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ヒトミの哲学  作者: 京衛武百十
16/24

セレブ・イン・ラビリンス

夏休み直前、ヒトミらのグループに加わることには成功したピカだったが、


『まだ何か壁のようなものは感じますね……』


というのが正直な印象であった。ようやく愛称で呼び合えるようになり、ヒトミのいる茶道部にも入部したものの、やはり完全に打ち解けられてはいないと感じていたのだ。


と言ってもそれは、ヒトミから感じるものではない。あくまでアヤとコノから感じるものだった。


無理もない。何しろアヤにしてみればピカは<イジメ加害者>なっていたかもしれない相手である。それをグループに加わったからと、


「はい、これで今までのことはすべて水に流して皆さん仲良くしましょう」


などと言われても素直に受け入れられなくて当然の筈だ。コノは、そんなアヤに遠慮している状態と言える。さりとて険悪な訳でもない。ヒトミが受け入れている以上、アヤもコノもそれについて異を唱える気もない。けれど、それで何もかも割り切れる訳でもないのが人間というものだ。


ピカは思う。


『やはり最初の印象が良くなかったのでしょうか? 


私自身は間違ったことはしてなかったと今でも思ってますけど、私のような考えを理解したくない人がいることも知っています。けれど私は、少なくとももう今の学校で同じことをするつもりはありません。父に釘を刺されたというのもありますが、正直申し上げて興味が薄れてきてしまったと言った方がいいかも知れません。今はただ、ヒトミ達の関係性の秘密を探りたいのです』


と。ある意味では<純粋な好奇心>とも言える。その上で、


『ですが、学校で見る限りでは、普通の仲良しグループと言うよりは家族のような深い結びつきを感じるというだけで、それがどこからくるものかということまではここまでのところ分かりませんでした。


これはやはり、学校外、プライベートな部分にまで踏み込んで確かめる必要がありますね』


と言う理由から、ピカは思い付いたのだった。


『そうです! みなさんを私の別荘にご招待しましょう!』


ピカの家では毎年、父親や母親と一緒に、あるいは一人でゆったりと、何日か別荘に泊まることが習慣になっていた。今年もその為のスケジュールは既に組まれている。しかも今年は一人で宿泊の予定だった。そこにヒトミ達も誘おうという訳だ。急遽お客を連れていくことになるのはいつものことなので対応は簡単というのもある。


幸い、ヒトミ達は夏休みの早い段階で課題を終わらせてしまうということも知っている。夏休み前に<夏休みの課題>として出されたものなどについては、まだ学校があるうちにさっさと始めてしまっているくらいだ。なのでものによっては夏休みが始まった時点には既に終わっているものさえある。実はピカもその点では同じだった。だから別荘に行く予定にしている頃にはスケジュールも取りやすい筈だ。


そこでピカは、ヒトミの家に集まり、詳しい計画を立てることを思い付いた。まずは三人にそれぞれ電話をかけ、


「夏休みの後半に入った頃に私の別荘にご招待したいのですが…」


と大まかな事情を説明すると、


ヒトミからは、「別荘!? 楽しそう! 行く行く!」と二つ返事をもらい、


アヤからは、「ヒトミが行くのなら」と承諾を得、


コノからは、「ヒトミとアヤが行くんなら」とこれまた承諾を得ることができた。そして今日、それについて詳しい計画を詰める為にヒトミの家に集まることになったという流れである。


ではこれ以降は、ピカ本人に語ってもらうことにしよう。




父も母も仕事でしたので、タクシーを使ってヒトミの家に向かうことにします。住所は聞いていましたし、近くに幼稚園があるそうなので、そこまではタクシーで行けるでしょう。そこからはナビを使えば問題ないと思います。


そして私は、ヒトミの家の近所だという幼稚園前まで来ていました。でもそこでちょっと戸惑っていたのです。


『まるで迷路ですね…』


そこは思った以上に入り組んだ、文字通り迷路のような路地ばかりの場所でした。ナビを確認するとヒトミの家までは百メートルもないようですからすぐ近所の筈ですが、敷地内に門や庭どころかガレージすらない小さな家が雑然と並び、どれが彼女の家なのか見当もつかない状態だったのですから。


