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ヒトミの哲学  作者: 京衛武百十
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父の日の逆転劇

「今日の自習時間は、臨時の学級会を行います」


ある日の一時限目、教科担任の教師が体調不良で自習になったのを狙い澄ましていたかのように、陽谷瑠美ひかりたにるみが前触れもなくそんなことを言いだした。


当然のように教室内は少しざわついたものの、殆どの生徒がそもそも真面目に自習などとか思っていなかった為、勝手にやってれば?っていう空気だっただろう。しかしそれ自体が、陽谷瑠美の狙いだったのかもしれない。大多数の人間に消極的な責任放棄を行わせ、結果として自らが主導権を握るという。


「今回の議題は、クラスを一軍から三軍にグループ分けすることです」


およそ突拍子もないことを言いだした彼女に対して、さすがに「はあ?」という反応する生徒もいて、「お前何言ってんの? バカじゃね?」とまで言い放った男子生徒もいた。なのに彼女はそんなことさえ意にも介さない様子で、


「このグループ分けは、能力のある人を一軍として、その一軍が責任ある立場に立ってクラスを引っ張ることで無駄な諍いを無くしてクラス運営を円滑にし、ひいては高校生活を楽しく有意義なものにするために必要なものなのです。


大人の社会でも、能力の無い一部の人間が無駄に権利を主張して大事なことが決められずにグダグダになっている例を、私達は見て来てるはずです。だから、私達はそんな大人の失敗を繰り返さないように、責任を負える能力を持った人によって社会を引っ張っていくことを実践するべきだと思うのです。その為に、今からそういうことを身に着けていくべきだと私は考えます。それがこのグループ分けの目的なんです」


と、まるで選挙演説のように身振り手振りを交えて熱弁を振るった。


最初は「何言ってんの?」みたいな反応だった他の生徒も、<能力の無い人が無駄に権利を主張して大事なことが決められずにグダグダになってる例>という辺りから少し目の色が変わり始め、少しは真面目に彼女の話を聞いてもいいかもしれないという気配が広まり始めたようにも見えた。


アヤは思う。


『彼女の言ってることは、一見、もっともらしいように私にも聞こえた。正直言って、私もそんな風に思ってた時期もあった。テレビとか見てて、反対反対しか言わない野党とか、訳分からないデモばっかりしてる宗教じみた集団とか、そんなのがいるから世の中が良くならないんだみたいに思ってた時期があった。彼女の言うことは、そういうのをやめてちゃんと社会を良くして行こうっていう風に聞こえなくもなかったかな』


事実、この時には既にクラスの生徒の半分以上が彼女の言葉に頷いていたようにも見えた。ただ、それでも、


「能力のある人間が一軍って言うけどよ、じゃあどうやってその能力のある人間ってのを区別すんだよ。成績か?」


男子生徒の一人が、やや食って掛かるみたいに問い掛けた。しかし陽谷瑠美は逆に感心したかのように目を輝かせて両手を広げ、


「そう、それです! それでいいんです。あなたの様に自分の意見をはっきりと口にできる人こそが一軍に相応しい。頭の中で思ってるだけでうじうじしてる人に社会は動かせません。意見のある人はどんどんおっしゃってください!」


と言い放った。すると、それに応えるように次々と発言が飛び出してくる。


「自分は何もしないで助けてもらおうと思ってる奴が多すぎる!」


「権利には責任が伴うっていうのを分かってない奴が多いよな!」


「私もそれ考えてた! 私達はそういう大人を反面教師にするべきだと思う!」


等々。


陽谷瑠美はそれらの生徒を皆、「あなたも一軍です」「あなたも!」と、次々一軍認定していった。


その光景はまるで、催眠術師が集団催眠を掛けるかのようにも、詐欺師が詐欺的商売で品物を売りつけていく様子であるかのようにも見えた。『巧い』とアヤは感じた。自分達に逆らいそうな、はっきりとものを言うタイプの生徒は一軍として仲間に引き込んで、反対する空気を作らせないようにしてるんだと思った。


結局、そんな調子でクラスの半分近くの生徒が一軍入りを果たすことになった。残りの半分の殆どは、積極的に意見を言ったりはしないものの、その場の空気を読んで流れに合わせる感じの生徒ばかりだった。それが二軍だということのようだ。


そして、積極的に意見は言わず、しかも場の空気にもあまり興味を持たない、マイペースで自分の世界を持っている生徒、つまり、ヒトミを始めとした三人と、同じように独特の空気感を持っててクラスに溶け込んでいなかった男子二人の計五人だけが三軍ということに、流れるようにして決められてしまったのだった。


