友達って、何だっけ? (ピカの疑問)
私はこれまで、<友達>というものを欲しいと思ったことはありませんでした。友達って言われるものを求めて群れる人のことを、馬鹿にさえしていました。人間はそれぞれ役目があり、その役目に従って行動すれば自然と必要な形に集まり、それが合理的かつ有機的な機能を持つことで組織になっていくものだと思っていました。そういう形で繋がる関係を友達などという陳腐な言葉で表現したくはありませんでした。
だけど私が今、ヒトミ達と一緒にいたいと思うのは、何か明確な役目の為でも目的の為でもありません。ただ単純に一緒にいたい、一緒にいることが楽しい、彼女達と一緒にいることで私の何かが満たされる、そんな気がするのです。幼い頃に、何となく仲が良かった同じ幼稚園の子と一緒にいる時のような感覚がある気がします。もしそういうのを友達だというのなら、ヒトミ達は間違いなく私の友達だと思います。
それと同時に、友達という言葉に感じていた陳腐さは、彼女達との関係には感じません。明確な役目や目的はないかも知れないけれど、なぜか無駄には思えない。いえ、ひょっとしたら、私が巧く表現できないだけで、彼女達との関係には何らかの明確な役目や目的があるのかも知れません。
ヒトミ達と知り合ったことで私はいろんなことを知りました。私が持っていたいろんな疑問や矛盾についての答えも得ました。父や母からは得られなかったものを、彼女達から得たのです。もしそれが友達というものであるのなら、私は認識を改めなければいけないと思いました。
コノがヒトミから聞いた、親として子供が生まれてきてくれたことそのものに恩を感じているから、その恩を返すために育てさせてもらってるという話に似たものを、私は父から聞いたことがあります。その時は単に子供をいい気分にさせるための方便のようなものかと思い聞き流していましたが、まさかヒトミからもその話を聞くとは思っていませんでした。ヒトミのお父さんが、父と同じようなことを考えていたとは思いませんでした。
でもだからこそ、彼女に訊いてみたいことがあります。
「ヒトミは、友達って何だと思いますか?」
シンプルだけど、最も本質的な質問だと思います。
「私は、皆さんと出会うまでは友達なんていらないと思っていました。友達と称して群れるだけの人達を見下してさえいました。なのに私は今、皆さんと一緒にいることを望んでます。楽しいと思ってます。これはやっぱり、友達というものなのでしょうか? 友達って、何だと思いますか?」
私の中ではある程度答えが出ている質問を、あえてヒトミにぶつけます。彼女との認識の違いを、あるいはどの程度認識が共通しているのかを確認するために。
するとヒトミは首をかしげてしばらく考えた後、おもむろに口を開きました。
「これもお父さんが言ってたことなんだけど、お父さん、お母さんとは今でも友達みたいなものだって言ってたんだよね。夫婦って言うより、友達みたいなものだったんだって。その友達の中でも一番ずっと一緒にいたいと思えるのがお母さんだって言ってた。お父さんにとっては、夫婦も友達も同じものなんだって」
意外な返事に、私は思わず呆気にとられました。友達の話をしてるのに、どうして夫婦の話になるのかと思いました。そんな私をよそに、ヒトミは続けます。
「お父さんが言うには、友達も夫婦も結局は人間関係の一種なんだって。友達とか夫婦とか形に拘ると分かりにくくなるから、お父さんにとってお母さんは友達の中でも一番大切で一番そばにいて欲しい友達だって言ってた。だったら、ピカの言ってたことも関係してくるんじゃないかな。友達と称して群れてるだけなのはピカは嫌なんでしょ? ってことは、夫婦と称して慣れあってるだけなのもピカは嫌なんじゃないかな?」
「…あ……」
言われてみれば、確かにそうです。夫婦という体裁を維持することだけを目的とした関係に価値があるとは私は思っていませんでした。父と母は、お互いに仕事を持ち、お互いに対等な人間として協力し合ってる、私にとっては理想の夫婦像でした。夫婦もまた、家庭というものを守るためにお互いに役目を負って明確な目的を持って繋がっている小さな組織だと考えることができると私は思います。友達もまた、それに準ずる繋がりなのだと考えれば、ヒトミの言うことも分かる気がします。
夫婦の様に家庭を守るという目的ではないけど、場合によってはそれよりも大きい、人間として自分を高めていくという目的のために繋がった関係。それこそが友達ということでしょうか? そう考えれば、互いを高めるわけでもない、ただ目先の楽しみの為だけに群れてる人達を見下していた私が、イチコ達を友達として認識していることにも納得がいってしまいます。
「ふ~ん、友達っていう大きな括りの中に夫婦があるってことかな?」
アヤがそう言うと、コノも、
「そう言われると結婚っていうものも悪くないかなって気がするな。そんな風に思える男がいればだけどさ」
と言って、感慨深そうに頷いていました。
「でもそれは、お父さんがそう思ってるっていうだけだよ。他の人は知らない」
ヒトミが念を押すように付け足したけれど、正直それはどうでもいいことでした。私にとって重要なのはヒトミの考えで、他の人がどう思っているかは今は重要ではありませんから。
本当に彼女は、私が思っている以上の答えを返してくれますね。ヒトミを通して示された、彼女のお父さんの答えかも知れませんが。
この家の様子とか、私達がこうして集まっている部屋の隣で寝ているとか、私にとっては今なお理解できない部分もありますけど、ヒトミのお父さんは私にとって決して馬鹿にできない存在だと今は思います。理解できない部分も、ヒトミが言う通り、『人には得意なことと不得意なことがある』ということで納得できてしまうことかもしれません。
ただ不思議なことに、ここまで侮れない存在でありながら、決して高いところにいる感じがしないというのも正直な印象でした。まるで流行りのゆるキャラの様に、<ヒトミのお父さん>というゆるいキャラだと感じてしまいます。けれど同時に、そのゆるさに秘密があるのかもしれないとも感じます。
いろいろなことを深く考えて、それでいてゆるい。ヒトミ達と知り合ったばかりの頃の私が自分の目的のために他人を縛ろうとしたような方法論を是としない。それは自分の子供に対しても同じなのでしょう。
私はそういうのを<甘い>とか<無責任>とかこれまで考えていましたが、何故かそれらとも微妙に違う気がしました。ヒトミを見ていて思うようになったのですが、他人を縛るというのは自分の考えを他人に押し付けるということ、自分の思い通りに他人を操ろうとすること。それは裏返せば、自分の都合だけを優先させようとする<甘え>なのかもしれないと、最近は思うようになったのです。
他人を縛らないというのは、他人が自分の思い通りに動いてくれないことを受け入れる度量が無ければできないことだと思います。だとすれば、ヒトミ達と出会う前の私は、自分に甘かった気がします。他の人が自分に従うのが当たり前だと、私の考えてることこそが正しいのだと、いえ、正直言えば今でもそう思ってはいますけど、ただ以前ほどは自分の思い通りにならないことを不快には思わなくなりました。
無論私だって、世の中というものは何でも自分の思い通りに行くわけでないことは知っているつもりでした。なのに私は自分でも気付かないうちに、自分だけは何でも思い通りにできて当たり前のように思っていた気がします。そしてそれを知ることができたのは、ヒトミ、アヤ、コノという友達を得ることができたからだと感じています。




