スクールカースト
近頃、アヤは思っていた。
『最近、クラスの雰囲気が微妙な感じになってきてる気がする。
何か、ピリピリしてるって言うか、微妙に険悪って言うか。特に、これまでクラスの中では割と早いうちから出来上がってたグループが分かれて再編成されたみたいなことを言ってる子もいた。ただ、それまで何となく、リーダーとまでは言わないけど割と率先して動いて、委員長にまでなった御手洗さんが、ここ3日ほど欠席してるってのも何か関係あるのかな?
その御手洗さんに代わって積極的に動いてるのが副委員長の陽谷さんらしいんだけど、私、彼女苦手なんだよね。
まあ、美人だと思うし成績もいい方らしいし明るいし積極的だし、それはいいと思うんだけど、何か違う気がするんだ。やってることがいちいち芝居がかってるって言うか、はっきり言っちゃったら嘘臭いって感じ? コントとかで見るセレブキャラって感じかなあ』
などということを。
「でもあたしらには、か~んけ~いないさ~」
放課後、いつもの通りに三人で部活前に宿題をしてた時に、アヤがこのところのクラスの様子についてちょっと話すと、コノがミュージカルっぽく大袈裟な振りを付けてそう言った。
「だよね~」
ヒトミも興味無さそうに言う。しかしアヤは納得できなかった。
「それは私もそう思うよ。私達はどうせ余りものグループなんだから、目立とうとか人気者になろうとか考えてるわけじゃないけどさ。でもやっぱりクラスの雰囲気とか悪かったら気分良くないよね」
とアヤが言うと、コノも返す。
「それはそうだけど~。あたし達にはどうしようもできなくない?」
するとその時、三人の耳に声が届いてきた。
「あらあらこれは三軍の皆様お揃いで、勉強会ですか? でも教室を勝手に使われては、日直の方が戸締りできないじゃないですか。あなた方の勝手で迷惑を掛けちゃいけないですよね?」
などと、何やらまるでドラマかアニメの女王様キャラの登場を思わせる、冷静に見れば失笑を禁じ得ない芝居がかった形で登場したのが、件の副委員長、陽谷瑠美であった。その脇には、まるで取り巻きのように二人の女子生徒、飯田と三条を従えている。
「え、でも先生は、部活が始まるまでの時間ならいいって…」
意表を突かれたことで気圧されていたアヤは、高圧的な彼女に対して必要以上に下手に出てしまった。咄嗟のことで頭が回らなかったのだろう。それもあり、この時に陽谷瑠美が発した言葉の不自然さにさえ気付いていなかった。
陽谷瑠美はさらに言う。
「そんなの関係ありません。授業が終わったら教室の戸締りをするのが決まりです。今日の日直の飯田さんが、あなたたちがいるから戸締りできないって困ってたんです。だから副委員長の私が注意しに来たんです。さ、早く出てください。時間まで待つのは部室の前で良いはずですよ」
まるで取りつく島のないその言い方に、アヤは思った。
『これは、逆らうと余計に面倒臭いことになるやつだ…』
そこで三人は渋々ながら教室を出ることにした。それから、部室の方に向かって歩き出す。しかしそんな三人に向かって陽谷瑠美は追い打ちを掛けるように言葉を投げつけた。
「そうそう、三軍はそうやって一軍の言うことに素直に従わないと駄目ですよ」
『…は? 三軍……?』
ここでようやく、彼女の言っていることが頭に入ってきた。そして思わず、
「三軍? 一軍? 何それ?」
と、訊き返してしまう。それに対して陽谷瑠美は言い放った。腰に手を当て、反り返るように胸を張り、実に尊大な態度で。
「私達のように家柄や成績や容姿が一軍の水準にある人が一軍となります。あなた方のような<光ってない残り物>は三軍です」
その言葉に、アヤ達は唖然と顔を見合わせて思った。
『やばい。これは<真正>だ。変に逆らったら絶対本当に面倒臭いことになる。ここは調子を合わせておいた方がいいよね』
と。だから、取り敢えずその場をやり過ごす為に言った。
「分かりました。次からは気を付けます」
それと同時に逃げるように歩き始めたアヤ達に、陽谷瑠美はなおも言う。
「あ、それから川上さん」
『って、え? 私…!?』
名指しで呼び止められたアヤが恐る恐る振り向くと、鋭い視線を向けていた陽谷瑠美が真っ直ぐに指を差して、
「あなた、Aタイプのリボンしてますね? Aタイプを付けていいのは一軍だけってことに決まりましたから、二軍以下はBタイプかネクタイにしていただきます。いいわね?」
と命じた。そう、それは明らかに有無を言わさず従わせる為に放たれた<命令>だった。ちなみに、ヒトミもコノもネクタイを着用していた為に、アヤだけが指示されたのである。
とは言え、一瞬、何を言われてるのか分からず一秒か二秒固まってしまってからやっと意味が頭に届いてきて、アヤは「ええ!?」と訊き返してしまった。すると陽谷瑠美は明らかにイラついた表情になり、