アヤ達はあまりの展開に茫然とするしかできなかった。そんな中でもヒトミだけはあまり興味無さそうにしてたのだが、アヤとコノはさすがに納得がいかなかった。だから思わず陽谷瑠美を睨みつけていた。そんなアヤらを見て彼女は顎を上げ露骨に見下すような態度で言い放った。


「あら? 意見があればおっしゃってくださいと言った時には何も言わなかったのに、三軍の方が何か不満でもあるんですか?」


そんな陽谷瑠美に合わせて、一軍の生徒だけでなく二軍の生徒までがアヤ達を見た。その視線には、明らかな非難の色が込められていた。この流れに乗ろうとしない<異物>を排除しようとするかのような目だった。


そこに君臨するかのように立つ陽谷瑠美が言う。


「川上さん、昨日も言いましたけど、リボン、Aタイプを着けていいのは一軍だけですからね。次の制服販売の日までは猶予しますけど、来週からはちゃんとBタイプのリボンにしてきてくださいね」


この発言には、二軍の子の中でAタイプのリボンを着けている女子生徒もいたことから、一瞬、「ええ~っ!?」という動揺の声が漏れたものの、すぐその場の空気を読んだのか、すぐさま諦めムードが広がっていった。予備としてBタイプを持ってた女子生徒など、その場で着けかえる者さえいた。


『何なのこれ、何が起こってるの…?』


アヤにはもう何が何だか分からなかった。そしてその後の時間は、アヤにとってはまるで地獄であった。元々クラスに溶け込んではいなかったとはいえ、これまではそこまではっきりした壁があった訳でもないと思っていた。なのに今では、一軍二軍の生徒との間にははっきりとした壁、それも、明らかにアヤ達を見下すための壁があるのを感じ取ってしまっていた。


にも拘らずヒトミは、そんなに気にしてないようだった。いつもの変わらずただ飄々としていて、眼中にすらない様子だった。彼女にとっては他人の評価とか、本当にどうでもいいことだったのだろう。また、コノも元々、女子女子しておらず以前からやや浮いた存在だったからか、はっきりと不機嫌そうにしていたのは二時間目くらいまでだった。


けれどアヤには、この雰囲気は耐えられそうにないものだった。休み時間ごとにヒトミに撫でてもらって癒してもらっても追いつかなかった、時間が経てば経つほどカアッと燃えるような感覚が圧力を増していった。だから放課後、それが遂に爆発してしまったのだった。


この日は、教師の研修会の為に、自主的に活動している部活以外はすべて休みで一斉下校だったこともあり、校門のところで陽谷瑠美を見かけた時、堪え切れず思わず言葉が迸っていた。


「陽谷さん! あなた何様のつもり!? 一軍とか二軍とか三軍とか、勝手にそんなこと決めないでよ! スクールカーストの真似事!? ドラマとかアニメとかの真似したいんだったら妄想の中だけでやってよ! 人を巻き込まないで! 何が三軍よ! 三軍って何よ! ふざけないで! 三軍って…三軍って、なによう…」


そこまで一気にぶちまけた彼女だったけれど、正直、自分でも何を言っているのかよく分かっていなかった。ただもう自分の中に噴き上がる言葉をひたすらぶつけただけだった。それと一緒に涙が溢れてきて、最後にはしゃくりあげてしまって言葉にならなくなっていた。


ヒトミとコノが背中をさすってくれても、涙は止まらない。


陽谷瑠美はそんな彼女の姿を黙って見詰め返していただけだったが、そこに一人の男性が現れて彼女を車に乗せて行ってしまった。どうやら陽谷瑠美の関係者らしい。


残された形になったアヤは、ヒトミとコノに促され、ようやくといった感じで学校を出た。この時、実は教師の何人かが校門付近でその様子を目撃していたものの、生徒同士の問題には慎重に対応するという方針もあって、特に干渉はしてこなかった。あくまで遠巻きに様子を窺っていただけである。


しばらく歩いたところで、アヤは言葉を漏らした。


「ありがとう…ごめんね……」


とだけ。


そしてアヤは思った。


『あ~あ…これで完全に目をつけられちゃったな……一軍二軍を使ってきっと嫌がらせとかしてくるんだろうな……』


だけど、それは仕方ないとアヤは思っていた。ただ、ヒトミとコノが巻き添えになるというのだけは嫌だった。さりとて、どうすればいいのかというのも分からない。皆目見当も付かない。文字通り途方に暮れるしかない状態だった。


