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ヒトミの哲学  作者: 京衛武百十
15/24

最悪で最高の夏休み

実の兄による<強姦未遂>。それが、コノが家を飛び出す原因となった事件だった。これでは家に帰れなくて当然だろう。むしろこれで家に帰すようでは、飢えたオオカミの前にウサギを差し出すようなものだ。ヒトミの父親の判断に彼女は救われたと言える。


その一方で、未成年を保護者の承諾なく家に泊めたりするのは<略取誘拐>に当たる可能性があるということを注意しなければいけない。だからヒトミの父親はそのような疑いを向けられることを回避する為に警察に通報したのだ。


時折、未成年を家に泊めた者が誘拐の嫌疑を掛けられて『家出人を保護しただけだ』と弁明する事例があるが、やましいことがないのなら警察に通報しない決定的な理由はない筈である。家出人本人が『警察には通報しないで』と言ったり、本人が警察に関わりたくないという心理はあるとしても、<自分の身を守る為>にはそうするべきであろう。それを怠って嫌疑を掛けられたなら、自らが招いた事態でしかない。


まあそれはさて置くとして、前回に引き続き、コノに語ってもらうこととしよう。




「え? コノ? え? …え? 何で~!?」


っていう騒々しい声であたしは目が覚めた。


『え? でも誰? 何の騒ぎ?』


って感じであたしの方もすぐには訳が分からなかったんだけど、頭がはっきりしてくると昨夜のことが思い出されてきて、ああ、そっか、あれ、夢じゃなかったんだってなったんだ。


「コノちゃんだ。コノちゃんが寝てた!」って、ショウタの声も。


「…おはよう」


何て言っていいか分かんなくて、あたしのことを覗き込んでた見慣れた顔に向かってとにかくとりあえずそう言った。そしたらヒトミとショウタも「おはよう」って。


正直、昨夜起こったことを思い出したら最悪な気分だったけど、二人の顔を見てたら何かいろいろほっとしてきた。


「ごめん、ちょっと家出してきた」ってあたしが言うと、


「そうか~家出か~って言うかぁ!」ってヒトミがツッコむ。


「家出?、すげ~家出だあ!」ってショウタ。


すると、階段の方からおじさんの声が聞こえてきた。


「ヒトミ、コノちゃんの着替え買ってきたから、取りに来て。パンも買ってきたから着替えたら皆で食べなさい」


「は~い、分かった~」ってヒトミが応えたんだけど、「ごめん、ちょっと向こう向いてて」って彼女が言うから何だかよく分からないままにそうしたら、パッと布団から飛び出して階段の方へ。思わず振り向いたらパンツいっちょのヒトミの姿が。


家では裸族だって聞いてたけど、本当だったんだ。しかもそのままおじさんがいる一階へ降りていった。実の親子だからって高校生の娘が父親の前で裸ってどうよと思ったけど、ヒトミらしいって言ったらそうだっていう気もする。しかも、ショウタもパンツいっちょだし。って、小学生とは言え弟の前でもかよ。改めてすごい家族だと思った。


『ああでも、そっか、そういうことなんだな……』


って分かった気もした。この家族は、そういうの何でも受け止めるんだって思った。だから夜中に娘の友達が転がり込んできても受け入れるんだ。そういうのに比べたら、家族の裸なんてどうってことないんだ。だよな。ヒトミが赤ん坊の頃からオシッコもウンチも普通に世話してきたっていうおじさんにとっては、見た目が変わっても結局子供なんだな。


「はい、これコノの着替え。お父さんが買ってきてくれたって」


着替えて戻ってきたヒトミが、Tシャツとスポーツブラとジャージのボトムを渡してくれた。買ってきてくれたって?と思って時計を見たらもう十時前だった。そう言えば近所の大型スーパーは九時からやってるんだった。でもわざわざ買ってきてくれるなんて、申し訳なくて仕方なかった。とか思ってると、


「こら、ショウタは下で着替えてきなさい。コノお姉ちゃんはよそのおうちの人なんだから、そんな恰好はダメだよ」


って、ヒトミがショウタに。ショウタも「分かった~」って素直にそれに従った。家族同士では裸でいてもいいけど、他人がいたら違うんだな。当たり前だよな。その辺はわきまえてるよな。


