正しさという名の悪意
陽谷瑠美という少女が持つ感覚については、彼女自身でないと理解しがたいものであると思われる。よって今回も、自らに語ってもらうこととする。
私としては意図的に御手洗さんを追い詰めたりするつもりはありませんでした。ただ、私から見て彼女はクラスのリーダーとしては力不足だと感じたことも事実です。故にその事実を理解していただきたいと考えただけです。適性のない人がリーダーを演じるというのは、その集団にとってはもちろん、本人にとっても不幸なことですから。
しばらく学校を休んでらしたのも、御手洗さん自身がそのことを思い知って、再出発のためにリフレッシュを図ってたんじゃないですか? 私自身はクラスのためにも彼女自身のためにも正しいことをしたと思ってます。
ですが、その時の状況によっては臨機応変に、こちらが悪くなくても場を収めるために頭を下げることが必要だというのも、合理的な判断としてあるのも知ってます。だから私は、久しぶりに登校してきた御手洗さんに敢えて頭を下げました。
「ごめんなさいね。ちょっと出過ぎた真似をしてしまいました。委員長はこれからも御手洗さんに勤めていただいて結構ですから、よろしくお願いしますね」
こういう対応も普通の人にはなかなかできないことだと思います。
けれど御手洗さんは私を見ようともしませんでした。不機嫌そうに黙りこくっていただけです。やはり器の小さな人だったのですね。委員長の役目はこういう人には荷が重いと思いますが、ご自身が辞めないのでしたらそれも自己責任というものでしょう。もう私には関係ありません。
それよりも私は、川上さんのグループのことが気になっていて、御手洗さんどころではありませんでしたし。
その数日後、私は、川上さんのグループに加わることに成功し、彼女達の関係性の秘密を、特にこのグループのキーマンであると私が睨んだ山伏さんの秘密を探ることに関心が移っていました。だから私のことを見る御手洗さんの視線が普通じゃないことに気付かなかったのです。
私にとって学級委員長という役目は、リーダーであるということを分かりやすく示すための肩書でしかありません。ですから<学級委員長という立場>そのものについてはそれほど執着はなかったんです。でも、世の中にはその肩書にこそ並々ならぬ価値を見出してる人もいるようですね。
その日私は、川上さんのグループの一員として、授業の後に一緒に課題を片付けていました。私は本来家に帰ってからするようにしていたので、学校で他の人と一緒にというのはなかなか新鮮でした。課題を仕上げる速さを少し競い合う感じでやったためか、家でするより早く終わった気がします。
次いで川上さん、神木野さんと課題を終わらせていきます。ここでも山伏さんは一番マイペースなようでした。
ですがその時、教室に誰かが入ってくる気配があって振り向くと、そこには御手洗さんが立っていました。けれど、うつむき加減で長い髪をそのまま垂らしたその姿は、何か異様な気配を放っているように私には感じられました。
「あら、御手洗さん。どうなさいましたか?」
私は何気なくそう尋ねました。でもその瞬間、御手洗さんの体がびくっと反応して、うつむいたまま視線だけを私の方に向けてきたのです。
「どうなさいましたか…? あなた自分が何をしたか全然分かってないみたいね……あなたのせいで私の家は滅茶苦茶よ……!」
「…?」
何をおっしゃっているのでしょう? 私があなたの家庭に何かしたというのですか? そんな覚えは全くありませんね。何か思い違いをしてるんじゃないでしょうか?
