玉座、そしてどこか
――いい眺めだな。
異色の『街』にそびえる城、その最上階。玉座の間。
そこからの景色を眺めて、黒髪の少女はそんな他愛もない感想を抱いた。異世界にでも迷い込んだような街並みは、今の日本では相当な異彩を放っている。
彼女が座って頬杖をついているのは、この空間の代名詞である安楽椅子。部屋全体が見渡せるようにと、高い位置に設えられた玉座だ。元は権力者が自分の力をアピールするための設備だが、この『街』に限っては少々事情が異なる。
だけど、そんなものはどうでもいい。ここにあるのだ。ならば座るし、経緯なんて知らなくても構わない。
城は、落ちた。少女が落とした。
だからここに座るのは、少女以外の誰かであるはずがない。
「報告しろ」
目の前で俯く男二人。震える彼らの頭頂部を、少女はつまらなさそうに見下ろす。
「じゅ、住人の保護、完了しました」「収容作業も、同じく……」
「そうか」
自分で命令したくせに、興味なさそうな返答。
無関心が服を着て歩いているような彼女だが、それでもこれだけには無感情ではいられない。
「で、『あの子』はどうした。まだここに連れて来られないのか」
「ッ……! ま、まだ、捕らえられては、いません……」
「……そうか」
その落胆したような声だけが、彼女を血の通った人間たらしめるものだった。
「もういい。行け」
「はっ、はい!」
しかしその変化も束の間、全ての興味を失った風に命令を下す。男たちもそれを待っていたと言わんばかりに、足早に玉座を出て行ってしまった。立派な両開きの扉が音もなく閉まる。
最後に、彼らが少女を見ていた目。
彼らの顔に浮かんでいたのは、少女に対する『恐怖』だった。大の大人が、せいぜい二十にも及ばぬ少女に怯えていたのだ。
広く、豪奢な部屋で少女は一人。艶のある黒髪を手持ち無沙汰にいじり、整った眉根を寄せてしわを作る。
彼女の視線の先には『街』の様子がある。ここより遥か下方、燃える街路。崩れた民家。倒れた人々。
つい一時間前までは平和そのものだった『街』が――今は戦場と化していた。
「…………」
それを命じた少女は、玉座のすぐ近くまで立ち上る黒煙を見ても表情を変えない。世界の全てに執着をなくしたように、気にも留めない。
彼女が執着を見せるのは、この世界でただ一つ。
思い起こすのはかつての日々。静かで、穏やかで、満たされていた記憶。
ある笑顔。
彼女を突き動かしているのは、それだけだ。それを取り戻そうと、こうして彼女は行動している。
「あら」
そんな折に、玉座の扉が開いた。
「アナタ、まだここにいたのねぇ? でもいいのぉ? アナタの性格なら、真っ先に飛び込んで行きそうなものだけど?」
「……柳衣」
断りもなしに入ってきたのは、不気味な女だった。
猫背気味に鬱々(うつうつ)と歩き、長すぎる黒髪を床に引きずり、目深に被ったカラフルなフードで表情を覆い隠す。伸びっ放しの髪に至っては、メンテナンスを怠っているのか艶もなければほつれも酷い。
およそ他人の目というものに無頓着な、ある種サイケデリックとも評せられる容姿だった。
柳衣は先ほどの男たちとは打って変わって、少女を前にしても怯える様子はない。デタラメな配色のフードの下では、どうせいつものように薄ら笑いを浮かべているのだろう。
こちらに近付いてくる柳衣に対し、少女は無意識に表情を険しくする。無関心な彼女が心を乱されることがあるとすれば、彼女の求めるものに関することかこの女のこと以外にはない。
「別にいいだろう。お前に私の行動を決められる筋合いはない」
「それはそうだけどぉ、ずいぶんと邪険に扱うじゃないの? いやねえ、嫌われてるのかと思って傷ついちゃうわぁ?」
「だ……」
――だから嫌ってるんだよ。
そう言いそうになって、やめた。
少女はこの女が苦手だった。それは事実だが、迂闊に逆らえないのもまた事実。協力関係を断ち切られてしまえばまずいことになる。
「だ? だー、何かしら?」
「……大丈夫だよ。心配するな。気に入らないだけで、嫌ってなんかいない」
