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ヒトミの哲学  作者: 京衛武百十
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リビドー

すっかり三人で集まるようになったある日の放課後、いつものように部活が始まるまでの間に教室で一緒に課題をしながらコノは言った。アヤに続いてコノも、ヒトミのいる茶道部に入部していた。


「なんかさ~。男ってメンドクサイ生き物だよな。何かっていったらエロい方向に話を持っていきたがるしよ~。こっちはそんなの興味ね~って言うんだよ。ホント言うと全然ね~ワケじゃないけど、だからっていつでもそういうの考えてるワケじゃないんだって。だからそういうノリじゃね~時にそんな話されたってマジ引くだけだっての」


それに対してアヤとヒトミも、


「だよね~」


「分かる分かる」


と頷いた。


コノは思う。


『エロいマンガとかAVとか真に受けてる男とかありえね~! ああいうのに出てくるのは全部嘘だから。たまに女でもダマされてるのいるけど、マジで嘘だから!』


どうやら彼女は、性的なことに対して強い嫌悪感を持っているようだった。


三人はいつも、休憩時間も遊びには使わず、課題を片付けることに費やした。三人でこうして集まりながらするとそれだけで楽しかった。殆ど遊んでいるようなものだ。


後は、部活でもまた楽しめる。


コノも、アヤと同じで茶道に興味があった訳じゃなかった。それどころか、苦い抹茶も、甘い茶菓子もあまり好きではなかった。どちらかと言えば辛いものが好きだった。ただヒトミと一緒にいたかっただけだ。


部活を終えて三人で一緒に帰るのも楽しみだった。と言うよりも、家に帰りたくなかったと言った方がいいだろうか。だから言った。


「ねえ、ヒトミん家にちょっと行ってもいい?」


その突然の申し出にも、ヒトミは「いいよ」と躊躇わずに応えてくれた。しかしそれに続けて、


「たぶん中年のおじさんが隣の部屋で寝てるけど、それでいいんなら」


とも付け加えたけれど。


さすがにそれにはコノだけではなくアヤも戸惑った顔を見せた。


「なにそれ? 誰?」


コノが問う。それに対してもヒトミは平然としたまま答えるだけだ。


「お父さん。夜に仕事してるから夕方まで寝てるんだ」


と。それを聞いて慌てたのはアヤだった。


「え? でもそれじゃ家に行ったら迷惑だよね」


確かに、夜勤で昼は寝ているのなら邪魔をするのは迷惑が過ぎる。コノもアヤもさすがにそれくらいのことは分かった。だから残念だけれども諦めるという表情になったコノにむかってヒトミはこともなげに言った。


「平気だよ。あんまり騒いだりしなかったらお父さんそういうの気にしないから」


「え?」と呆気に取られる二人に対してヒトミはさらに「いいから来てよ」とまで。


『そう? そこまで言われたら行かないわけにもな~』


コノはそう考えたけれども、アヤはさすがにまだ戸惑っていた。それでもコノはすっかりその気になり、一旦自分の家に帰ったから着替えて自転車でヒトミの家に向かうことにした。家の場所はスマホで確認する。ヒトミの家はコノの家からかなり通り過ぎたところにあったから、まず自宅に寄ったというわけだ。


「ただいま」と彼女が自宅の玄関を開けると、家の中でバタン!とドアが締められる気配がした。二階からだった。それ自体はさほど気にしなかった。両親はまだ仕事から帰っていない筈だけれどもどうせ兄の一人が自分の部屋に入っただけだろうと思ったからだ。


『さっさと着替えて行こ…!』


そう思いつつ、しかし自室に入った瞬間、コノは何とも言い難い違和感を覚えていた。


『なに…? なんか、変……』


本当になぜか分からないけれどもとにかく気持ち悪いと彼女は感じていた。


何気なく部屋を見回すと、本棚の上に置かれた箱が目に入った。


『あれ…? あんなところに箱なんか置いたっけ…?』


と思いながら見ると、それはスマホの箱であった。しかも、彼女が使っている機種ではない、かつて使っていたことさえない機種の箱だった。


『なにこれ気持ち悪い…』


彼女は咄嗟にそう感じた。そしてそっと手に取ると、箱の中で何かが倒れる気配がした。しかもその箱には、普通は入っているであろう緩衝材が入っておらず、スマホだけが入っているという印象だった。さらによく見ると、箱には穴が開いていて、僅かに中が見えていた。