「どういう意味でしょう? おっしゃってることがよく分からないんですが?」
本当に何のことか分からないので、私はそう尋ねたんです。他意はありませんでした。
でもその時、彼女が何かを右手に握りしめていることに気付きました。それが大きなカッターナイフであることに気付くまで、そんなに時間はかかりませんでした。そこで私は初めて、今目の前で起こっている状況が尋常なものでないことに気付いたのでした。
「どうしたんですか? 御手洗さん…?」
私は自分の体が緊張するのを感じました。その時には、川上さん達も、御手洗さんがカッターナイフを手に私の方にゆっくりと歩いてくることに気付いたようでした。
「御手洗さん!? ちょっと、どうしたの!?」
川上さんが声を上げます。
「おい、何してんだ、危ないぞ!?」
神木野さんが怒鳴るように言いながら前へと出ました。そしてそのままつかつかと御手洗さんの方に歩み寄り、その場にいる誰もが声を上げる暇もなく御手洗さんの右手を掴んで引き倒していました。
「きゃあっ!」
御手洗さんの悲鳴が響いて、握られていたカッターナイフが床に転がりました。神木野さんは御手洗さんの手を掴んだままそれを素早く拾い上げ、出されてた刃を収納してポケットへと入れました。私達は呆気にとられてそれを見守っただけでした。こういうのを蛮勇というのでしょうか?。危険を顧みずに掴みかかるなんて、いくら何でも無謀でしょう。だけど結果として、誰も大きな怪我をせずに済んだことは良かったと思います。
「御手洗さん、どうしたの?」
山伏さんが、神木野さんに右手を掴まれたまま床に座り込む御手洗さんのところまで行って膝をつき、頭をそっと撫でました。顔を伏せた御手洗さんの下の床に、水滴が落ちるのが見えます。肩も震えています。泣いているようでした。
「大変だったんだね…辛かったね…」
御手洗さんに寄り添って膝をついて頭を撫でる山伏さんの姿は、まるで母親のようにも見えました。
その瞬間、私ははっとなりました。山伏さんと川上さんと神木野さんの三人を見てた時に感じた、どこかで見たような感覚。そうです。あれは家族の姿でした。私の父と母と私が三人でリビングにいる時、それぞれは好きなことをしているのに同じ空間にいてその空気を共有してるあの感じに似てたのです。彼女達の関係性の一端が見えたような気がしました。
なお、今回の一件は、私達がこのことを誰にも言わなかったことと、御手洗さん自身が詳しい事情を何も語らないままに、その一週間後に突然転校していったことで結局はうやむやになってしまったのでした。噂によると御手洗さんの両親が離婚したことで転校することになったらしいですけど、それが彼女の言っていた家庭が滅茶苦茶になったということなのか、それが私とどう関係しているのかは結局分からずじまいです。
でもあの時、御手洗さんがカッターナイフを手に私に襲い掛かろうとしたのはたぶん間違いないと思います。だから本当なら殺人未遂事件として警察に訴え出ても良かったんでしょう。逆恨みで命を狙うような人は容赦なく警察に突き出せばいいんだと私は思ってました。そんな人に人権なんかないんですから。だけどこの時の私は、何故かそうしようという気になれなかったんです。御手洗さんが同じことをもうしないんだったらそれでいいかと思ってました。そして何の根拠もありませんけど、彼女は二度とそういうことはしないような気がしていました。
御手洗さんが転校して数日経って、私が繰り上がる形で学級委員長になり、副委員長も新たに決まり、ようやく落ち着いた頃、山伏さんが突然言いました。
「ねえ、陽谷さんのこと、ピカって呼んでいい?」
急にそんなことを言われて、さすがの私も面食らってしまいました。でも、そのピカって呼び名は私の古い記憶を呼び覚ましました。確か幼稚園の頃に、そんな風に呼ばれていたことがあった気がします。私の苗字が陽谷だからそれでピカなんだと思いました。子供っぽいあだ名だと思いました。
だけど、何だか嫌な気はしませんでした。
「私のこともヒトミでいいからさ、ピカって呼んでいいかな?」
緊張感の欠片もない、呑気でお人好しそうな顔で彼女は言いました。川上さんと神木野さんが、やれやれという感じで肩をすくめます。
「いいですよ、ヒトミ」
けれどそれ以上に、さほどの抵抗感もなくそう答えた自分に、私は自分でも驚いていました。こうして私は、本当にこのグループの一員になったのでした。
こうして、ピカこと陽谷瑠美も、ヒトミ、アヤ、コノの友人としての関係を踏み出すこととなった。
しかし、それが本当に<友人>と呼べるようになるには、いましばらくの時間が必要だったようだけれど。




