少女告白シークレット 2
何故か一緒に入ろうとしてきた苛木をどうにか押しのけ、アルコは無事に入浴を済ませた。
……までは、よかったのだが。
「……何これ」
まだ髪も乾いていない、というか服も着ていない状態で、アルコは湿気まみれの脱衣所で困惑していた。
というのも、着替えだと言われて渡された紙袋の中には、もはやウケ狙いなのかと疑いたくなるくらいフリルたっぷりでピンク盛り盛りリボンマシマシな、対象年齢十歳以下のロリータなドレスが詰められていたからだった。しかも不気味なことにサイズはぴったり。
「うげえ……」
思わず女子がしちゃいけない顔をしてしまう。
女児向けアニメのコスプレに、さらに悪趣味な装飾を施したような極悪なシロモノで、おまけに下着までその仕様だった。これではまともに外も歩けない。
「お風呂入る前に中身確認しとけばよかったなあ……」
――っていうか、何で苛木ちゃんはあたしにこれを……。
さっきも一緒にお風呂に入ろうとしていたし、彼女の行動原理がよく分からない。はて、『崩落』以前はこんな性格だっただろうか?
「まあいいか……おーい、苛木ちゃーん」
『何だ?』
いるだろうと思って呼んでみたのだが、予想より早く返事が返ってきた。まさかとは思うが、ずっとドアの前で待機していたのか。
「……着替えなんだけど、この服、ちょっとあたしには似合わないかなーって」
若干引き気味に告白すると、途端にばんっ! と扉に何かを叩きつけたような音が響いた。びっくりした。
『何を言う! 似合う! 在子には絶対に似合う! 前にお前の幼少期の頃のアルバムを見た時から、ずっとこういう服を着せたかったんだ! なぜなら似合うから!』
「アンタはあたしのお父さんかーっ!? 子供溺愛するタイプの!」
『溺愛なんてよく難しい言葉知ってるな! 偉いぞ在子!』
「だからそれだっつの!!」
つい全力でツッコんだら、むせた。涙目でせき込む。
「……え、えっと。とりあえず、別のやつを持ってきてください」
『持ってきたら入っていいのか!?』
「よくないよ何でそうなったの!?」
それから、一会話に三ボケくらい交えてくるテンションのおかしい苛木を何とか説得すると、十分後くらいにようやく普通の服を持ってきてもらった。完全に湯冷めした。
引き戸の陰に隠れつつ苛木から着替えを受け取り(ちなみに苛木自身は、まだ寝間着から着替えてなかった)、中で着替える。脱衣所を出ると、すっかり空腹だったことに気付いた。そういえば、昨日少年たちの食料を少し分けてもらったくらいで、あまり食べられていない。
と、いうことで。
「どうだ? 美味しいか? お前に料理を振る舞うのはいつ振りだろうな。腕は落ちていないだろうか。心配だな。味見はしたんだけどな。お前好みの味付けをしたつもりだったが、無意識の内に自分の舌に合わせて作っていたかも知れない……なんかどんどん怖くなってきたな。もう一回作り直してきていいか?」
「…………もう苛木ちゃんの好きにしたらいいんじゃないかな」
怒濤の勢いだった。
うっかり面倒臭くなってそう口走ったら、本当に皿を下げて新しい料理を作り始めてしまった。ちなみに味は普通に美味しかった。
アルコが寝かされていた部屋のキッチンに、エプロン装備でやけに上機嫌な苛木が立つ。
ふんふんと鼻歌を鳴らして食べかけの料理にラップを掛けている苛木に、アルコは『あること』を切り出した。
むろん、本題だ。
「ねえ、苛木ちゃん」
「どうした? リクエストか? いいぞ。私に作れるものなら何でも、というか作れなくてもお前の頼みなら頑張る!」
「うん、じゃあオムライスお願い。でもそうじゃなくてね」
「?」
「……お話しようよ。この『街』の」
わずかに。
ラップを掴む苛木の手が、止まった。
「……料理、作りながらでも、いいか?」
「いいよ」
「ありがとう。……今、私はお前の顔を見られそうにないから。すまない」
「……いいよ」
アルコは首肯する。
苛木がそんなことをわざわざ言った理由。それを考えるのは、無粋のような気がするから。
「でも、その前に一つ。確認してもいいか?」
「? うん」
「あいつらに酷いことはされなかったか?」