「それ、嫌ってるって言うんじゃなぁい?」
けらけらと、人を馬鹿にしたような薄気味悪い笑み。それが嫌なのだ。
「何の用だ」
「用? 用事がなくちゃ来ちゃダメかしらぁ? アナタとお話したいだけよ?」
「……作戦行動中だぞ」
「アナタだって暇そーにしてたじゃないの」
半笑いで論破されて、少女はますます不機嫌になる。それを見抜かれて柳衣に笑われる。
このままこいつのペースに乗せられるのは癪だが、かと言ってここを離れてしまえば何か負けた気もする。ジレンマに舌打ちしそうになって、不意に胸元に忍ばせた無線機が音を鳴らした。
これ幸いと手に取り、何か喋っていた柳衣を遮って応答する。一言二言交わし、通信を終了した。
「どうしたの?」
当然のように訪ねてくる柳衣に、少女は「ああ」と、
「ようやくだ。ようやくヤツらが仕事を果たしたらしい」
「あら、よかったじゃないの。これで念願の目標を達成したのねえ?」
「ああ……だがお前ももう戻れ。最後まで気を抜くわけには行かないのだから」
「……ええ。ええ、そうさせてもらうわぁ。安心して、ワタシはワタシの仕事をしっかりこなすし、ワタシは何があってもアナタの味方なんだから?」
「し……し、しっかりとな。まだ終わりじゃないからな」
――今『信用できるか』と言いそうになった。危なかった。
「うふふ、本当はなんて言おうとしたのかしら? まあいいわ。頑張ってねぇ?」
そう言って、柳衣は玉座を出て行った。
「…………」
再び一人になり、少女は改めて玉座から『街』を見下ろす。
この日のために用意された舞台。本来であれば誰もが笑って過ごせていたはずの今日。
それを奪った張本人はわずかに表情を固くして、ぽつりとある名前を呟いた。
「――――」
それが彼女の行動理由。二年前からずっと変わらない目標。
もはや異常とも取れる執着に――『街』は、火の粉を撒き散らしていた。
冬の気配が近付いてきた秋の暮れ、天気は晴天。
あの災厄から二年が経過しようとしていた、そんな日の出来事だった。
それはさておき、いつかのどこか。
少女とは全く関係のない場所で、とある少年たちは瓦礫の荒野を駆け抜けていた。
「ん」
「あん? どうかしたか?」
「いや別に。そういえばもうそんな時期だったぜ、と思ってね。大したことじゃないさ」
「そういやそうだな。つうか最近、夜はめっきり寒くなって寝づらくてしゃあねえんだよな……」
うんうん、と通じ合う彼らに、異を唱える者がいた。
『色々同感だけど状況考えてくれますぅ!? キミたちには後ろのあれが見えてないのかなー!? 今まさに色々なものがボクら目掛けて飛んできてるわけだけど、そこらへんどう思ってるのか知りたいなーぁああ!?』
「そろそろ慣れろよお前」「焦ったっていいことないぜ。ガム食うかい?」
『慣れるかそして食えるかーっ!! ああくそ、いつの世も常識人が苦労する理不尽は変わらないぜちくしょーっ!!』
「「一番の変態が何言ってんだ(言ってんだい)」」
『綺麗なハモリでキツい罵倒いただきましたーっ! おねショタはいいもんだって言ってんだろこのインポ共ッッッ!!』
「ねえ聞いたかい? どうやら彼、命がいらないらしいぜ」「よし殺すか」
『待って冗談だって嘘だって見逃してごめんなさぁぁぁぁぁああああああああああああああ!?』
そんな風に騒がしく、彼らは今日を生きていた。
背後からやってくる殺意のこもった攻撃なんて意にも介さず、「風が涼しいぜ」なんて言って。
「さてさて、今日はどんな一日になるのやら。いい天気だし、たまには世界でも救ってみたいもんだがね――」
そんな呟きを残して、少年たちは追っ手の視界から姿を消した。
うろたえる追っ手の頭上、何かをこがらしが掻っ攫っていく。
ひらりと舞う『WANTED(おたずね者)』の見出しと、三人の少年が写った写真。
〝A WANTED 『ルブナイキ』〟
カメラに向かって不敵に笑う少年たちの指名手配書は、そうして青空の彼方に消えていった。