着替えて、階段につながる方の部屋に置かれた、一階のと同じくテーブル代わりのコタツのところに座ってパンをいただくことになった。クロワッサンとか揚げパンとかホットドッグとかカレーパンとかスティックパンとかいろいろだった。ヒトミはクロワッサン。ショウタはスティックパン。あたしはカレーパンとホットドッグを貰った。


「でもさ~、どうして家出?」ってヒトミが訊いてくる。


「ちょっとね。兄貴とケンカって言うか…」


さすがに詳しい事情は話せなかった。でもヒトミは「そっか、大変だね」って、それ以上は訊いてこなかった。おじさんと同じなんだなって思った。話したくないことは話さなくていい。ただとにかく受け入れてくれるんだ。


その時、玄関のチャイムが鳴った。誰か来たみたいだった。あたしははっとなって少し身構えた。まさかと思った。でもそれは、警察だった。おじさんが応対してたら、「ちょっと来て」と呼ばれた。玄関の方へ出ていくと、警官に「ちょっとだけ話を聞かせてもらえるかな」って言われた。


「おうちの方に電話させてもらったんだけど、誰もいらっしゃらないみたいなんだけど、誰か連絡つかないかな」


って言われて、あたしは「え?」ってなった。兄貴も家にいないのかって思った。でもそのことはとりあえず黙ってて、


「両親は一番上の兄と一緒に温泉に行ってます。今日の夜には帰ってくると思います」とは言った。


「じゃあ、携帯の番号とか教えてもらってもいいかな」とか言われたけど、


「自分の携帯、家に置いてきたからちょっと分かりません」って。


「そっかあ。まだ家には帰りたくないのかな?」とも言われて、あたしは黙って頷いた。


「どうして帰れないのか、詳しい事情は話せないのかな?」と訊かれて仕方なく、


「下の兄貴とケンカになって、それで…」とまでは話した。それ以上は言いたくなかった。


「その下のお兄さんは昨夜は家にいたんだよね? でも今は家にいないみたいなんだけど、どこに行ったか心当たりないかな?」


とか訊かれて、さすがに気分が悪くなってきた。だから黙ったまま頭を振った。


「そっか。じゃあまあ、ご両親が帰ってくる頃にまた家の方に行かせてもらいます。それまではこちらに?」


黙ったままで頷くあたしに警官はやれやれって態度が見え見えになってきていた。それがムカついてこれ以上しつこくされたらキレそうだって思ったけど、そこで警官は帰って行ったからあたしもほっとした。


それからは、ヒトミの家でゲームをしたり動画を見たりまたゲームをしたりして過ごした。携帯家に置いてきたけど気にならなかった。って言うかどうでも良くなるくらい楽しかった。


おじさんは何も言ってこなかった。お昼用にとスーパーのお弁当を温めてくれた後、「今日は一階のリビングで寝るからゆっくりしてればいい」とだけ言ってそれっきりだった。ヒトミも何も訊いてこなかった。ただ夏休みの一日を楽しく過ごしただけだった。


日が暮れる頃、また警察が来た。両親が帰ってきたから、あたしも連れて家に向かいたいということだった。あいつがもしかしたら帰ってるかもしれないと思ったけど、


『警察が一緒ならもし何かあったらその場で本当のこと言ってやる…!』


と思って家に帰ることにした。


でもあいつは家にはいなかった。あたしが家出したことを警察から聞いた両親がくどくどとお説教してきたけど右から左に聞き流した。それよりも、娘がこれだけ迷惑を掛けたっていうのに、ヒトミのところにお詫びに行くどころか電話すらしようとしない両親にあたしは呆れてた。『何だこいつら?』って思った。


そしてあいつはって言うと、それから一週間家に帰ってこなかった。携帯は繋がったから友達の家に泊まり込んでるらしいってのは分かったけど、あたしは二度と帰ってこなくていいって思ってた。だけど何事もなかったみたいに家に帰ってきて、何事もなかったみたいに普通にしてやがった。でもあたしのことは無視するようになってて、あたしも無視した。


こうして、あたしの人生の中で最悪の夏休みが過ぎていったんだよね。でも同時に、ヒトミの家に泊まって過ごしたその時間だけは、その最悪を打ち消してくれるくらいに楽しい時間だったんだ。




この事件は、その後、彼女の心に影を落とし生涯消えない闇として残ることとなった。ただそれは、ヒトミやアヤやピカのおかげで大部分が抑えられることとなるのだが、この物語の中でそれについてこれ以上詳細に触れることはないのでご了承願いたい。



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