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キングス・エッジ  作者: 土方コウジ
プロローグ
1/64

ある夏の日に

 八月某日。うだるような暑さの裏庭で。


「……やはり叫ぶかもしれんな。そんな気がする」


 ささやかな家庭菜園の前にしゃがみ込み、アリシア・ランバートは深刻そうに呟いた。

 金髪碧眼、鼻筋の通った美しい顔立ちの、およそ日本の民家には不釣り合いな白人女性である。

 カーキのカットソーにデニムのパンツ、その上に土汚れの付いた園芸用のエプロン姿。おまけに可愛い麦わら帽子。色気とはまるで無縁の出で立ちだが、抜群のプロポーションはそれをものともせず、あれやこれやと主張していた。


「うーむ……どうしたものか」


 とめどなく浮き出る汗が、ほそい顎を伝って、胸のうえにぽたぽた落ちる。

 彼女はこの炎天下、蝉の大合唱をBGMに、もう長いこと悩んでいた。

 

「こんなことなら、この世界の野菜でも植えておけば良かった」


 ――と、後悔しても後の祭り。()()はすでに、立派に育っていた。

 太くまっすぐ伸びた茎に、手のひらサイズのでこぼこした葉っぱ。その表面は分厚いクチクラ層に覆われ、憎たらしいほど日光を照り返している。

 

「除草剤……いや、となりのバジルまで枯れたら大変なことになる。あの絶品のバジルスパゲッティが食べられないとなると、私の立場が危ない」


 アリシアの額に、暑さとは別の汗が浮かんだ。

 バジルは新しい葉が出てきているから、この家の住人は当然二回目を期待しているだろう。それを台無しにしたら、居候の自分はどうなることか。

 ……いや間違えた。

 居候ではなく駐留だ。駐留だった。

 誰がなんと言おうと、断じて居候ではない。駐留、ちゅりゅう、ちゅう――


「……いかん」


 (ゆだ)ってぼ~っとしてきた頭を振る。この国の夏はとにかく高温多湿で、体力を激しく消耗した。祖国のカラッとしていて短い夏とはまるで別物だ。


「……よし、これ以上悩んでいても仕方がない。試しに一本抜いてみよう」


 言うと、彼女は膝に手を当て、すっくと立ちあがる。ヘアゴムで結わえた長い金髪が、背中で重たそうに揺れた。



 ――玄関。

 佐倉京介は、近所のおばちゃんから旅行のお土産を貰っているところだった。

 わずかに目じりの上がった中性的な顔立ち、長いサイドの髪が特徴の青年で、どこかやんごとない雰囲気の持ち主である。

 そんな京介は受け取った土産袋を覗き込み、


「あ、大涌谷の――」 

「黒たまご。みなさんで食べて」

「ありがとうございます」


 好青年らしくにっこりと微笑む。


「いいのよ。ほら、佐倉さんにはこの前〈ゆかり〉頂いたから。そのお返し」

「ああ、わざわざ気を使っていただいて。どうでした、箱根」

「んも~良かったわよ。毎年行ってるんだけどね、今年は子供が古希のお祝いだって言ってお金出してくれて。そしたらお父さん張り切っちゃってね。いつもは頼まないんだけど、今回は『大盤振る舞いだー』って言って旅館の夕食に――」


 おばちゃんの話が佳境(オプションで船盛を付けたら、量が凄かった)に差し掛かったところで――


『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 突如、甲高い絶叫が玄関に響き渡った。


「っ!?」

「んま……!」


 京介は肩をびくっとさせて振り返り、おばちゃんも目を丸くして廊下の奥を覗き込む。

 幼い子供のような悲鳴で、出どころは間違いなく、この家からだった。

 さらに続けて、


『黙れこの!!』


 という女性の怒号と、『どんっ』というなにかを叩きつけるような鈍い音まで、廊下を伝って聞こえてくる。バイオレンスな音声劇に京介は絶句。おばちゃんもあんぐりと口を開け、それからだいぶ遅れて、その口元を手で覆った。

 そこから――


(ちょっとやだ、佐倉さん……!!)