こういうところもあると聞いてはいましたが、私の家がある、事前にしっかりと練られた計画に基づいて綺麗に整備された地域とあまりに違う、無計画かつ無秩序に出来上がったのであろうそこは、私にとってはもはや<迷宮>を思わせました。不健全とさえ思います。


『これはいけません…』


このような乱雑な作りでは災害にも弱いでしょう。被害を無駄に大きくし、復興の障害にもなるに違いありません。いずれこういう地域もしっかりと整備されなければ、この国の力を削ぐことにもなりかねないと思いました。


『しかし今は……』


そう、今はまず、ヒトミの家を見付けることが先決ですね。ナビで見る限りでは間違いなくこの辺りが聞いた住所の筈ですが、表札さえない家もあってどれがそうだか分かりません。仕方が無いので電話で確認しようと思った時、不意に声が掛けられたのでした。


「お待たせ、ピカ」


声の方に振り替えると、そこには自転車に乗ったコノの姿がありました。


「やっぱり迷っただろ?」


コノがにやにやと笑いながら訊いてきます。


「そうですね。ナビだけでは難しかったです」


私は見栄を張らず素直にそう答えました。そうするとコノは、「こっちだよ」と言って一軒の家の前に自転車をとめました。


それは表札のない、いえ、よく見ると子供が作った感じの手作りのネームボードが掛かっていて、そこに平仮名で「やまふし」と書かれていました。私としては<表札>を探していたので気付かなかったのです。しかし……


『これは……?』


正直、私は戸惑いました。門もない玄関前に雑然と自転車が並び、それどころか掃除さえちゃんとしてるのかどうか疑わしいその家の佇まいに、何か近寄りがたいものさえ感じていました。


そんな私の様子に気付いたのでしょう、コノがさらににやにやと笑いながら言いました。


「玄関前でそんなにビビってたら、ヒトミんちには入れないぞ? どうする? 今からでも集合場所変えるか?」


それは挑発でしょうか? 一体この家の中には何があるというのでしょうか? いいでしょう。ここまで来たら後には引けません。受けて立ちましょう。私が意を決して扉横のチャイムを鳴らそうとした時、また声が掛けられました。


「あ、二人とも今着いたとこ? 丁度良かった」


アヤでした。コノの自転車の隣に彼女も自転車を並べます。そのアヤに向かってコノが、


「アヤぁ、聞いてよ。ピカったらヒトミの家見てビビってるんだよ?。さっすがセレブなお嬢様だよな」


と。それに対してアヤも、


「へえ、そうなんだ?」


と思わせぶりな表情を見せます。


何でしょう? 大したことじゃないはずなのに、何か悔しい気がします。いいでしょう。その挑発、乗って差し上げましょう。


『…よし…!』


気を取り直し、改めてチャイムを押しました。するとチャイム音の後に、「はーい」と家の中から声がしました。どたどたと何か騒々しい音もします。すると扉が開き、そこには小学三年生くらいの小さな子が立っていました。その姿を見た瞬間、私は『きゅうん』と体の中で何かが締め付けられる感じがしました。


「か、可愛い~♡」


思わず声が漏れてしまいます。女の子? いえ、男の子のようです。髪は短いですがすごく優しい顔立ちの、一見すると女の子にも見えてしまう男の子でした。


「おねえちゃんの友達? おねえちゃん、友達だよ~」


その子が家の奥に向かって声を掛けると、Tシャツに膝丈のチノパン姿のヒトミが姿を現しました。


「いらっしゃ~い。二階へ上がって~」


いつもと変わらないヒトミの様子に「お邪魔いたします」と答えて上がらせていただこうとしたんですが、可愛い男の子に見とれて見えていなかった玄関の様子に改めて気付いて、私は思わず動きが止まってしまいました。


