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「————うわぁぁ! どいてどいてぇぇ!」
縦に綺麗に積まれた皿はゆらゆら動いていた。正直積みすぎである。今にもバランスを崩して落下しそうなそれを支えるのは、身長こそ低く、非力な細い腕をした少女である。
「先輩、なにやってるんですか!?」
そこへ慌てて走って来るのは、執事というよりはウエイトレスに近い服装をした青年である。
ゆらゆらとうごめく、頭上高く積み上げられた皿をどうにかしようとするも、肝心の少女の腕が既に限界のようで、徐々にそれは前へ傾いていく。
「ごめんなさぁぁぁぁい!!」
耳を覆いたくなるようなガラスの割れる音が響く。それも、大理石で出来たようなこの場所では余りなく響き渡るだろう。それは、この場所の主。そう、魔王城の主、魔王の耳にも聴こえていた。
「んん? ルルカちゃん、またお皿割っちゃったかな? 今月で……。」
「六回目でーす。」
こちら、王座でのんびり耳掻きをしている、黒いモヤモヤしたものが魔王である。威厳やら怖さは全く感じられない。ただの黒いモヤモヤしたものである。これが今や世界を支配しているとは、初めて見た者からは想像がつかないだろう。
そして、魔王の横を颯爽と掛けさって行った人物、赤いホストのような髪型で服装もそれっぽい。魔王の前だと言うのに、一言だけ言い去って行った。
「アラン君は今日も元気だねぇ。」
呑気そうに魔王は欠伸をする。そして、その数秒間の内に黒い影が通り過ぎて行った。
「ヒナリちゃんも元気だねぇ。」
そう言って、魔王はまた耳掻きに夢中になる。魔王にとってはこれが日常なのだ。
そして場面は騒ぎの原因へと戻る。
「うわーん、またやっちゃった……。」
「なにやってるんですか! うわぁ、これ過去最大ですよ!」
しょぼんと落ち込む少女の水色の頭には、猫特有の耳なるものが生えている。そして、メイド服の下からは垂れ下がり元気を無くした尻尾の姿もある。
「もう、あんな一気に運ぶから!」
「ごめんなさい……。」
「後輩が先輩を虐める図っと。」
二人の横で一瞬の光と機械音がする。そちらを向けばカメラを首から下げた、にやつく青年の姿があった。
「久々に見たと思ったら、何撮ってるんですか!」
「いやぁ、面白かったからつい。」
緑の坊ちゃん刈りに丸眼鏡、探検家のような服装をした青年は、悪びれた様子もなく笑った。
「いいのよロー君。私がドジなのがいけないの……。」
「ちょっ泣かないでくださいよ!」
しくしくと泣き声を立て始めた猫叉の少女に、青年二人は慌て出した。
「何事かと来てみれば、やはりですか。」
奥の方、方向は調理場である。執事姿の老人が、片手に食欲をそそる匂いを放つ料理を持ちながら歩いてきた。細く開かれた目は今の状況を、少し呆れたように見ている。
「ぎ、ギルバートさん! ……ごめんなさい、またやっちゃいました。」
「はぁ、一気に持とうとせずとも良いのですよ。さあ、もうすぐ朝食の時間です。皆で片付けましょう。」
「げっ、俺っちも!?」
ギルバートと呼ばれる老人の呼びかけの元、不満がある者もいるが、いそいそと片付けを始めた。
「あとは……ヒナリさん、アランさん、あなた方はテーブルを用意してください。」
ギルバートは辺りを見渡し階段上の廊下を、追いかけっこ状態で走り去る二人に声を掛けた。
呼びかけに青年が一瞬動きを止めると、それを見逃さなかった少女が青年の襟元を掴んだ。
「ぐえっ。」
「次、ちゃん付けで呼んだら覚えとけ。」
「ヒナリちゃんこわーい。」
目を赤く光らせた少女の脅しのような低音の声に、青年は凝りもせずに笑顔を作る。すると次には、階段下へ叩きつけられる姿を一同は目にした。
「アランさんが悪い。」
「ひえー痛そう。」
しかし一同の見る目は冷たく、直ぐに片付けの作業へと戻っていってしまう。それはこれが日常茶飯事に起こる出来事だからである。
黒いスーツを着こなし、サイドテールにした長い黒髪を靡かせた少女は、目付きこそ悪いものの、なかなかの美形である。それで、城などでは良く見かける長いテーブルを一人で抱えているのだから怖い。
「流石、"吸血鬼"だなぁ。」
いつの間にか復活していたのか、鼻にガーゼを引っつけたアランは、その光景を見てちょっかいを出した。
「ぼさっとしてないで、椅子を出せ!」
「吸血鬼は口が悪いっと……。」
そこまで言ったところで、少女の眼光と今にでもテーブルを振りかざしてきそうな勢いに恐怖を感じたのか、素直に返事をした青年は奥へそそくさと走って行った。
「アランさんじゃないですけど、やっぱり流石ですねヒナリさん。」
ウエイトレス姿の青年は、ヒナリと呼ばれる吸血鬼の少女に言葉を向けた。
「まぁ、種族柄力はあるもんでな。」
そう言いながら少女はテーブルをゆっくりと下ろした。そして、ちょうど椅子を持って走ってきたアランも、それを並べて行く。
「いいなぁ、吸血鬼。俺なんて"アンデッド"ですよ。」
「いいじゃんアンデッド! ヒイロ君のもかっこいいよ!」
ウエイトレス姿の青年の後ろから耳をぴょこんと出して来たのは猫又の少女である。
「そ、そうですかね?」
"かっこいい"という言葉にあからさまに照れたヒイロという青年は、なかなか初だという事が伺える。
「さあ、皆さん朝食の時間ですよ。」
軽く手を叩く音が響き渡った。見ると、いつの間にか料理が綺麗に並べられていた。恐らくほとんどが、このギルバートが準備したものだろう。
「うわぁ、流石ギルバートさん。」
何処か落ち込んだ様子でルルカはテーブルの上の料理に目を通した。
「おーい! 魔王様呼んできたぞー!」
そういえば先程から姿が見えなかったローが階段上で手を振っていた。恐らく準備をサボる都合にでも、魔王を呼んでくる役を買って出ていたのだろう。
「皆、おはよー。」
世界を支配しているのには威厳こそ足りない、気の抜けた声の挨拶をしながら、黒いモヤモヤがローの後ろから歩いてきた。いや、これは歩いていると言えるのだろうか。傍からは浮いているように見えるのだ。
「今日も美味しそうだねぇ。」
魔王が席に着くと、他の皆も席に着いた。そして毎日の恒例、魔王の号令の元始まるのだ。
「それじゃあ、みんな。」
「「「「「「「いただきます————。」」」」」」」