 

 普段は床屋のサインポールくらいの速度で回っているおばちゃんの頭脳が、フル回転を始めた。


(ど、どーしましょ、虐待だわ! こういうときは児童相談所かしら? それともいきなり警察? ……あっ、そうだ民生委員の島崎さん、さっき家の前ですれ違ったのに! で、でもあのおっとりした奥さんがそんな事するとは思えないし、さっきの怒鳴り声はやっぱり居候の――)

 

「あのっ、お土産ありがとうございましたっ!」


 タッチの差で先にその答えに辿り着いた京介が、おばちゃんに慌ただしく礼を言った。


「あ、ああいいのよ……っていうかそれどころじゃ――」

「じゃあこれでっ。()()()()がなんかやらかしたみたいなんでっ。あ、ぜったい虐待とかじゃないですから! そもそも優子はいま母と遊びに出てますんで。ほらっ、靴が無いでしょ!」


 必死に弁解しながら、京介はおばちゃんの立つ玄関のたたきを、まるでネズミかゴキブリでも出たかのように指差す。


「あ、あぁそうね! ホントっ」


 気圧されたおばちゃんは『ぱたたっ』と変なステップを踏み、靴の有無などろくに見もせず相槌を打った。


「ね! じゃあ失礼します! どうも!」


 最後までまくし立てると、京介はくるっと向きを変え、廊下を全速力で駆け抜けていった。


「…………」


 ぽつんと玄関に残され、呆気に取られていたおばちゃんは、ゆっくり頬に手をやり、箱根帰りのポケた頭でもういちど、事件性の有無を考えてみる。


(……まあ、さすがに大丈夫よね。アリシアちゃんもとってもいい子だし)


 近所の柴犬をしょっちゅうナデナデしている彼女の姿を思い出し、おばちゃんはそう結論付けた。むしろ彼女のほうが、いま飛び出していったこの家の長男に怒られすぎないか心配なくらいだ。



 ――裏庭。


「……ふぅ。うるさかった。やはり土のせいか?」


 のんきに言って、アリシアは額の汗を軍手の甲でぬぐった。

 もう片方の手には、人参に似た茶色い植物の根が握られている。

 がらがらがらっ――


「ん?」


 背後でやたら乱暴にサッシを開ける音が聞こえ、彼女は不思議そうに振り返った。

 見ると、京介がサンダルも履かず、裏庭へ飛び出してくる。


「? 一体どうした――」

「じゃ……ねえよっ!」


 言うが早いか距離を詰め、京介はアリシアの頭を掠めるようにはたいた。その勢いで麦わら帽子がふっ飛び、地面に落ちる。


「っ、痛いじゃないかっ」


 頭をおさえ、恨みがましい目を向けるアリシアを、京介は容赦なく怒鳴りつけた。


「グーじゃなかっただけありがたいと思え! なんだいまの悲鳴はっ? 近所中に聞こえてたぞ!」

「そっ……そんなにうるさかったか? すまない」

「謝って済みゃ警察も児相もいらねぇんだよ! つかどっから出した、あんな高い声!」

「私じゃない。これだ」


 アリシアはそう言って、手に持った植物を控えめに掲げた。

 やたら皴の多いその根菜(?)は、京介にはどこか苦悶の表情を浮かべているように見えた。まるで激しい苦痛に悶絶し、(おの)が魂を慟哭と共に吐き出したかのような――


「んだよそれっ……気持ちわりぃ」

「シュティレ・アルラウネだ」

「ああ?」

()()()マンドラゴラだ。……の、はずだったんだが」

「クソうるせぇじゃねえか。どこが静かなんだよ」

「たまにこういう個体に当たってしまうのは仕方ない」

「シシトウみたいに言ってんじゃねえ! もしさっきので警察だの相談員だのが来たらお前のせいだぞっ。優子なんか年中あちこち擦りむいてるし、アザだらけなんだ。それを『この子お転婆なんです』で通ると思ってんのか!?」


