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ヒトミの哲学  作者: 京衛武百十
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明らかな違い

コノが突然、ヒトミの家に行きたいと言い出した時、アヤはアヤでいろいろと思うところがあった。


『ヒトミのお父さんは夜に仕事してて昼間は寝てるって言うから無理なんじゃないの?』等々。しかし、当のヒトミが「いいよ」と受け入れたので『本当にいいのかなあ…』と不安にはなりつつお邪魔することにした。


ヒトミの家は、アヤの家に帰るまでのちょうど途中にあったことで、学校からの帰り際に寄るには非常に都合が良かった。迷路のような路地に入っていったのには戸惑ったものの、そこはスマホででも場所を確認しながらなら次は一人でも来られるだろう。


けれど、ヒトミの家を一目見たアヤの印象は、『何か思ってたのと違うかも…』という感じではあった。彼女の頭の中では、もっとこう、ゆったりとしたそれなりに大きな家にでも住んでいるのかと思っていたのだ。


彼女の、大らかと言うか器の大きさからすると、ちまちまごちゃごちゃした生活はしてなさそうだなと感じていたのである。


なのに実際は、家の前に、使い込まれて錆び始めた乳幼児用の椅子が付いた自転車と、ヒトミのものと思しき軽快車と、小学生低学年くらいの男の子が使ってそうな黒い子供用の自転車が雑然と置かれて、しかもあまり丁寧に掃除もされていなさそうな玄関先の感じが、こう言っては何だがやや<荒れた>家庭環境を思わせたのだった。


それでも、ヒトミ自身は平然と「ただいま~」と言いながら玄関を開ける。


その玄関も、靴は散らかり、上り口にはチラシなどが雑然と積まれ、荷物が入ったままの買い物袋がそのままで放置され、つい、『汚部屋だ!』などという言葉が頭をよぎってしまった。


けれど、「おかえり~」と声を上げながら奥から走り出ていた可愛い男の子(?)の姿を見た瞬間、ズキューン!と何かがアヤの体を奔り抜けた。するともう、それまで考えていたことの何もかもがどうでも良くなってしまった。


「可愛い~。弟さん?」


勝手に言葉が漏れてしまった。しかも、いつもは決して出さないハイトーンな声で。


本当に可愛い男の子だった。声の感じと髪を短く刈っていることから男の子だと判断しただけで、女の子だと言われてもそのまま信じてしまいそうな優しい顔つきで、いかにも<男の子>という印象がまったくない。


「そうだよ。四年生。正大しょうたって言うんだよ」


名前で男の子であることは確定したものの、それでもあまりの可愛らしさにアヤの胸は高鳴っていた。


彼女を歓迎しようとしてくれているのか真顔で一生懸命敬礼してくる彼に向って、アヤも思わず敬礼を返した。隣ではコノも同じように敬礼している。すると彼もニコニコ~って感じで笑ってくれた。その姿にまたしても胸がキュンっとなる。


『うちのウザい弟とは異次元の存在だわ~!』


なんてことも思いながら、ヒトミに促されてアヤは靴を脱いで上がっていた。


「一階はお父さんの仕事場兼家族のリビングだから、二階に来て」


そう言うヒトミに従ってコノと共に梯子のような急な階段を上るとそこはすぐに和室だった。広さは六畳ほどか。部屋の一方をカーテンが覆っていたが、それは一見しただけで窓ではないと感じた。明らかにその向こうにも部屋があり、間仕切りとしてカーテンを使っているだけだというのが何故か分かった。


反対側には大きな窓があり、ベランダに出られる感じのようだ。そして部屋の真ん中には明らかに冬はコタツとして使っているであろう小さなテーブルが置かれている。


ただこの部屋を一番印象付けているのは、出しっぱなしになったオモチャやマンガの本だっただろう。整理整頓というものがされていない。それを見たヒトミが、


「もう、ショウタ、ちゃんと片付けてっていつも言ってるでしょ」


と<お母さん>のようなことを言うものの、それも決して怖いとかきついとかいう印象ではなくて、むしろ優しい感じであった。


いつの間にかついてきていたショウタが「ごめ~ん」と言いながらオモチャとマンガを片付け始めるけれども、その片付け方も実に適当で、部屋の隅へと積み上げるだけというものだった。


けれどその様子がまた、アニメの一シーンのようになぜか微笑ましい。


「その辺に適当に座ってて」


ヒトミはそう言い残して一階へと降りていく。


アヤとコノが、戸惑いながらも言われたように適当に座ると、ショウタがせっかく片付けたマンガをまた出してきて、


「このマンガ知ってる? 面白いんだよ!」


と二人に見せてきた。それは、巷でとても人気のある、海賊が活躍する少年マンガで、実はアヤもコノも好きなマンガだった。だからアヤが「知ってる。面白いよね」って言おうとしたら、