一瞬戸惑ったが、すぐに『崩壊組』のことを言われていると気付いた。……あの『崩壊組』に『無傷で捕らえろ』と命令するくらいだから、よほどアルコに痛い目を見せたくなかったのだろう。
――痛い目なんて、もう十分見たけど。
「……大丈夫だよ。助けてもらったし」
「そうか……」
正直言うと、風呂に入った時に沁みた箇所がいくつかあったのだが、それを知らない苛木が安堵の息を漏らす音がここまで聞こえた。
なぜそれを隠したのかは自分でも分からないけれど、もしかすると『崩壊組』を庇いたかったのかも知れなかった。彼らは『街』襲撃の実行犯ではあるけど、彼らが『恐怖』に――苛木に怯える姿を見ていると、『アルコを傷付けた』なんて聞いた苛木に何をされるか、目に見えるようだったから。
「(……たぶん、取り返しのつかないことになっちゃう)」
きゅっ、と。アルコは唇を締める。
話もオムライス作りも始まったばかり。鶏肉の解凍と並行し、いよいよ真相を解き明かす時が来た。
四繕苛木による『街』の襲撃という、アルコにフリルだらけのドレスを着せるより似合わない行為の、謎。
きっとその答えは。
どうあっても、アルコを納得させるものではないだろうが。
「それで、何が聞きたい?」
振り返らずに苛木は問う。
言うことは、決まっている。
「何で、『街』を……皆を、襲ったの?」
しばらく、水音だけがこだました。玉ねぎの皮を剥くための水だ。
『崩落』前から、小学校に上がる前から苛木を知っているアルコだからこそ断言できる。この事件の全ては、四繕苛木という人間には相応しくない。
真面目な苛木が『崩壊組』に協力するとは思えないし、この様子からすると脅されて仕方なく、という感じもしない。
何かがある。
彼女という人間性を歪めてしまう理由が、必ずある。
だが、苛木の返事は変わらなかった。昨日と全く同じだった。
考えてみれば、当たり前だ。世界が滅んでから苛木がいなくなるまで、彼女がアルコにしてきたことを考えれば。
苛木は、嘆息でもするかのように言った。
「……お前を助けるためだよ」
「た、助けるため、って……」
――あれが?
さっと脳裏をよぎるのは壊れた風景と、倒れた住人たち。
あれが、どうすれば〝助けるため〟なんて言葉に繋がるのだ?
分からない。だけど、そこでアルコは思い知る。
昨日の言葉。二年前の言葉。今の言葉。
どれも一貫して、苛木はアルコを助けるために行動している。彼女の行動原理はそこだ。
椅子に座っているはずなのに、ありえない浮遊感がせり上がる。足元がぐらつく感覚に襲われるアルコに届くのは、苛木のか細い声。
いや、違う。限界まで張り詰めて、千切れる寸前の弦のような声だ。
「ああそうだ。私の全部はそうだ。お前を助けるためだ。胸糞悪いあいつらと一緒にいるのも、あいつらを『恐怖』で縛り付けてるのも、全部お前を助けるためにやったことなんだよ、在子!!」
タァン! と、玉ねぎごとまな板に包丁が叩きつけられる音が響くのは、声を張った苛木が息を切らすのと同時だった。
その、背中越しにでも十全に伝わる気迫にアルコはたじろぎ、生まれて初めて親友が恐ろしく思えた。
「あいつに誘われた。気に食わないあいつに誘われたんだ。でも、悔しいけどあいつの言う通りだったよ。あの時の私じゃ、私一人じゃお前を守れなかった。だからあいつの手助けをした。あいつの言う通りにしていれば、お前を守れるって気付いたから! 力をつけた! 能力の使い方を覚えた! そこそこの地位に立てた! やっと、やっとお前を助けるための地盤が整った!! 離れ離れになったお前を探して、探して、探し回った!! 元気にしてるって分かった時は飛び跳ねたよ!! だけど、だけど……」
そこで苛木は包丁を置いた。
やはり振り返らず、しかし肩を震わせて言う。
それこそが、苛木にとっての真実。彼女が見てきた〝現実〟だ。
「この『街』でようやく見つけたお前は、『崩壊組』に捕まっていた」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
アルコは、沈黙した。
だって、それはおかしい。筋が通らない。
苛木は一体、何を見ている?
