エスケープ
今回の件については、やはりコノ自身に語ってもらった方がいいだろう。
何しろそれは、今後、彼女の人生に長く影を落とす事件であり、その時の心情は本人にしか分からないことであろうから。
それでは、心して臨んでいただきたい。
夏休みが半分過ぎたその日さ~、上の兄貴が親孝行だってんで両親誘って一泊二日の温泉旅行に行ったからさ~。家にあたしと下の兄貴の二人だけになるからマジで嫌だったんだよな。嫌って言うかガチでヤバいっていう予感がしてたんだ。何しろあいつ彼女にフラれたばっかりだって言ってたし。
けど、親がいないのをいいことにあいつ友達の家に泊まるって言って出ていったんだ。もうラッキーって思ったよ。これで安心して寝られるって思ったんだ。
でも……
でも、夜中の二時頃だったと思うんだけど、変な夢見た気がしてふっと眠りが浅くなったんだ。そしたら誰かがあたしの体の上に乗っかってるみたいな感じがあって、何だろうと思って目を開けたんだよ。したらそこにほんとに誰かがいてさ。
『―――――っっっ!!!?』
『死ぬほど驚く』ってああいうのを言うんだと思ったね。しかもそういう時って意外と声が出ないもんなんだね。だけどあたしの上に乗っかってた奴も当然あたしが目を覚ましたのに気付いてさ。声を出されたら困ると思ったのか口を塞いできて、
「静かにしろ…!」
って。
目が覚めたばっかりで最初は何が何だか分からなかったあたしも、それでこれはヤバいことになってるって思い始めて気が付いたんだよ。パジャマの上がめくりあげられて胸が丸出しになってるって。それだけじゃない。あたしの上に乗っかってる奴の手が、思いっきり胸を触ってて。
『マジか…!?』
と思った瞬間、頭の中が爆発したみたいになって、あたしはたぶん今までの人生の中でも一番の全力でその<誰か>を突き飛ばしてた。そいつの体がベッドから転がり落ちて椅子にぶつかったらしくて大きな音がして、
「痛ぇっ!」
とか声が。でもそれ、聞いたことがある声だった。
「えっっ!?」
と慌てて枕元のスタンドのスイッチを付けたら、少しだけ部屋が明るくなってそいつの顔が見えた。
「兄貴! お前、何やってんだよ!?」
あたしは思わず叫んでた。見間違える筈なかった。そいつは間違いなく下の兄貴だったんだ。
「これは違う! 違うんだ!!」
って、そいつは手をブンブン振って顔もブンブン振って言ってた。
「違うって、何が違うって!? ふっざけんな! 頭おかしいだろお前!!」
あたしはあたしでパニックになってて、自分でも何言ってんのかよく分かんなかったけど、とにかく怒鳴ってたんだよ。そしたら兄貴の顔が急にあたしを睨みつける感じになってきて、
「んだと!? お前こそふざけてんのか、なんだその口の利き方ぁ!?」
とか、完全にチンピラ口調に。だけどあたしはビビるどころか余計にカーッと頭に血が上った感じになって、
「ダマれこのクソどチンカス!!」
って。
そしたら兄貴が飛び掛かってきたから反射的に、
「がぁあぁああぁぁっっっ!!!」
とか叫びながらあたしのお気に入りのソバ殻の枕を掴んでたぶんリミッター外れた全力フルスイングで横っ面に叩き付けてた。ソバ殻枕って、振り回すと意外と重いんだってその時改めて気が付いた気がした。
ベッドの横に派手に倒れ込んだ兄貴を飛び越えて、あたしはドアを開けて部屋を出てた。
「お前みたいのと一緒に居られるか、このケダモノが!!」
その後、どこをどうしたのかよく覚えてないんだけど、とにかくあたしはパジャマのままで家を飛び出して、気が付いたらヒトミの家のチャイムを押してたんだよな。そしたらドアが開いて、ヒトミのお父さんが。
「神木野さん…?」
あたしの姿を見て少し驚いた感じだったけど、
「…とにかくまず上がって。事情はそれからか」
って、家に上げてくれたんだよね。
「水しかなくてごめんな」