「え?じゃないでしょう。三軍の貴方にAタイプは似合わないんだから、Bタイプかネクタイにしなさいって言ってるの!」
とまで。
『何それ、いつそんなこと決まったの? って言うか、どのタイプのリボンするか本人の自由でしょ? 校則でそうなってるはずだよね!?』
アヤはそう思ったが、それもまた口にはしなかった。ここで迂闊に反論などすれば余計に面倒なことになりそうだと感じたからだった。だからこの場はとにかくやり過ごして、後で教師にでも相談すればいいかと考えた。
「はい……」
とだけ応えて、アヤは陽谷瑠美に背を向けて歩き始めた。
「ちょっと、アヤ、大丈夫?」
コノが小声で声を掛けたりヒトミが心配そうに見詰めたが、この時にアヤの頭の中にあったのは『今すぐこの場から立ち去りたい』というだけだった。とにかく距離を取らないと、陽谷瑠美に対して飛び掛かってしまいかねないと彼女は感じていたのだった。
そのアヤの顔は、まるで仁王のように忿怒の形相になっていた。
その後、部室の前についた頃には辛うじて落ち着けていたものの、それでもイライラした気分は収まっていない。
「何あれ、何のつもり!?」
とか思わず声に出てしまう始末だ。
「いや、マジそうだよね」
コノが同調する。
「ひどいこと言うよね」
とはヒトミだった。アヤを気遣っているのが分かる。続けて、
「どうする? 先生に相談する?」
との言葉を耳にして、すっと冷静になるのが分かった。
『こんなの先生に相談したって、一回くらい言われただけじゃたぶん相手にもしてもらえないよ』
そう思った。だから、
「うん、でもまだ本気かどうかも分からないし、もうちょっと様子見てからでいいかな」
とは言ったものの、本音ではやはりまだ怒ってはいた。
この学校では、女子のリボンには華やかで可愛い感じのAタイプと、それよりは小さくてデザインも大人しいBタイプがあり、それと男子と共通のネクタイのどれかを好きに選んでつけることができた。女子にはやはり華やかなAタイプが圧倒的に人気で、アヤも気に入っていた。それを勝手にBタイプにしろとか言われても、納得できる筈もない。
しかもアヤの場合、Aタイプを付けてるのは、彼女自身が気に入ってるからというのだけが理由ではなかった。と言うのも、彼女の母親が、学校の制服の見本を見た時、Bタイプやネクタイのことを、
「何これ、こんなみっともないのを娘にさせられるわけないじゃない。何考えてるのこの学校」
と、鼻にもかけずに切り捨てたのだ。だからもしアヤがBタイプを着けるなんて言おうものなら、間違いなく<ボロカス>に言われるに違いない。それを想像するだけで吐きそうな気分になる。というのが彼女の偽らざる気持ちだった。
さりとてこの話、ネクタイを着けているヒトミやコノには関係のない話だった。二人は元より女子女子しているリボンになどまるで興味がなかったからだ。
最近はなるべく遠慮しようと思っていたもののこの日はさすがに真っ直ぐ家に帰る気になれず、アヤとコノはヒトミの家に集まることとなった。そこで何とか気持ちを持ち直してから自宅へと帰った。そうしないと嫌な気分を抱えたままであの自宅に帰るとそれこそ正気を失いそうだったからだ。
しかし、自宅に帰るとまた嫌な気分になってしまった。学校で起こったことを相談できる筈もない母親に、リボンのことなどそれこそ告げられる道理がない。夕食の後すぐに自室にこもり、頭を抱えた。
風呂の時には父親も帰ってきたものの、やはりリビングでだらしなく横になってテレビを見ているだけで、そんな姿を無言で睨み付けている娘には気付く気配すらなかった。
アヤは思う。
『お父さん、テレビばっかり見てないで、私の顔を見てよ。親なら娘がこんなに困ってることに気付いてよ。ヒトミのお父さんなら気付いてくれるよ。こんな苛々した顔してたら、見たら気が付くでしょ? 娘の顔くらい見てよ、お父さん……!』
なのに父親は、振り向きさえしなかった。そんな父親に対し、アヤは殺意すら覚えた。
『この人は、私が学校で虐められててもきっと気が付かない……
けどもういいや。こんな親のところに生まれたんだもん、しょうがないよね。だから私は、Aタイプのリボンのままで行くことを決めたよ。それで陽谷さん達に嫌がらせされてもイジメを受けても、それはお父さんとお母さんの所為だよ。あなた達が自分の子供の顔もちゃんと見ないから、そういうことになるんだよ。
私がイジメでも受けて事件になってから騒がれて、それで被害者面して後悔すればいい。私に言わせれば、あなた達も加害者だけどね……!』
その時、テレビのCMが、「今度の日曜日は父の日です」と言っていた。
しかしアヤにとっては本当にどうでもいいことでしかなかったのだった。