「ショウタくんもそれ好きなんだ。面白いよね」


と、コノに先を越されてしまった。


『あ、抜け駆け! ズルい!』


そう思いながらもアヤも負けじと最新刊の盛り上がるシーンを解説して話に加わった。


するとショウタは、「すげ~!」と目をキラキラさせながら食い入るように話に耳を傾けた。そんな彼の様子に何気なく積み上げられたマンガを見ると、それらは全てかなり以前に出たもので、最新刊どころかここ一年以内に出たものさえ見当たらなかった。カバーすらついていないものも多い。どうやら、古本屋で、しかもカバーなどがなかったり痛んでたりして安くなったものを買っているのだと思われた。


その様子からも、決して生活は楽ではなさそうだと感じられた。なのに、ヒトミからもこのショウタという子からも、悲壮感のようなものはまったく感じなかった。それどころか『毎日を楽しんでる』という印象しかない。


アヤもコノも、何とも言えない不思議な気分になっていた。


と、誰かが階段を上ってくる気配に二人はハッとなり、そちらに視線を向けた。するとヒトミが二リットルのペットボトルのミネラルウォーターと紙コップを手に部屋に入ってくるところだった。


「うち、ミネラルウォーターしかないけど飲む?」


と尋ねながらペットボトルと紙コップをテーブルの上に置く。


「いただきます」と二人が応えると、ショウタが紙コップを二人の前に置き直して、ミネラルウォーターを注ぎ始めた。言われてもいないのに自分からそうしたのだ。そんな様子にも、アヤとコノは驚きを隠せなかった。


「ありがとう」


アヤはそう頭を下げ、コノは、


「偉いね~、気が利くね~、ショウタくん!」


としきりに感心していた。するとショウタもそれが嬉しかったらしく、得意げな顔で「えっへん」と胸を張るしぐさをしてた。


アヤは思った。


『このくらいの男の子が、言われなくてもそういうことするのって、なかなかすごい事じゃないの?


でも、何だかそれは躾でそういう風にされてるって感じじゃないのかな? 


何て言ったらいいんだろう? ただ自分がそうしたいって思ったからしてるって言うか、テレビとかで見たことの真似をしてるって感じ?』


実はアヤの母親も、家に客が来た時にはこの時のショウタと同じことをさせようとあれこれ言って、アヤもそうするのがだが、それは明らかに渋々やってるものでしかなかった。ショウタのように自主的に動いたことなど一度もない。母親に言われるから仕方なくやっているというのがはっきり分かるものだった。


この違いはいったい…?


アヤの家でオモチャやマンガを出しっぱなしになどしていれば、母親の、嫌味と小言と愚痴が一体となった不快な話を延々と聞かされる羽目になる。だからアヤにとって自宅など一瞬たりとも居心地のいい空間であったことがなかった。


母親が煩いからパッと見には片付けるものの、それはクローゼットに雑然と物を押し込むだけで、実際には整理整頓などと言えるようなものではなかった。母親に注意されなければ、おそらく二日で家の中を滅茶苦茶にできるという妙な自信さえあった。


なのに、ヒトミの家は、一見するとまったく片付けられていなくて荒れているようにも見えるのに、片付けるように言われれば反抗することなくすぐにその通りにしていた。それがまた楽しそうでさえあった気がする。


『何だろう、この違い?』


アヤはまた思った。


『楽しそう…? そうだ、楽しそうなんだ。飲み物を用意したら相手が喜んでくれるのが楽しくてやってる。部屋を片付けたらそれだけ部屋が広く使えるようになって気分いいから片付ける。自分が楽しいからやってるって感じ?


お客をもてなす。部屋を片付ける。結果が同じだったら、本人が楽しくできたら、嫌々じゃなくできたらそれだけで気分いいよね。なのに私のお母さんはどうしてそういう風にできないんだろう? 


いちいち、言ってる本人も嫌味と小言と愚痴を一緒にしてネチネチと嫌な気分になりながら相手を嫌々従わせようとするんだろう? そんなこと考えたら何かもうよく分かんなくなってきた』


だからもう彼女考えるのをやめた。それからはヒトミやショウタやコノと一緒にマンガを読みながら、マンガ談議に花を咲かせていた。


そのとき読んだものは随分と前のものだったから懐かしい気分にさえなりながら、しかし楽しく読めた。


アヤ自身は、自分の家では、弟が四年生になった頃にはもう殆ど口もきかなかったという覚えしかなかった。それどころか明らかに嫌悪していた記憶がある。


『何で、私の家ではこんなに楽しくしてられないんだろう…?』


またそんなことを考えそうになって、しかし彼女それをなるべく考えないようにしたのだった。



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