おじさんの仕事場兼リビングに通されたんだけど、相変わらずの汚部屋だな~。でも、あんなケダモノのいる家よりはマシか。テーブルを兼ねたコタツの横に座って、出されたいつものミネラルウォーターを飲み干すと、おじさんがまた水を足してくれた。
「ヒトミは寝てるんだけど、どうする? 私でよかったら話を聞くけど、話したくなかったら別に訊かないよ」
おじさんはいつもの通りにパソコンに向かって仕事をしながらそう言った。
「……ごめんなさい…」
あたしはそうとしか答えられなかった。正直、『別に訊かないよ』と言ってもらえて助かった。いくら何でも兄貴に乱暴されそうになって逃げてきたとか言い難かった。
『……気まずい……』
静かなリビングの中で、おじさんがパソコンをキーを押す音だけが響いてた。さすがにムチャクチャ気まずかったけど、だからって家にも帰れない。行く当てもない。そう思ってたら、不意におじさんがパソコンに向かったままで、
「とりあえずヒトミと一緒に寝る?」
って訊いてきた。
「あ、はい……」
何かそうするしかないって思ってあたしもそう応えてた。でもおじさんはあたしの方に振り返りながら、
「ああ、でもその前に、警察に電話するから、ちょっと待ってて」
とか言ってきた。
『え? 警察? でもそれって…?』
警察って言われてあたしはちょっと焦った。警察を呼ばれるとさすがに困る。そんな大げさにされたらって思った。そしたらおじさんが、
「家出人を保護してるって言っておかないと、誘拐とかって騒ぎになっても困るからね」
だって。
『あ、そうか、そういうことか…!』
「分かりました」って私が言ったらおじさんは最寄の警察署に電話をかけ始めた。部屋が静かだったからか電話の向こうの警察の声まで聞こえる。
「あ、すいません、こんな時間に。城西町の山伏と言います。刑事課の貝出さんか、生安課の福田さん、それか地域課の藤木さんは今日は当直じゃありませんか?。あ、どうも青木さんでしたか。はい、お世話になってます山伏です。実はですね、今、家出人をうちで保護してまして。はい、そうなんです。娘の同級生なんですが、ちょっと事情があるみたいで、今夜うちで預かろうと思ってます。はい、はい、じゃあ、ちょっと本人と変わります」
って、受話器を渡された。それを受け取って「お電話変わりました」って言ったら、
「あなたが家出をされたっていう方ですか?。それでどうされましたか?」
って感じで名前とか住所とか電話番号とかいろいろ訊かれて、
「それで家には帰れないんですか?」
なんて訊かれたんだけど、
「今日は絶対に嫌です。明日になったら親も帰ってくるからまた考えてもいいですけど、今日は絶対に嫌です」
って言ったら、
「分かりました。それではもしまた何かありましたらお電話ください。では、もう一度電話変わっていただけますか」
と言われておじさんに受話器を返したんだ。
それからもおじさんはしばらく何か話してたみたいだけど、あたしは何か力が抜けたみたいになって頭がぼうっとしてきちゃって、何も聞いてなかった。おじさんが電話を終わって、
「疲れたみたいだね。上でヒトミが寝てるから一緒に寝たらいい」
と言ってくれて、何だか素直にその通りにしようと思って応えてた。
「おやすみなさい…」
二階に上がったら、昼間はいつもは閉じてる間仕切りのカーテンが開いてて、オレンジ色の豆球の明かりで照らされた寝室にヒトミとショウタが寝てるのが見えた。あたしはヒトミと壁の間にもぐりこんで、壁に立てかけられてあったクッションを借りてまくら代わりにして、とりあえず横になった。あたしが布団にもぐりこんだのにヒトミは全く気が付く様子もなくて、静かに寝息を立ててた。
嫌なことが頭に浮かんできそうになるのを何も考えないようにすることで抑える。まさか本当に寝ようとか思ってたわけじゃないんだけど、あたしに背中を向けて寝てるヒトミをぼんやりと見詰めながら寝息を聞いてるうちに、気が付いたらいつの間にか寝ちゃってたんだよな……




