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キングス・エッジ  作者: 土方コウジ
第一章 オペラシオン・セロッホ
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第一章 ②

 西()()二〇一七年。四月七日。金曜日。九時五〇分。 

 日本。豐秋黌(ほうしゅうこう)高等学校。二年四組教室。



「はい、いいですか皆さん。新しいクラスで新鮮な気持ちでしょう。ですがもう一人、このクラスに仲間がやってきます」


 始業式を終えたばかりの生徒に向かって、今年度の二年四組の担任――森脇恵子が、いきいきと声を張った。

 整ったセミロングの黒髪に、目元のぱっちりとした優しい顔つき。その話し方も相まって、どこか小学校の新米先生のような雰囲気の持ち主である。

 今日はぴしっと決まった黒のスーツ姿だが、まだ教師二年目ということもあり、その佇まいはどこか、就活中の大学生を思わせた。

 

「始業式中に気付いた人もいるかもしれませんが、海外から転入してきた女の子です。皆さん仲良く、温かく迎えてあげてください。いいですね」

『はーい』


 三〇余名の生徒たちから、これまた小学生のような、間延びした返事が森脇に返ってくる。彼らがまあまあよい子たちなのは、この返事からも見て取れた。

 だが決して――とっても真面目なお利口さんたち、というわけでもない。

 それが証拠に教室後ろ側の誰かが、さっそく私語の口火を切った。


(マジ? あのコ? 体育館の隅っこに立ってた外国人の?)

(そうじゃね)

(さっき言ってたやつ?)

(そう)

(俺も見た。めっちゃ可愛い銀髪のコでしょ)

(えっ……銀髪なの?)

(うちのクラスかよ。最高じゃん)

(やべーな四組。担任ガチャだってUR(ウルトラレア)引いたのに。三組かわいそー)

(ぷっ)


 笑い声も加わり、教室中に広がっていく私語の輪。森脇の言う通り、式の最中に転校生の存在に気付いていた生徒たちは、こぞってその容姿に言及していた。


(めっちゃ可愛かったよね!?)

(うん)

(え~、知らなかった。教えてよ~)

(途中から居なくなったんだよ)

(なあ、京介は知ってたんだろ? 生徒会だし)

(まあな。でも見たのは今日が初めてだ。おまえ紳士に振る舞えよ? ありゃあどう見たってちやほやされ慣れてる。下心の見え透いた生暖かい親切なんか、すぐ見破られるぞ)

(ばっか。ンなことしねぇよ。自然な感じで行くって)

(はっ、チンパンジーみたいに鼻の下のばしてか? だいたいお前と村上は――)


 そこで――


「はいみんな静かに。――特にそこ!」


 とくに騒がしい教室最後列のあたりを、森脇がびしっと指差して注意した。

 新年度初のおしかりを賜り、その生徒は肩をすくめる。

 森脇はもういちど教室を見渡して『行儀よくしろ』と目配せし、


「いいですか、呼びますよ」


 教室前側の引き戸をゆっくりと開ける。

 そして待機していた転校生を招き入れると――

 わあぁっ。

 たちまち歓声が上がり、森脇の努力も虚しく、教室は再び私語で溢れかえった。

 一番大きいのは男子による歓喜の叫び、つぎに女子の黄色い悲鳴。それを注意する少数の真面目な生徒の声も、いまの教室内ではしっかり騒音の一部になっていた。


(あああぁ……我が校のイメージが……。日本のイメージが……)


 森脇はがっくり肩を落とし、熱狂に気圧される転校生に謝罪する。


「あの、悪い子たちじゃないの。……ごめんなさいね。ヌルガリエヴァさん」



 それから、『静かに』『静かにして』『静かにしなさい! (バンッ)』と森脇の指導が入り、教室内はやっと落ち着きを取り戻す。

 森脇の後ろで控えていた転校生が、ようやく促されて教卓の横に立った。


「……きれい」


 最前列、ちょうど転校生の目の前に席に座っていた女子生徒がぽつりとこぼす。無意識だったようで、その生徒は『はっ……!』とした顔で口元を押さえた。

 転校生は繊細なガラス細工を思わせる、華奢で小柄な少女だった。

 身長は一四〇センチそこそこだろう。髪は噂通り、腰まで下りたストレートの銀髪で、肌は雪のように白かった。小さな顔の造形は見事としか言いようがなく、美しさと幼さが、絶妙なバランスで備わっている。そこに嵌められた青い瞳は、いたずらっぽく、どこか高貴な猫を思わせた。

