chase ~何度ループしてもあなたを救えない物語~
暗めな百合短編です、バッドエンドにはならないのでご安心を。
私は二次会にも参加せずに結婚式場から出て、駅に向かった。
電車を待つホームから見える景色は、いつもと違う。
当たり前だ、なにせ違う場所に立ってるんだから。
五分ほど待つと、電車が到着する。
進む先は、私の住むマンションとは逆方向だ。
正直、終点がどこなのかすらよく知らない。
とりあえず四つほど進んだ駅で降りて、そして適当なビルを探した。
一度も足を踏み入れたことのない建物を、真っ直ぐ屋上を目指して歩いていく。
足取りは軽い。
役目から解放され、私はようやく自由になった。
だったらやることは一つしかない。
高校二年の春、私は早川紗矢という後輩に出会った。
あまり口数は多くなく、目つきが悪くて、けどなぜか私にやたら懐いてきて。
『先輩は素敵です』
根拠もなくそんなことを私に言ってくるのは、人生において紗矢ぐらいのものだ。
胸もでかいから、事あるごとに腕を組んでくることに頭を悩ませていた。
私は女だから、そんなもの押し付けられても嬉しくないんだけどね。
『そんなこと言いながら、顔赤くなってますよ』
……うん、それは嘘だ。
正直、ちょっと嬉しかった。
それから私たちは順調に仲を深め、お互いの家に泊まったりするぐらい仲良くなったんだけど――
そんなある日、紗矢は死んだ。
私と遊んだ帰りに、トラックに轢かれてしまったらしい。
現場に着いた頃には死体は残っておらず、生々しい血と、タイヤに潰された、私が渡したクリスマスプレゼントだけが落ちていた。
家まで送ればよかった。
『私のわがままを聞いてくれた先輩に、これ以上の負担はかけられません』と断られてても、『構うもんか』と強引に手を握ればよかった。
クリスマスに一緒に遊ぶのが負担なわけないんだから。
だって、私にとって、紗矢以上に大切な誰かなんていない。
そこから何が起きたのか、私はよく覚えていない。
紗矢の家族から責められた気もするけど、それすらも曖昧だ。
失意のどん底に沈んでいるうちに、いつの間にか辛気臭い念仏が流れる葬式に参加していて――そこで、声を聞いた。
声は頭の中に直接響く。
たぶん女性のものだ。
彼女は言う。
『やり直してみませんか?』
何を? と心の中で聞き返すと、こう答える。
『紗矢さんを、生かしてみたいと思いませんか?』
はっ、そんなことできるわけがない、紗矢はもう死んだのに。
きっとこれは、精神的に追い詰められたせいで聞こえてきた幻聴だ。
だから、『どうせ何も起きやしないだろう』とたかをくくり、甘く、優しく、あまりに都合のいいその誘いに、私は乗った。
そして次の瞬間――私は、高校二年の夏に戻っていた。
隣には紗矢がいる。
当たり前のように。
『どうしたんですか、先輩』
いや、彼女にとってはそれが当たり前で、死ぬことなんて考えてなかった。
でも私にとっては奇跡以外の何物でもない。
私は泣きながら彼女を抱きしめた。
『ちょ、ちょっと先輩!?』
戸惑う紗矢は戸惑い、顔を赤くしている。
かわいい。
やわらかい。
あたたかい。
こんなにも大切なのに、どうして私は手を離してしまったんだろう。
それから、私たちは以前よりも急速に仲を深めていった。
夏休みは常にと言っていいほどずっと一緒にいて、『いっそ友達を越えちゃおっか?』って冗談めかして言えるぐらい仲良しになった。
そして秋に告白して、
『まさか先輩から言ってもらえると思ってなかったんで……泣いちゃうぐらい、嬉しいです』
お付き合いを初めて、
『私は、先輩が最初で最後の恋人だって決めてますから』
クリスマスに彼女は死んだ。
横断歩道で立っていると、いきなり背中を誰かに押されて、乗用車に轢かれて。
タイヤに巻き込まれた首がぐるりと回って、ゴリッと嫌な音がした。
即死だ。