『不審だ。不審すぎる……』


慎重に箱を開けて中を確認した彼女の体をゾワっという悪寒が奔り抜けた。体が震えるほどの。


中に入っていたのは、やはりスマホだった。しかも、動画撮影モードになった。


彼女は、そのスマホに見覚えがあった。二人いる兄のうち、下の方の兄が使っているものだった。


「これって盗撮じゃん…」


そう。盗撮だった。状況から見る限り推測されることは、下の兄が彼女の着替えを盗撮しようとスマホを仕掛けたというものに他ならなかった。


『マジかよあいつ。妹盗撮しようってか? 何だよそれ。頭おかしいだろ……!』


そんな考えが頭をよぎると、今度は体がカアッと熱くなった。


「キモっ! キモっ!」と声を上げながらスマホの電源を切り箱に戻し、部屋のドアを開けて床に置き、脚で蹴っ飛ばして兄の部屋の方へと滑らせた。


『死ね! このクズ!』


コノは心の中で罵っていた。妹に盗撮がバレたことに気付いて本当に自殺してくれることを本気で願いながら。彼女にとって下の兄は、そういう存在だった。可能ならば即刻死んでほしいと思う程の。


『ほんとシャレになんねえ…! なんで部屋に鍵付けちゃダメなんだよ!? もう、勝手に自分で付けてやろうか…!?』


再度、部屋の中チェックしてみて、今度こそ怪しいものが無いのを確認してから、それでも念の為に服を全部脱いでしまわないようにしつつ、かつ急いで着替えた。さっきの気配からすれば確実に兄は自室にいる。つまり今はこの家に兄と二人だけだ。それを思うだけで怖気が止まらない。


着替えて飛び出すようにして、彼女は家を出た。せっかくヒトミの家に行けると思って楽しい気分に浸っていたのに何もかも台無しだった。だから呪った。心の中で呪った。


同時に、


『この最悪な気分、ヒトミに会って上書きしてもらわなきゃ…!』


と考えた。


スマホのマップで大体の場所を確認してその方向に自転車を走らせると、見覚えのある後姿を彼女の目は捉えた。ヒトミとアヤに追いついたのだ。


「ち~す」


先程のことはまるでなかったかのように、コノは明るく声を掛けた。すると二人も「ち~す」と応えてくれた。その瞬間、彼女は救われたような気分になっていた。


歩く二人に合わせてコノも自転車を降りて押す。しばらく歩きながらおしゃべりすると、完全に落ち着いてきたことでようやく安心できて気持ちを切り替えることができた。


それから五分ほど、迷路のような路地を歩くと、「着いたよ」とヒトミが言った。それはそんなに大きくない一軒家だった。あまり古さは感じないものの決して新しくもない。しかし何となくヒトミのイメージに合っているとコノは感じた。ただ、玄関先があまりきれいに掃除されていなくて、自転車も雑然と置かれていて、必ずしも生活レベルは高そうに見えなかった。


「ただいま~」


ヒトミが玄関を開けて声を掛けると、家の中から「おかえり~」と小さい子の声で返事があった。靴が散らかってる玄関には小さい靴もあったことで、小学生の男の子(?)がいるんだと察せられた。


「お邪魔しま~す」


アヤと声を合わせて挨拶すると、家の奥からどたどたと足音を立てつつ小さい子が出てきた。やはり男の子だった。しかし、一見しただけだと女の子に見えなくもない、可愛い感じの男の子だった。


「おねえちゃんのお友達だ! いらっしゃい」


その言い方がまた可愛くらしくて、コノは、胸がキュンっとなるのを覚えた。


『え!? あたし、そういうキャラじゃないのに…!?』


そう戸惑うコノの隣で、


「可愛い~。弟さん?」


と、明らかに普段より高いトーンの声に驚いて視線を向けると、アヤが食い入るように前かがみになっていた。


「そうだよ。四年生。正大しょうたって言うんだよ」


ヒトミに紹介されたその子は、敬礼の真似をしてコノとアヤを出迎えた。するとアヤがまた「可愛い~」と声を上げる。その様子にコノは思った。


『確かに可愛いけどさ。アヤもキャラ変わってない?』


しかし同時に、


『いやでも、四年生にしては小柄だし、いかにもな悪ガキって感じとは全然違う優しい顔立ちでホントに可愛いな…』


とも思ってしまった。いつもなら男に対して覚えてしまう筈の嫌悪感がない。これまでは、それこそ乳幼児以外、低学年の小学生男児にすら嫌悪感を抱いてしまうことも少なくなかったというのに。


「そっかあ、よろしくね。ショウタくん」


コノは敬礼してくれた彼に応える為に、同じように敬礼しながら挨拶した。すると正大もニカッって感じで笑った。


そのおかげか、コノは自分の家であったことをすっかり忘れることができていた。すごく優しくて暖かい気持ちに包まれていた。


だから、ヒトミの家の玄関がかなり物で散らかってることも、全然気にならなかったのだった。



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