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キングス・エッジ  作者: 土方コウジ
第一章 オペラシオン・セロッホ
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第一章 ④

 西暦二〇一七年。四月一七日。月曜日。一〇時五五分。

 日本。豐秋黌高等学校。二年四組教室。


 新年度が幕を開け、本格的な授業が始まること、早一週間。

 熱狂的な騒ぎは落ち着いたものの、カーチャは相変わらず普通科の全生徒、校舎の違う商業科からも注目の的のままだった。

 そして彩希も、その相方として知名度を鰻のぼりに上げていた。

 いまは二時限目と三時限目のあいだの小休憩中だ。

 京介は自席で頬杖をつき、そんな注目の二人を視線の先にとらえていた。

 

「――だから『設定』を押して、『WI-FI』押して、一番上の……」

「これ?」

「そう……なのかな多分? カーチャのよく分かんない」

「あ、マークが付いたわ」

「どれどれ――」

 

 クラスメイトの話によると、カーチャは日曜日に彩希と携帯ショップへ行き、ようやくスマートフォンを手に入れたとのことだった。しかも珍しいことに、母国では電子機器の類を持っておらず、これが人生初なのだそうだ。

 そんなわけで、興味津々に画面を見つめるカーチャと、得意げに使い方を教える彩希。なんとも微笑ましい光景がそこにあった。

 二人はひとつ前の小休憩中も席を立たず、スマホ講座に費やしていた。

 もちろんそんなことは本人たちの自由なのだが、なにか面白くない京介は――


(トイレ行かなくていーのかお前ら)


 などと、失礼極まりないことを考えていた。

 そこへ誰かの手がぽん、と肩に降りてくる。振り向こうとすると――


「寂しいの?」


 その声で、京介は振り向くのをやめた。

 斎藤千恵だ。

 ボリュームを抑えたダークブラウンのショートヘアに、切れ長の奥二重。中性的な魅力と理知的な雰囲気があるが、彼女の賢さはスマートというよりクレバーと言ったほうが適切だった。

 昨年度から同じクラスで、たわいもない愚痴や噂話にはもってこいの話し相手なのだが――油断していると、『ああ、やられた』という事態に陥ったりする。

 そんな経験も何度かあり、京介は頬杖をついたまま、平静を装って応じた。


「寂しいって、何が?」

「とぼけちゃって。彩希ちゃんがどこの馬の骨とも知れない相手に取られて、面白くないんでしょ」

「そんな可愛げのある奴に見えるか? 俺が」

「じゃあ、なんであの二人があんなに仲が良いのか不思議に思ってる」

「……まあな」


 本音を言えば最初の推察も微妙に当たっているのだが、京介はそれをおくびにも出さなかった。


「ず~っと一緒にいるよね、あの二人。いくらなんでも、この短期間であそこまで仲良くなるかな。すっごくディープな共通の趣味でもあれば分かるんだけど、でも彩希ちゃんはオタクじゃないし」

「……だよなぁ」


 この一週間で注目されたのは、カーチャ単体ではなかった。彼女と彩希の仲睦まじい様子が、全校生徒の注目の的になっていたのだ。なにかにつけてイチャつきたがるカーチャと、恥ずかしがりながらもそれを拒まない彩希。

 多感な高校生にはもってこいの話題である。


「……でもさ」


 千恵が顔を寄せ、悪戯っぽく囁く。


「なんだよ」

「趣味っていうのか分かんないけど、お互いの性的嗜好が一致したなら――」

「よせよ。品のない」


 自分のことは棚に上げ、京介はきっぱり言った。


「でも、そういう噂も出始めてるよ。本場仕込みのカーチャちゃんが、彩希ちゃんをオトシた、って」

「はっ、なにが本場だバカどもが。海外だったらなんでも本場か。ロシアはそういうのに不寛容で有名だろうが」

「まあまあ」


 吐き捨てる京介を、千恵は苦笑しながらなだめて、


「――それとさ、彼女本当にロシアから来たのかな?」

「……はぁ?」


 いきなり話が飛び、京介はとうとう彼女に振り返った。

 だが実のところ――京介自身も何度か同じことは考えていた。


「最近こっちに来たわりには、日本語うますぎるよね。ネイティブの私たちから見ても、とても第二言語とは思えない。逆にロシア語は話せるのかな」

「……」


 まったくもってその通り。

 はやりの若者言葉こそ出てこないものの、カーチャの日本語は、あの自己紹介から今日まで完璧だ。わずかにRを巻いている素振りさえない。その逆に、日本語以外の言語を話しているのは聞いたことが無かった。