『まさかこれほどとは……!』


元から狭い玄関に買い物袋などが雑然と置かれて、それはまさにテレビなどで見る<ゴミ屋敷>の始まりを窺わせる様相でした。まさか、このヒトミの家がこんな状態だったなんて……


「おじゃましま~す」


「こんちはショウタ」


それなのにアヤとコノは全く気にする様子もなくそう言って、まるで梯子のように狭くて急な階段をあの男の子を先頭にしてヒトミに続いて上って行ってしまいました。


「早くおいでよ、ピカ~」


階段の上からアヤが言います。


その声に私は気を取り直し、意を決して上がりました。そして靴を揃えて置いたのですが、アヤとコノの脱ぎっぱなしの靴が気になってついでに揃えました。どうして私がこんなことをしなければいけないのでしょう? 


釈然としない気分のまま、手を着いてでないと上れない梯子のような階段を上ってようやく二階へと辿り着きました。ですがそこも、オモチャや本が壁に寄せて雑然と積み上げられた、清潔感の欠片もない部屋でした。


『うう……』


正直、私は後悔していました。こんなことなら私が全員分の代金を払ってでもファミリーレストラン辺りに集合すればよかったと思いました。でもそんな私を、アヤとコノは二人してにやにやと笑いながら見ていたのです。




上流階級とまではさすがに思っていませんでしたけど、ヒトミの家がまさかここまで下流だとは私は想定していませんでした。これほどまでに荒んだ家庭でありながらどうして彼女はあんなに大らかで鷹揚なのでしょう? 家庭を見れば核心に迫れるかと思っていたのですが、ますます謎は深まるばかりです。それどころか私はもう、混乱していると言った方が良いかも知れません。


私を見詰めながらにやにやと笑うアヤとコノの目が、


『あなたはここまで来れるのかな?』


と言っているように思えてきます。


ええ、そうです。正直言って帰りたい。でも、ここで帰ってしまっては逃げ出したようで悔しいと感じてしまうのも事実です。


『ままよ…っ!』


私は覚悟を決めて、六畳程度の狭い和室に置かれた小さなテーブルの空いたところに座りました。気のせいか、畳がざらざらしているようにも感じます。私は自分が極度の潔癖症でなかったことを初めてありがたいと感じました。潔癖症であったなら、恐らく玄関のところでそれこそ逃げ出していたでしょう。


するとそんな私に向かって、


「よっしゃ! よく頑張った。これでピカも本当にあたしらの仲間だ!」


コノが親指を立てながら言います。相変わらず下品な人ですね。


「私も本当言うと帰るんじゃないかって思ってた。ちょっと見直したよ」


とアヤも言います。何でしょう? このありがたくない賞賛は。そんな二人とは対照的に、


「二人とも、何気にひどくない?。確かにうちは汚いけどさ」


ヒトミが少しむくれたように言いましたが、目が笑っているので機嫌を損ねているわけじゃないのは感じました。


しかし私にとっては、決して居心地の良い家ではないことも事実です。唯一の救いと言えば、ショウタくんと呼ばれたこの可愛らしい男の子です。彼は部屋の一角に陣取り、携帯ゲームを始めていました。それにしても可愛い男の子だと思いました。まさかこんな家にこんな可愛い男の子がいるなんて。こういうのも<掃き溜めに鶴>と言うのかと思いました。


私が思わず、一生懸命ゲームに興じる彼の様子に見とれていると、


「今日はオレンジジュースだよ~」


と言いながらコノがバッグからオレンジジュースを取り出しました。すると男の子が顔を上げて、「オレンジジュースぅ」と声を上げました。続いてアヤが、


「私はポテチ持ってきたよ」


と言って同じようにバッグからファミリーサイズのポテトチップスを取り出しました。するとまた男の子が「ポテチぃ」と声を上げます。その様子がまた可愛くて、私は思わず見とれそうになりました。しかし、アヤとコノが手土産を持ってきていたのに私が出さないわけにもいきません。危うく忘れるところでしたが、バッグから紙包みを取り出し、テーブルの上に置きました。