 歓声に代わり、こんどは教室中からため息が漏れた。

 格好こそこの高校の制服だが、なんだか自分たちと同じ人間の気がしない。

 ガラスケースにでも入れて、ヨーロッパのでかい美術館にでも展示した方が良いんじゃないだろうかとさえ思えた。


「自己紹介できる?」


 転校生の後ろに回った森脇が、優しく訊ねる。


「はい」


 声も可愛らしい。洒落た表現をするなら『鈴を転がしたような』。分かりやすく例えるなら、いわゆるアニメ声だった。


「ロシアから来ました。ヌルガリエヴァ・エカテリーナ・ヴラジーミロヴナです」


 またまた歓声が上がる。今度は転校生、エカテリーナの流暢な日本語に対してだ(ちなみに姓名の順番は意図して日本に合わせたのではなく、実はロシア語も正式にはこの順番なのである。最後のは父称で、お父さんはウラジーミルという意味だ)。

 森脇はエカテリーナの名前を、カタカナで黒板に板書していく。


「――はい。というわけで、エカテリーナ・ヌルガリエヴァさんです。日本語がとってもお上手なので、皆さん積極的に話しかけてあげて下さい。――ヌルガリエヴァさん、なにか言いたいことはある?」

「はい」


 彼女はそう返事すると、少し上目遣いで、ほんのり頬を赤らめながら、


「エカテリーナの愛称はいっぱいあるんですけど、私はよく、友達にカーチャって呼ばれていました。だからみなさんも、カーチャって呼んでくれたら嬉しいです」

『……おおおお』


 教室がどよめきに包まれる。

 この瞬間、二年四組のほとんど全員が『愛嬌』という言葉を体感的に理解し、恥ずかしそうにはにかむ彼女――カーチャの虜になった。



 簡単な自己紹介を終えると、カーチャは教室の窓際、三番目の席へ座るよう促された。

 しかし彼女はそこを断って、ある女子生徒の隣の席を希望する。

 森脇に理由を訊かれると、カーチャはもじもじしながら、


「じつは朝、道に迷ってしまって……あそこに座っているサキに助けてもらったんです。同じクラスなら是非お隣に……」


 それを聞いていた教室中が、サキと呼ばれた女子生徒に注目した。続けて男子の罵声。


「どいてやれ二宮!」

「早くしろ!」

「ボサッとすんな!」


 ちょうどその女子生徒の隣に座っていた二宮なる男子生徒は、『分かった! うるさい!』と言い返すと、バッグを持って立ち上がる。そしてカーチャにニヤニヤ会釈をし、彼女のために用意されていた席に移った。 

 こうして――みな新しいクラスで、まだ自分の席になんの愛着もないこともあって――カーチャの希望はすんなり通った。

 カーチャを助けたという女子生徒、真島彩希は周りから『彩希やるじゃん』だの『うらやましい』だの言われ、からかわれる。微妙な愛想笑いを返す彼女の席は、ちょうど教室の真ん中で、カーチャはその左隣に収まったのだった。

 そして、外国人転校生を迎えてなんとなく落ち着かない雰囲気のなか、全員の自己紹介、年間予定の説明、各種プリント類の配布が行われ――


「はい。では次は通学経路図の更新です」


 森脇が教卓に置いてあった紙束を持ち上げた。

 それは昨年の入学時に生徒たちが自己申告した、通学路の経路図だった。


「今からこれをいったん返却します。返されたら、いま実際に使っている通学路と同じか確認し、違っていればここにある新しい紙に再度記入してください。もし引っ越しなどをして住所も違っていたら、ほかにも変更する書類があるので先生に報告すること。なんの変更もないなら、二年生の欄に変更なしと書いて提出してください。個人情報なので扱いには充分気を付けて。……ああ。それとですね――」


 はきはきとした森脇の口調が、にわかに重々しくなる。彼女はここから五分あまりを費やし、感情表現豊かに、『定期券の学割の証明書の発行に使うから、乗降区間を偽るな。去年繁華街に定期で行きたいがために、虚偽の通学路を提出した生徒がいて大問題になった』という話を語って聞かせ、


「――と、いうわけです。いいですねっ、皆さん!」

『……はーい』


 げんなりとした生徒の返事を受け取って、ようやく返却をはじめた。


「では順番に名前を呼びます。取りに来て――」



 順調に経路図の返却が進むクラスで。

 佐倉京介は不景気な顔で頬杖をついていた。

 彼は周りの男子とおなじ、紺のブレザータイプの制服を着て、教室最後列の真ん中に座っていた。

 なにを隠そう、この新しいクラスで最初に注意された、あの不名誉な男子生徒である。

 どこか雅で、上品な顔立ち。ライトブラウンの髪は地毛で、長めのサイドヘアーが印象的だった。

 彼は森脇が景気よく生徒の名前を呼ぶのを聞き流しつつ、心中でぼやいた。


(さすがに二年連続で騒がないでくれよ……)