「……ごめん。取り乱した」
そう謝り、再び包丁を小刻みに動かす苛木に、アルコは何も答えることができなかった。
「らしくないよな。でも、分かってくれ。私はそれくらい、お前を助けるために頑張ってきたんだ。それがやっと報われるって段階になって……舞い上がってるんだろうな、私は」
ごめん、と苛木はまた謝った。
そこでようやく、アルコも我に返る。意味が分からない、では終わらせない。きっと何か、この謎に対する取っ掛かりがあるはずだ。
『この「街」でようやく見つけたお前は、「崩壊組」に捕まっていた』
彼女の言葉を吟味する。どこまでも意味の通らない言葉を。
もちろん、この『街』に住んでいたのは本当にただの一般人で、アルコ含む彼らを守っていたのは真実『豚汁』の『治安維持隊』だ。そこにはつまらない叙述トリックも冗談みたいな裏事情もない。当然、アルコには『崩壊組』に捕まったなんて記憶はないし、それを言うなら現状がそうだ。
『崩壊組』の名前なんてどこにも出てこない。そのはずだ。
そのはずなのに。
「辛かったんだよ」
苛木はぽつりと言った。
「自らを偽って『崩壊組』に入り浸っていた二年間は、本当に辛かった。馬鹿げた話なんだけどさ、あそこって案外居心地がいいんだよ。どいつもこいつも笑っててさ、騒がしくてさ、楽しそうにしてるんだ……ずっと気を引き締めてないと、自分を殺してないと、うっかり飲まれそうになるくらいには」
「…………」
「私を保つにはあいつらを嫌いでいなきゃいけなかった。お前を助けるにはそうするしか道がなかった。何の力もない小娘だった私には、あいつに従うくらいしかできることがなかったから」
また、〝あいつ〟だ。
その名が苛木にとってどういう意味を持つのか、彼女の言う二年間を知らないアルコには測れない。
「あいつに命じられて『崩壊組』に潜入した私は、そこでスパイとして活動した。内部工作を施したり機密情報を抜き取ったり……色々やってきた」
だけど、何かが引っかかる。
苛木の言う〝あいつ〟は、どうやら彼女の語り口からしてアルコを助けるために絶対必要なピース……らしいのだが、アルコは捕まってなんていないし、そもそもそいつがどう必要なのか、その具体的な内容を苛木は一度も口にしていないのだ。
「その〝裏切り〟行為の裏で私は自分の力を磨き、力量だけなら幹部級にまで登り詰めたと自負しているよ……でも、力を手に入れた私にあいつがもたらしたのは、お前が『街』に幽閉されているというどうしようもない情報だった」
それに気付いた途端、全てが疑わしく見えた。
これまで苛木がアルコにこぼした独白の内、苛木が彼女自身の意志で動いた事例なんて一つもない。全部が全部、顔も知らない〝あいつ〟が彼女の行動を縛っているように聞こえるのだ。
そしてそれに、苛木は多分気付いていない。
……何となく、彼女を取り巻く環境が見えてきた気がした。
「それを聞いた時、目眩がした。だけど、同時にこうも思ったんだ。『ようやく、私自身の手で在子を助けられる機会が来た』、って。……ああ、身勝手な思いだよ。分かってはいるけど、否定できないのも事実だ」
四繕苛木は正気だ。
正気のまま、どこかが歪んでいる。