 京介は黙って腕を組み、いま一度ふたりを観察する。


「――あ、出来たわ彩希。ちゃんと上がってる?」

「ちょっと待って――きたきた。……あ、来たけど。これ、誰でも見れるようになってない?」

「いけないの?」

「危ないからさぁ、最初は友達だけ見れるようにしといたほうがいいと思う。ごめん言い忘れてた」

「そうなの。えーっと、じゃあいったん削除して――」


 ……日本育ちのロシア人か? もしかしたロシア語はてんで駄目で、関西弁が喋れたりするのかもしれない。


「気になる?」


 と千恵が訊く。その言葉には少数の者だけが知る、深い意味があった。


「いや()()


 京介は千恵のほうに視線を戻し、不敵な笑みを浮かべた。


「俺が確かめてやる」



 聖暦一六九九年。四月一七日。月曜日。二時三一分。

 ベルジア王国。首都グランツィヒ。アルツァイツ宮殿休眠区画。


 なぜか()()()()()()()姿見の前で――


「……大丈夫だろうか」


 自分をまったく映さないその鏡を見つめながら、アリシアはとなりに立つ副官にささやいた。胸甲を付け、剣を帯びた勇ましい姿だったが――その表情は不安げだ。

 松明に照らし出された石造りの部屋は、この一週間でトレルイエの実験道具がすべて運び出され、きれいに掃除されていた。そのかわり、姿見を囲う土嚢と木の柵の数が増し、包囲網が強化されている。これらは近々、座敷牢のような鉄格子に変更されることになっていた。


「どうだ少佐。変わりないか」


 背後からバッハが訊ねてくる。


「は、いまのところは何も」

「そうか」


 このやり取りも、何度目になるか。


「……そんなに心配なら俺を行かせればいいのに」


 カイルが消え入りそうな声でぼやくと、アリシアも同じ声量で返した。


「できればそうしている。……が、いま軍の上層部にいる世代はとにかくアルビオンへの不信感が根強いからな」

「……不実なるアルビオン、か」


 カイルは鼻で静かにため息をつき、ちらりと後ろを見た。

 そこにはアリシアと同じく腰に剣を帯びた、陸軍の精鋭が一〇名ほど。そして彼らを盾にするようにして、バッハが控えていた。

 みな緊張した面持ちでこちらを、正確に言えば姿見を睨んでいる。


「閣下、顔だけ出してもよろしいですか」


 カイルがそれと無さそうに言うと、バッハはすかさず声を荒げた。


「いかんっ。これはベルジアの重大な軍事機密なのだぞ。それをアルビオン人の貴様に立ち会わせるだけでも異例の措置なのだ! 余計な気を起こさず、門に異常がないか、しっかり見張っておれっ!」

「……は、失礼いたしました」


 不満を押し殺して、カイルは姿見に視線を戻す。

 となりのアリシアがごくわずかに首を振り、『こりゃダメだ』と彼に伝えた。

 バッハの言う通り、カイルはアルビオンという国から来た外国人で、軍事顧問としてベルジアに雇われた人間だった。

 問題はその出身国だ。

 アルビオンは非常に先進的な国家であるものの、歴史上信頼の薄い、敵の多い国として有名だった。特に中高年の世代が持つ印象は悪く、バッハはまさにその世代なのだ。


「……それにしても――」


 アリシアが言いさしたその時、姿見から何かが()()()()()きた。それはアリシアとカイルの間をすり抜け、木の柵を倒して派手に床を転がる。

 人間。それに茶色のボーラーハット。

 石造りの部屋がどよめきに包まれる。

 姿見から出てきたのは、一週間前に原隊からの出向という形でアリシアの部下になった、アリーゼ・シャルディー一等兵だった。この任務のため、モダンなワンピース姿である。


「アリーゼ!」


 アリシアが叫んで、倒れ込んだシャルディーに駆け寄る。

 カイルは素早く姿見の装飾に手を触れると、なにかを操作した。するとその鏡面は元の鏡に戻り、石造りの室内をぼんやりと映し出す。


「しっかりしろ! 怪我は!?」


 土嚢に突っ込んだシャルディーを抱き上げ、アリシアは必死の形相で呼びかける。


「だ、大丈夫です……」


 シャルディーは息も絶え絶えだが、傷付いている様子はなかった。

 