 ちょうど一年前のことである。

 京介たち新一年生は通学経路図をいったん持ち帰って記入し、後日提出することになっていた。

 そして提出日。回収が帰りのホームルームになったことで、新入生たちは休み時間のたびに、経路図の見せ合いっこをしていた。

 もちろん京介も、断ることなく自分の通学経路図を見せていたのだが――

 そうこうしているうちに同級生のひとりが、一組の自分と、四組の真島彩希の経路図が酷似していることに気付いてしまったのだ。


(慌ててたなー、彩希の奴)


 京介は自分の席からちょうど三つ前、今日から同じクラスになった、真島彩希に目をやる。

 艶やかな黒髪を、肩にかかるくらいまで伸ばした女子生徒。いまは間に挟んだクラスメイト二人の肩越しに、かろうじて後ろ姿が見えるだけだが、その顔はよく知っていた。

 なにせ幼稚園から小学校、中学校、さらには高校までこうして一緒なのだ。

 特に恋愛感情があるわけではないが、彩希にはその年齢を代表するような『普通さ』があり、京介はそこが『多少擦れている自分』と比較して、健全で好きだった。

 小学生の時は小学生らしく、中学生の時は中学生らしく。高校生の今も、言ってしまえば量産型の、ザ・日本の女子高生といった感じなのである。

 そんな彼女と自分の家は、小さな公園を挟んだ真向かいだった。べつに隠しているつもりはなかったのだが、一年前は通学経路図からそれが学友に発覚し、騒ぎになってしまったのだ。

 あの日はやれ『付き合ってんの?』とか『一緒に居たくて同じ高校にしたの?』とか質問攻めされて、京介は辟易しっぱなし、彩希は赤面しっぱなしだった。

 それ以来なんとなく疎遠になり、いまでは一緒に登下校することもない。

 そんな彩希と同じクラス。そして通学経路図作成という因縁のイベント。

 ある程度イジられるのは覚悟していたが……。


(まさかあんな()()()が来るとはな)


 京介は幼馴染から、そのとなりの転校生に目を移す。

 カーチャはさっそく、彩希と談笑していた。きっと今朝の礼でも言っているのだろう。

 京介はその横顔を眺め、他の男子生徒よりだいぶ遅れて、その容姿に異性として関心を持った。

 なるほど、確かに美しい。

 日本人の目に触れる白人がモデルや俳優だけでなくなり、一方的に抱いていた幻想が打ち砕かれて久しいが――彼女はまさにその幻想のようだった。

 しかし、


(……でもま、美人なりに苦労もあるんだろうな)


 すぐにそんな考えに至り、新鮮な視覚情報で少しだけ励起(れいき)した心は、興奮とはまだ程遠いまま、基底状態へと戻っていった。

 たとえばそう――彼女が将来モデルや女優になるのなら、まだいい。

 だが、これから一度は食べるであろう家系ラーメンの味に感動して、豚骨にとことんこだわった家系ラーメン屋になったとしたらどうだろう。

 その店は『濃厚クリーミー系の家系ラーメン店』として話題になるだろうか? いや絶対に『外国人美女が切り盛りするラーメン店』として持て囃されるに決まっている。そこに“家系”という最低限の情報が付随するかすら、なんとも微妙なところだろう。

 往々にして容姿端麗な人間というのは、その外見ばかりが注目され、内面の美醜や、外見に無関係の努力や成果に無関心でいられることが多いのである。たしかに周囲からは愛玩動物のように可愛がられるだろうが、それはある意味、人間扱いされていないに等しい。


(まあその悩み自体、打ち明けたら嫌味だと取られるだろうし。ご苦労なこった)


 京介がそんな、余計なお世話以外の何物でもないことを考えていた、その折――

 ちらりと、カーチャが京介の方を見た。

 一瞬だが、確実にふたりの視線が交わる。


(……?)


 すぐに外れてしまったその視線に、京介は困惑した。

 カーチャを見ていたのは自分だけではない。自分より熱視線を送っている男子生徒などいくらでもいる。それなのに何故わざわざ、うしろの席の自分に視線を向けたのか。

 それも……なにか意味ありげな視線だった気がする。

 すこし目を細めて、妖しげな笑みを浮かべて。

 自意識過剰では無いと思いたいが――

 

『佐倉京介くーん』

「はーい」


 とうとう自分の名前を呼ばれ、彼は思惟を打ち切って席を立った。



 ――その日の休憩時間。

 けっきょく京介も彩希も、お互いの家が近いのをイジられた。

 新しいクラスは少しでも交友を深める切っ掛けにと、話題に飢えていていたのだ。

 カーチャはその話をクラスメイトから聞くと、くすくすと笑っていた。

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