雑に投げ込まれたゴミの中に、手に持ったパックを捨てた。


「兄弟か」


 急に声がした。声のした方を向くと、仏頂面の屋台の店主がいる。主語が無いあたりも完璧だな、などと考えながら、手のひらを顔の前で振った。


「あ、いえ、兄弟というわけでは」


 言いながら今の不審すぎる答えを後悔した。かなり歳の離れた男女が平日の昼間に二人で、兄弟でもなく、そんな二人を世間はどう見るのだろう。


「兄弟ちゃうんか」


 不機嫌そうな店主のおじさんは、さらにそう言う。


「あ、はい。兄弟ではないです」


 もっとマシな言い方があるかもしれないが、今の私の語彙力じゃそうとしか答えられない。さっと兄弟だと嘘でもつけばいいのに、それすらも出来ない。ここで不審に思われて警察にでも連絡されたら、私達の逃避行は終わりだ。いや、終わった方がいいんだろう。こんなくだらないこと、やめてしまった方がきっといいのだろう。


 恐る恐るおじさんの顔を見る。


「……なんや、なんか用か」


 眉間に皺を寄せ、店主のおじさんはそう言った。不審がっている様子も無くさっぱりとした答えに、思わず硬直する。


「あ、いえ、なんでもないです」


 たくさん出してあった言い訳の言葉を頭の中に散らかしたまま、私は会釈した。右手と右足が一緒に出てしまわないように、それだけを意識して踵を返す。


「まぁ、なんや」


 私の背中に、おじさんの声が飛んでくる。


「みんな色々あるからな」


 思わず振り向いた。相変わらず機嫌が悪そうな顔。決して目を合わせず、おじさんはもう鉄板を掃除し始めていた。


 みんな、色々あるからな。その言葉を反芻しながら、原付のところまで戻る。不自然な歩き方の私に気付いたのか、高橋くんが訝しげにこちらを見ていた。


「なんかあったんですか」


 真っ直ぐに揃った前髪。黒縁眼鏡の奥の目が、少し痛い。色々ある。色々あるのだ。私にも、高橋くんにも、それから、店長にも、ひーちゃんにも、優樹にも。みんな、誰も知らないところで何かを考えて生きている。全部知った気でいても、全部知ることなんて出来ないのに。


「……店長に電話しとくわ」


 え、と高橋くんが小さな声を上げた。


「たこ焼き屋のおじさんに、何か言われたりしたんですか」


 丁寧に、流暢に、よく通る声で高橋くんはそう言った。私は苦笑して首を振る。


「私がそうしたいと思っただけ」


 高橋くんはしばらく顎を撫でて、たっぷりの時間の後に、そうですか、とだけ言った。眉一つ動かさず地面を見つめる高橋くんを見て、難しい問題を解く時ももしかしたらこんな顔をしているんだろうかと思った。


「ちょっと待っとってくれる? ここで」


 スマホを取り出して言うと、地面を見ていた高橋くんが顔を上げた。


「……分かりました、行ってらっしゃい」


 高橋くんに背を向けて、一直線で車の通らない道を真っ直ぐ歩く。十メートルほど歩いたところに、空きビルがあった。『大東第一ビル』と書かれた、古い表示に背中を預ける。ひんやりと冷たいのは、石のせいだけではないみたいだ。


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