「これは?」


と訊くコノに対し、


「慶長庵の塩大福です」


と私は答えました。その瞬間、三人の口から「おお~っ!」っと声が漏れました。


「さすがセレブ、あたしらとは差し入れのレベルが違うわ」とコノ。


「これが、茶道部でも半年に一回出るかどうかという、慶長庵の塩大福!?」とアヤ。


「すごいね、ピカ」とヒトミ。


「しおだいふくって何?」


と、男の子もゲーム機を置いて覗き込んでいました。その様子にまた胸がキュンってなります。


「おいしいおいしい大福だよ。このおねえちゃんはピカちゃんって言うの。ちゃんとお礼するんだよ」


ヒトミにそう言われてその子が、私に向かってニコッと笑って、


「ありがとう、ピカちゃん!」


って。


またまた胸がキュンキュンってなって、私は気が遠くなりそうでした。どうしてこんなに可愛いの?


「あ、ところでこの子は正大君っていって、ヒトミの弟さん。四年生だよ」


フアヤに改めてそう言われて、私は正気に戻りました。でも。


『え? 四年生? 小さいからてっきり三年生くらいかと…!』


などと頭によぎってしまいしました。これはとんだ失礼を。と思いましたけど、口には出していなかったはずなのでセーフだと思います。


「よろしくね、ショウタくん」


と挨拶させていただきました。すると彼も、


「よろしくお願いします」


って元気に頭を下げてくれました。ああ、なんて良い子なのでしょう。


「ねえねえ、大福食べていい?」


と彼に言われて、「どうぞ、皆さんで召し上がってください」と私が応えた瞬間、彼は紙包みを乱暴にバリバリと破り始めました。決して行儀が良いとは言えないやり方でしたが、それさえ子供らしくて可愛いと思えました。


破った紙包みをゴミ箱に捨てて、現れた箱を彼が開けると、そこには整然と並べられた上品な塩大福が並んでいました。


「いただきま~す」


そう言ってショウタくんが真っ先にそれを口に運び、続いて「いただきます」とヒトミ達が手に取りました。


「うん、おいしい~」


ショウタくんは、塩大福を頬張ったまま、小さく踊るように体を揺らします。その様子がまたまたまた可愛くて可愛くて。


「やっぱりおいしいね」


「抹茶が欲しくなるね」


「あたしはこれだけでも満足だ~」


と、アヤ、ヒトミ、コノも声を上げました。


不思議なもので、その一連のやり取りを経た私は、この部屋に入った時の居心地の悪さをほとんど忘れていたのでした。それどころか、以前から何度も通っていたかのような気安さを感じてしまっていたのです。何でしょう?。この感じ。それは確かに、ヒトミから感じる空気感に通じるもののように感じました。


ですが、ショウタくんもヒトミ達も、当たり前のように二個目を手に取ったことで、私は少し焦ってしまいました。イチコのご家族の分も合わせて八個入りを買ってきたのに、これでは無くなってしまいます。ショウタくんはいいんですが、ヒトミのお父さんの分が。


「お父さんの分は残さなくていいんですか?」


思わず訊いてしまった私に、ヒトミは平然と、


「お父さんなら、どうせ私達で食べなさいって言うから大丈夫だよ」


って。私がそんなことでいいのですかと戸惑っていると、


「だよね、お父さん」


と、ヒトミが部屋に掛けられたカーテンに向かって声を掛けたのでした。すると、そのカーテンの向こうから、


「ん~? ああ…お父さんはいいから皆でいただきなさい…」


という、まるで寝言のようなぼんやりとした口調で返事が返ってきたのです。まさか? そう思って私がカーテンの方を見ているとまたヒトミが、


「お父さん、そっちの部屋で寝てるんだよ」


なんて、信じられないことを言いました。


『そんな、家の人が寝ているすぐ隣の部屋でこんなことをしていていいのですか…!?』


あまりのことに茫然とする私に、


「ま、いまさらだよな」


「私達も最初は驚いたけど、それがヒトミんちの日常だから」


私の理解を大きく超えるその言葉に、ますます混乱していたのでした。



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