虚ろな目が、恨めしそうに私の方を見ていた。
瞬きをする。
高校二年の夏に戻る。
今度は夏のうちに告白して、クリスマスの日は引きこもって二人きりで過ごそうと決めた。
『先輩、いやらしいです』
それでも一緒にいようとごリ押す。
秋、登校中に彼女は死んだ。
告白しない、普通に仲良くして、クリスマスの日までやり過ごそうと思った。
『女二人で寂しいだなんて思いません、先輩と一緒にいられるのが私にとっての一番ですから』
クリスマスを終え、私は安心する。
年越し前、コンビニに出かけた時に彼女は死んだ。
死んだ。
また死んだ。
あはは、あの子の命、ちょっともろすぎじゃない? って笑っちゃうぐらいに何度も死んだ。
死んで、死んで、死んで、数え切れないぐらい死んだ頃、私は一つの法則に気付く。
紗矢は――私と出会わない方が長生きするんだ、って。
最初のうちは、誘いを拒まれ悲しげな顔をする紗矢を見るのが辛くて、何度か失敗してしまった。
『先輩、どうして私を避けるんですか?』
でももう大丈夫、慣れた。
『私、何かしましたか? それなら謝ります、だから前みたいに一緒に……っ!』
冷たくあしらうことにも、涙を流す彼女を見捨てることにも。
『先輩、先輩、お願いです。私、先輩のことが――』
代わりに私の心は死んだけど、それで紗矢が死ななければそれでいい。
時は過ぎる。
高校を卒業するまで事あることに紗矢は私に話しかけてきた。
けど無視を続けて、大学は地元から離れたおかげか、それから彼女との接点は途絶えた。
もっとも、そのせいで『あいつは性格が腐ってる』と評判になって、友達も消えたけど。
クズが染み付いたせいか、大学でもあまり友達はできない。
それどころか、何に対してもいまいちやる気が出なかった。
一応就職も決まって、一応卒業したけれど、達成感は全く無い。
空虚だった。
それから二年後、一人暮らしをしていた私のもとに一通の手紙が届いた。
仕事から帰ってきた私は、スーパーの半額弁当と缶ビールの入った袋をテーブルに置き、ベッドに腰掛けて手紙の差出人を見る。
そこに記された四文字――早川紗矢という名を見て、私の心臓は止まりそうになった。
住所も教えてないのに、どうして。
中を開くと、そこには結婚式の招待状が入っている。
出席する理由なんてなかった。
けれど欠席を○で囲めなかったのは、私の女々しさだ。
あれから何年もの月日が過ぎても、まだ心は紗矢に奪われたままなのだから。
そして――現在に至る、というわけだ。
ドレスを着た紗矢はとても綺麗で、思わずみとれてしまうほどだった。
初めて恋を自覚したときと同じぐらい胸が締め付けられて、でももう二度と成就しない想いだと思うと吐き気がした。
隣を歩く男の顔はよく覚えていない。
意味などない。
私に必要だったのは、紗矢が別の誰かの物になってしまったという事実だけだから。
終わったのだ。
物語はバッドエンドを――いや、ハッピーエンドを迎えた。
私という名の呪縛から解放された紗矢は、誠実な男性と幸せに生きていきます。
そう考えると、ひょっとすると私は悪役だったのかもしれない。
私がいたから紗矢は傷ついて、私がいたから紗矢は死を避けられなかった。
ああ、そっか。
そうなんだ。
……。
……。
「ふっざけんなよぉおおおッ!」
ガシャンッ! と屋上のフェンスを蹴りつける。
私の怒号は夜の町に響いて、虚しく消えた。
「はぁ……はぁ……」
肩で呼吸をする。
怒りはまだ収まらない。
私にこんだけ恋をさせておいて、こんだけ紗矢のこと好きにさせておいて、私のせいで紗矢が死ぬ?
私が一緒にいたせいで? あんなに、あんなに――私が隣にいるときの紗矢は、幸せそうに笑ってたのに!?
結婚式での紗矢はすっごく綺麗だった、幸せそうに笑ってた、でもねぇ……あんなのより、高校の頃の紗矢の方がずっとずっと何万倍も可愛かった!