 しかし実際、彼の妹はお転婆なだけだった。七歳の若さですでに骨折二回、救急搬送も二回。うち一回は道路の飛び出しで車に撥ねられるという、なんとも壮絶な少女なのだ。


「……面目ない」

「ああ、ほんとにこれっぽっちもねぇよ。……んで、なんだってそんな迷惑なもん育ててんだ」

「この土ならいいアルラウネが育つと思って」

「ナッパかお前は」

「アルラウネは夏バテに効果があるんだ。それで少しでも……」


 言いかけて、アリシアはぐっとこらえるように口をつぐんだ。どうやらこれ以上続けると、言い訳がましくなると思ったらしい。彼女はかわりに、


「とにかく、済まなかった」


 もういちど素直に謝る。

 そのなさけな可愛いしょんぼり顔は、どこか叱られた仔犬を思わせた。

 京介はそこへさらなる罵倒を、あるいは懇々とした説教を――さすがにできなかった。

 彼女の反省が本物であることは、自分もよく分かっている。それをこれ以上責めるのは酷だし、こっちも格好悪い。

 ――とはいえ。

 これがアリシアの起こす最後のトラブルでないこともまた、京介はこれまでの経験からよく分かっていた。

 なにせ彼女はトラブルメーカー最大手――言うなれば騒動業界のトヨタやコカ・コーラとでもいうべき人物である。

 つまり自分は数日中にまた、今みたいな怒鳴り声をあげる運命にあるのだ。

 そんなことを考えてゲンナリしつつも、


「……もういいから。母さんも俺も夏バテ気味だったし、ありがたくいただくよ。……どういただくのか知らんけど」

「うん」


 京介はため息交じりになんとかフォローを入れ、落ち込む彼女から視線を逸らした。

 すると偶然、掃き出し窓の横に据え置かれた、エアコンの室外機が目に入る。

 サッシ全開のリビングを冷やすため『ゴオオォ』と頑張っているその上には――なんと一振りの剣。

 だが叫ぶ人参と比べ、それはもはや彼になんの感情も湧かせなかった。テレビのリモコンといっしょ、すでに見飽きているのだ。どうせ素振りでもしてんだろ……とだけ思う。

 京介の口からあらためて、一七歳とは思えない深いため息が漏れた。

 認めようが認めまいが、これがいまの自分の日常だ。

 軍人口調で喋る白人のねーちゃんが庭で叫ぶ人参を栽培し、銃刀法違反上等の物騒な刃物が自然と視界に入る。

『なぜこんなことに』という疑問の答えは、この四か月でだいたい出そろっていた。

 その過程は決して穏やかなものではなく、自分は彼女と死線を潜り抜ける体験さえしている。



 そう――

 アリシアはホームステイの留学生でもなければ、外国人労働者でもない。それどころか、この世界の人間ですらなかった。

 その正体は異世界人、貴族(いいとこ)の娘さん、優秀な軍人、剣術の達人――とまあ、オタク大好き設定モリモリの、それはそれは豪華な奴である。

 ……の、はずなのだが。


「……京介」

「あん?」

「実はこれ、あと四本植わってるんだが」

「ざっけんなよお前……」

「どうしよう」

「除草剤は」

「私が考え付かんわけがないだろう。となりのバジルが心配だ」

「いばってんじゃねぇ。そのバジル枯らしたら身ぐるみ剥いでたたき出すぞ。まだ松の実がいっぱいあるんだからな。あんなもんジェノベーゼ以外にどうすんだ」

「……むぅ」


 ここでは常にこんな調子だった。

 先ほど挙げた背景が感じられるのは口調とテーブルマナーくらいなもので、あとは浦島太郎状態のポンコツである。しかも好奇心旺盛で、彼女なりにどんどんこの世界のことを吸収し、あれよあれよと活動範囲を広げる危ない一面もある。

 それでも。

 たとえ胃に穴が開くと思うほどのストレスとトラブルの原因でも――

 京介はアリシアを憎めなかったし、愛想も尽きなかった。

 自分の日常という平凡なパズルには、本来あるはずのなかったピース。そこに無理やりはまり込み、パズルをさんざん歪にしてくれた挙句――いつの間にか欠かすことのできない存在になっている。

 気高く、凛々しく、そしてふとした瞬間に儚げで、この上なく美しい彼女。

 そしてとにかく困ったやつ。

 それがアリシアだった。

 そんな彼女がいったいどこから、どうやってこの家に来たのかと言えば――

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