「それから私は『恐怖』で『崩壊組』のメンバーを勝手に支配して、お前を助けるために『街』へと突撃した。幸い、あいつは『街』の中にいたから、見取り図だとか配備状況だとかは簡単に入手できたしな。確か、何かろくでもない祭りをしていたんだろう? それで浮き足立っていた『治安維持隊』気取りの連中の隙を突き、倒し、牢屋に入れ、お前と同じような境遇の住民をこの城に保護した」
彼女の口述には、行動には、どこか違和感が付きまとう。
その違和感の正体は……。
「……ここまでが『街』を襲撃した理由で、お前と離れ離れになっていた二年間、私がやってきたことだ。お前の質問の答えとしては言葉足らずかも知れないが、これでいいだろうか?」
……その鍵を握っているのは、〝あいつ〟だろう。
この十分程度の短い問答で、納得できないところも多かったけれど、得られたものは多かった。その中でもアルコにとって重要だったのは、苛木の本質がアルコの知っているそれと大差ないと知れたことだった。
これでもう、彼女を疑うなんてことをする必要がなくなる。
それを知った時点で、アルコの目的は半ば果たされたようなものだった。
「(……でも、まだ奥に誰かがいる)」
〝あいつ〟。
顔も名前も知らない誰か。
おそらくそいつが……真に立ち向かうべき『敵』なのだ。
少女の戦いは、まだ始まったばかりだった。
「……うん。いいよ、ありがとう」
それだけ、アルコは何とか絞り出した。
声は、震えてなかったと、思う。
「いや、こちらこそ。……あの時、いきなりいなくなってしまって、済まなかった」
苛木の一言で、思い出す。心臓が引き裂かれるくらい寂しい夜。幾度となく涙を流した日々を。
だけど、もうアルコは挫けない。
それら全てを飲み込んで、ただ「いいよ」と言った。
「もういいよ。またこうして会えたんだから、それで十分だよ」
「あ…………」
苛木は一瞬嗚咽のようなものを漏らし、それから慌てて目元を拭う動作をした。見栄を張って失態を隠そうとするようなちっぽけな仕草が、懐かしく思えた。
彼女は十数分振りに振り向くと、完成したらしいオムライスを綺麗に盛り付けて配膳してくれた。その目がちょっぴり赤いことには気付いていないらしい。
ほんのりケチャップ色の瞳を眺めて、アルコは思わず小さく笑ってしまった。意図を理解していないのだろう、苛木が同調するように微笑む。
いつの間にか、部屋の中にはいい匂いが充満していた。
一口、スプーンで掬う。
「……どうだ?」
苛木がおずおずと覗き込む。
感想は、決まっている。
「おいしいよ」
「そ、そうか。よかった、それなら――」
その言葉の続きを、聞くことはなかった。
なぜなら。
――遠くから響く轟音。
――それに連動するように震える地面。
「ッ!?」
苛木が血相を変えて窓の外を見遣るが、アルコにはその景色の想像が容易についていた。
「(ごめんね、苛木ちゃん)」
きっと、窓の外――城下に広がる景色は、目も当てられないような破壊で満ちているに違いない。
あの少年たちが来たのなら、それだけのことをやっていておかしくない。
「(これは苛木ちゃんからすれば、ひどい裏切りなのかも知れない。あなたを傷つけてしまうかも知れない。そのことが怖くないとは言わない。でも)」
だから、少女は静かに思うのだ。二口目を冷静に運びながら。
「(こんなの、絶対に間違ってることだから……あたしは、苛木ちゃんを止めるよ)」
――たとえ、あなたを敵に回しても。
ここからが反撃の時間。
少年少女の思惑は、『街』の奥深くで交差する。