あの男は、紗矢を幸せになんてできてない。
私じゃないと、私じゃなければ、私が、私が、私さえいれば。
「ううぅぅぅ……!」
フェンスに捕まりながら、崩れ落ちる。
ぎゅっと閉じた瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「ぐうぅぅぅ……ぅ、うああぁぁあああ!」
ふざけんな、ふざけんな、何なんだよこれ。
私はただ、紗矢と一緒にいたかっただけだ。
こんな未来を掴むために、何度も繰り返したわけじゃない。
必死で、苦しい思いをしてたどり着いた先がこんな末路だなんて……私は、認めない。
でも、現実は、痛みとともにそこに存在している。
指に食い込む冷たいフェンスの感覚。
頬を撫でる夜風。
行き交う車の音、人々の雑踏、地上を目障りに照らすビルの明かり。
ここは、どうしようもなく現実だ。
だから紗矢が結婚したのも現実で、私がどんなに許容できなくても、生きる限り現実は続く。
牢獄のように、地獄のように、私はこの苦しみと共に生き続けなければならない。
だったら、やることは一つだ。
最初からそのつもりだった。
私は何の迷いもなくフェンスを乗り越えると、屋上の縁に立って、軽い足取りで前に踏み出す。
ちょうど、紗矢とのクリスマスデート当日、家を出たときのように。
この馬鹿げた現実が終わることを、心の底から歓喜して。
意識が戻る。
高ニの夏が訪れる。
熱い日差し。
海辺の堤防、そのへりに腰掛ける私と紗矢。
幽霊でも見るように紗矢を凝視すると、
「先輩、どうしたんですか?」
彼女はかわいらしく首を傾げてそう言った。
ほのかに焼けた肌を汗が伝い、鎖骨を通り、はだけたシャツの胸元に染み込む。
それは、幾度となく見てきた光景だ。
しかしこれまでの何よりも、強い絶望感を伴っていた。
死んだのは私のはずなのに、どうしてここに戻ってくるのか。
そんなことまで約束した覚えはない。
けれど、もし私の死すら許されないというのなら――この契約は、どこまでも残酷だ。
私はふいに道路に向かって走ると、ちょうど通った2トントラックの前に飛び出した。
体がバラバラになってしまいそうなほど強い衝撃と同時に、意識が途切れる。
間違いなく私は死んだはずだ。
――そして次の瞬間、意識が戻る。
隣には、紗矢がいた。
紗矢が、変わらず、そこに。
「どういう……こと……?」
「先輩、どうしたんですか?」
首をかしげる紗矢。
何千回と見てきた光景。
気が狂いそうだった。
私は「体調が悪くなった」と言い残して、心配する彼女の手を振り払って家に帰る。
帰宅すると、そして様子のおかしい私に声をかけようとする母を無視して台所に向かい、包丁を首に突き刺した。
死ぬほど痛かった。
じきに目の前が真っ暗になって、私は命を落とす。
そして意識が戻る。
また、高二の夏が訪れる。
同じ光景が、繰り返す。
死と絶望。
一片の隙間もなく交互に敷き詰められたレール。
それは終わらない終わりへと、私を導いていく。
「先輩……どうしたんですか?」
自然と涙がこぼれていた。
「せ、先輩っ!?」
おろおろと動揺する紗矢。
どうして私は、こんなところに来てしまったんだろう。
あの神様は、私に何をさせたかったんだろう。
ひょっとすると、神様じゃなくて悪魔だったりして。
葬式の日以降、二度とあの声を聞くことはなかったけれど――今の私なら、絶対に首を縦には振らないだろう。
死は死だ。
どんなに悲しくても、それで終わり。
受け入れなくてはならない。
受け入れなければ、それよりも深い不幸が待っている。
そんな教訓でも私に教えたかったのかな。
ははは、下らない。
お説教なんてまっぴらごめんだ。
悲しいから悲しい、生きてて欲しいから生きてて欲しい、死にたいから死にたい。
そう思うのが人間ってもんじゃないの?
私は、何も、悪いことなんてしていない。
ただ――目の前の女の子に、恋をしてしまっただけだ。
「ど、どこか痛いんですか? 横になった方がいいんじゃ……」
「紗矢」
「はいっ、どうしましたか先輩!」
心から心配してくれる紗矢が本当に愛おしくて、愛おしくて、私はつい本音をこぼしてしまう。
「好き」
「へ……?」
そして、彼女に抱きついた。
そのままの勢いで、堤防の上で私たちは横になる。
太陽に熱されたコンクリートは、布ごしでも熱い。
でもたぶん体温の方が熱いから、さほど気にならない。
「せん、ぱい……?」
「なんで、こんなに好きなのに……好きになっただけなのに……!」
滴る涙が、紗矢の頬を濡らした。
すると彼女は、優しく私の首に腕を回して、顔を大きな胸に埋めさせた。
少し汗の混じった、紗矢の甘い匂いで、私の肺がいっぱいになる。
幸せだった。
こんな風に触れ合えたら、それだけで十分だった。