さすがにそのままでは自宅に帰れず、やはりヒトミの家に集まることにさせてもらうことになった。ヒトミもアヤを気遣い、「うちにおいでよ」と誘ってくれた。落ち込むアヤの背中を、ヒトミとコノが黙ってさすってくれる。


しかしその時、突然、アヤの携帯に着信があった。母親からだった。こんな時間に電話を掛けてくるようなことは滅多にないので、『何事?』と思い出ると、


「今どこにいるの? 早く帰ってらっしゃい!」


と強い口調で言われた。事情も話さずただいきなり頭ごなしに命令するだけの母にイラっとしてしまったアヤだったが、逆らう気力もなくてすぐ自宅に帰ることになった。


訳も分からないまま自宅に着くと、客用の駐車場に、見たことのない、いや、どこかで見かけたような気もする高級車がとまっていた。


戸惑いながらも玄関を開けると男物の革靴と見慣れないローファーが並んでいた。『お客かな…?』と思いながらリビングに入ろうとした瞬間、アヤはそこにいた人影を見てハッとなってしまった。


『陽谷さん……?』


そう、そこにいたのは、ひどくバツの悪そうな表情かおをして目を逸らす陽谷瑠美と、スーツ姿の、上品そうでいながら隙を感じさせない引き締まった顔つきの中年男性であった。


『何で? どうして?』


混乱したままアヤがリビングに入ると、中年男性はすっと立ち上がり、それに従うようにして陽谷瑠美も立ち上がった。すると男性は陽谷瑠美の頭を掴むようにしてアヤに向かって下げさせ、自らも深々と頭を下げて言った。


「この度は、私の娘が大変なご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」


「…はい…?」




その男性は、陽谷瑠美の父親であった。彼は一部上場企業の重役なのだという。実は、以前からも何度かアヤの父親の客としてこの家には顔を出していたのだった。アヤは関心がなかったことからよく見ておらず覚えていなかったが、彼の方は仕事柄、人の顔は一回で覚えるようにしているらしく、アヤのことも覚えていたという訳だ。それが今日、たまたま仕事のついでで娘を迎えに行く為に学校に寄ったところ、あの場面に出くわしたということだった。


そのただならぬ様子に彼は娘に事情を問い質し、グループ分けのことやリボンについての件を<白状>したことにより、アヤの家まで詫びを入れに訪れたという流れであった。


その後も彼は、アヤの父親にもお詫びをしたいということでその帰りを待ち、父親が帰ってくるとアヤに対して行ったのと同じように娘の頭を押さえ付けて謝罪させていた。


わざわざそこまでしたのは、実はアヤの父親が企業に対して許認可を与える部署の責任者であり、企業の役員である彼としては絶対に敵に回したくない人物だったという事情もあったのである。


この時、陽谷瑠美の父親と向き合っているアヤの父親は、アヤがこれまで見たことのない顔をしていた。これまで見てきたそれらはどれもぐうたらで粗大ゴミのようにただ邪魔なだけの存在としての顔でしかなかったというのに、今はそういうのではなく、責任ある仕事をこなす<男の顔>と言えるものに見えた。しかも、陽谷瑠美の父親が<迷惑をおかけしたお詫び>として持参した品物を決して受け取ろうとしなかったのは、賄賂と見做される可能性があるからだということを、アヤは後程知ることになる。


「あなたのお子さんがしたことは、私の仕事には関係ありません。私は定められたことを粛々と行うだけです」


アヤの父親がそうきっぱりと言い切ると、陽谷瑠美の父親もむしろ安心したような顔になって、何度も頭を下げながら娘を連れて帰って行った。娘には謝罪以外の言葉を口にさせることもなく。


この時、アヤは思った。


『家では娘の私からも馬鹿にされて、お母さんにはATM扱いまでされて、だけど、仕事をしてる時のお父さんは立派な人だったんだと初めて知った気がしたよ』


と。


陽谷瑠美が作ろうとしてたグループ分けは結局うやむやとなり、クラスも少しの間ぎくしゃくした雰囲気は残ったものの、それもしばらくしたらまた元の感じに戻っていった。委員長の御手洗も一週間ほどで戻ってきた。あのまま陽谷瑠美の思った通りになっていたら、アヤ達が通う学校にもスクールカーストが広まってたかもしれないと彼女は思った。


『お父さんは、自分でも知らない間にそれを阻止したんだね。


そう思ったらなんだかちょっと可笑しくなっちゃった。でも、そのお礼をしたいと素直に思えた。明日は確か父の日だったね。今までプレゼントなんてまともにしたこともなかったけど、お父さん、今回はちょっと違うかもね』



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