「何があった」 


 カイルも近づいてきて床に膝をつき、訊ねる。


「げ、現地住民と接触しそうになって」

「! なんだとっ」


 血相を変え、大男はシャルディーに迫った。


「顔だけ出してよく確認しただろうっ。見られたのか!?」

「い、いえ、あのその。よく分からなくて。ひ、人影が無かったので、大丈夫だろうと――」


 厳つい顔面の大迫力に、シャルディーはしどろもどろになってしまう。


「カイルっ」


 めずらしく冷静を欠いた副官を、アリシアがとどめた。


「……だ、大丈夫です。すみません。足音が近づいてきただけで……。門もすぐに消していただいたので、その、見られてはいないと思います」

「……そうか。すまない、取り乱した」

「いえ……それより少佐、これを――」


 シャルディーは腰のポーチを開け、鏡のむこう側から持ち帰った物を差し出した。


「ああ」


 アリシアがそれを受け取る。


「向こうは昼間……恐らく朝で、私は目の前に建物があると言いましたが――」

「まて、朝だと……?」


 また厳しい顔つきになったカイルを手で制し、アリシアは優しく言った。


「それで?」

「地面は芝生で……いま思えば民家……の、敷地だったのかもしれません。時間が無かったので、落ちていたそれを」

「分かった。詳しい話はあとで聞く。スケッチも落ち着いてからでいい」

「はい」

「立てるか?」

「……はい」


 アリシアはシャルディーの手を取って引き起こすと、後ろに控えた兵士を手招きした。すぐに二名の兵士が駆け寄ると、『頼む』と言って彼女を預ける。

 それから手の中にある物体、勇敢な部下が持ち帰った、貴重な情報源に目を落とした。


(……なんだこれは)


 それはピンク色の、束ねられた長い紐だった。

 つるつるした奇妙な質感で、解けば二メートルくらいになるだろうか。両端には、これまたガラスとは違った質感の、透明な持ち手が付いていた。用途も、材質も、価値もまったくわからない。


「何だか分かるか?」

「ああ、恐らく……!?」


 言いかけて、なにかに気づいたらしく、カイルは目を見開いた。


「どうした?」


 怪訝顔のアリシアに構わず、カイルは謎の紐に付いた、透明の持ち手を掴む。中には長方形の紙片が入っていた。持ち手を回して、紙片の裏側を確かめると――


〈さくら ゆうこ〉


 カイルは驚愕の表情で、そこに記されていた文字を見つめる。

 ちらりと見えた時は、見間違いかとも思ったが――


「なんてこった……」


 アリシアもその文字を見ると、カイルとは対照的にのんきに言った。


「ほう、ひらがなだな」


 彼女は副官の焦燥の理由がよくわかっていなかった。

 ひらがな――日本語のアルファベットだ。優しい印象の、可愛らしい文字である。

 漢字、カタカナと上手く混ぜて使うのがコツで、そこに書いた者のセンスが出る。その表現力は世界一と言っても過言ではない。

 会話で日本語を()()()使()()()は、文章をしたためる際にもよく日本語を用いた。

 アリシアも報告書や請求書の類はドイツ語などで書くことが多かったが、日記は日本語で付けていた。最近はこれまでカタカナで書いていた自分の名前を、ひらがなで書くのがマイブームだったりする。丸っこく書いたひらがなは、カワイイのだ。

 カイルとアリシアが『謎の紐』にそれぞれ対照的な反応を示していると、バッハが堪えきれずに近づいてくる。


「一体どうした? 私にも――」

「危険です。閣下」


 カイルが険しい顔で言うと、バッハはさささっ! と元いた位置に戻った。

 

「……隊長」


 カイルが小声で、なにかの覚悟を決めた様子でアリシアに呼びかける。


「なんだ」


 アリシアも小声で答えた。


「……ひとつ、向こう側について白状しようと思う」

「ん?」

「向こうの言語事情はかなり窮屈なんだ」

「……どういう意味だ」

「この世界と違って、数十の言語に通じている人間なんかいない」

「は?」

「普通に生活して習得する言語なんか、多くて二つか三つだ」

「なっ……!」


 アリシアの目が驚きに見開かれる。


「あとは長い訓練を経て、一つ一つ言語を習得するしかない。それでもまあ、ひとつふたつ習得出来たら充分自慢になる程度だ」

「……し、信じられん。そんなことで生きていけるのか?」


 アリシアの疑問は、()()()()()()()()()()、もっともだった。


「それが向こうの『当たり前』だ。それに、向こうの世界でひらがなを使う国は、ひとつしかない」

「……ひ、ひとつだけ?」

「そうだ」


 カイルは即答する。


「その名も日本だ。()()()のじゃないぞ。大和日本だ」

「やまと……」

「ああ。この時間朝だったのなら、まず間違いない」


 鏡の向こうの世界で、唯一このひらがなを使う国。

 その国を、カイルは知っていた。

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