「何か、辛いことがあったんですね」
「……うん」
「それは、私に話せることですか?」
「……話しても、信じないよ」
「信じます。先輩の言うことなら、なんでも。それとも、先輩は私のことが信じられませんか?」
「……信じてる」
「じゃあ問題ありませんね。全部吐き出してください、私は先輩の全てを受け止めますから」
それは無意味な行為だ。
私と結ばれれば、いずれ紗矢は死ぬ。
だから私は彼女を拒んで、結婚式にも出ずに、一生忘れて生きていくしかないのだ。
そう、そうするしか――ああ、でも、そんなの不可能に決まってる。
忘れられるぐらいの想いなら、とっくに心は折れてるよ。
だから私は、紗矢に全てを打ち明けた。
これまで数え切れないほど同じ日々を繰り返したこと。
私と結ばれると、紗矢は絶対に死んでしまうこと。
耐えきれずに私自身が死んでも、なぜか今日に戻ってきてしまうこと。
すると紗矢は、苦笑いをしながら言った。
「ああ、それはたぶん……」
「たぶん?」
「先輩が死ぬと、私も追いかけて死んじゃうからだと思います。うん、絶対にそうしますもん、私」
ああ――この子は、そんなに。
そこまで、私のことが好きなんだ。
盲点だった。
ここまで狂おしく恋をしているのは私だけだと、勝手に決めつけていた。
でも違うんだ、紗矢も私と同じぐらい、私のこと好きになってくれてるんだ。
「解決法なんて、一つしかないと思います」
「それは?」
「先輩が、私を束縛してしまうぐらい、独占欲の強い恋人になればいいんです」
にっこりと笑う紗矢。
私の胸は高鳴る。
でも、それで解決するとは思えない。
死はきっと、また私たちを引き裂こうとして、そして私は今日に戻ってくる。
だけど――それでいい、と思った。
想いを封じてまで苦痛の中で生きるぐらいなら、数ヶ月という短い時間で、精一杯、紗矢のことを愛したい。
もう、この子を他人に奪われる光景だけは、見たくない。
「うざいぐらい束縛するかもしれないけど、それでいい?」
紗矢の頬に触れながら、そう問いかける。
「先輩が私を愛してくれるなら、私は何だって嬉しいです」
彼女は心底幸せそうに、そう返事をした。
そして私たちは恋人になった。
私は毎朝紗矢を家まで迎えに行って、帰り道も必ず腕を絡めて二人で帰る。
無断で家から外出することを禁じ、どうしても外に出たいときは私を呼ぶように言いつけた。
休みの日は、必ず土日とも一緒にデートをすることも義務付ける。
学校でも、できれば休み時間は会いに来ること――なんて言わなくても、紗矢は勝手に私のクラスにやってきた。
満たされている。
私が、ようやく私を取り戻せたような気がする。
あまりにべたべたしすぎるものだから、クラスメイトや友人からは白い目で見られていたけど、そんなものは気にならない。
紗矢と暮らす毎日を精一杯生きて、そしてクリスマスの日――一緒に乗った電車が脱線事故を起こし、私たちは二人で命を落とした。
また、夏がやってくる。
紗矢に全てを伝え、恋人になる。
秋、病で彼女は命を落とした。
また紗矢に全てを伝え、恋人になる。
冬、体育の授業中に事故で彼女は命を落とした。
三度紗矢に全てを伝え、恋人になる。
春、通り魔に刺され、彼女はかばった私と一緒に命を落とした。
幾度となく繰り返される死。
彼女が死ぬたびに、私はその悲しみを糧にして、紗矢への想いを育てていく。
愛しているじゃ足りないぐらい、あなたのことを愛している。
だから、また。
三百回目、死にはパターンがあることを突き止める。
七百回目、二年目の春まで到達する。
千百回目、出会って二度目の誕生日をあなたと祝うことができた。
世界が紗矢を殺そうとする。
けれど彼らに手を出すことができるタイミングは限られていて、そこさえ抜けてしまえば、しばし平穏な日々が続く。
全てのパターンを明らかにし、回避方法を考え出すことで、少しずつ生存確率は上昇していく。
まだ死の可能性は消えない。
けれど、必ず、いつかたどり着いてみせる。
死が追いつけない地平まで、私が紗矢の手を引いて。
そして――
マンションに戻ると、シチューのいい匂いが漂ってくる。
頬をほころばせながら玄関を開くと、薄桃色のエプロンを纏った紗矢が私を迎えた。
その姿を見るだけで、仕事の疲れが吹き飛びそうだ。
「おかりなさい、先輩っ」
いつまでも先輩という呼び方が抜けない紗矢。
でもそれもそれで、私たちらしくていいと思う。
「ただいま、紗矢」
そう返事をして、流れるように、日課である『おかえり』のキスを交わす私たち。
二人の左手の薬指には、おそろいの指輪が輝いていた。
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