ある兵士の契約について。
遅延を重ねた輸送機がやっとのことで滑走路を離陸し、真っ赤に燃える稜線を超えて故郷へと飛び去っていく。俺はそれを地上から見送った。あれに乗っている友はもう帰ってこない。故郷に帰るのだ。
夕日に染まる地平に見えていた人影はもうない。俺はまた眠りにつく。次の戦いまでのわずかな眠りの中で、友の安息を願いながら……。
俺が出した申請書について面接を行うから、オフィスまで出頭せよ。
命令された通り、俺はエレファス共和国陸軍第六方面隊総監部へ出向き、指示された部屋へ入った。
「デイビッド・グレース、出頭致しました」
「うむ。座れ」
陸軍らしい、味も素っ気もない実用一点張りのデスクに座っている、威厳に満ちた壮年の男が、俺に椅子を示す。俺は教育された通り、軍帽を脱ぎ、崩さない程度に握りしめ、前ボタンを一個外して着席し、つま先、かかと膝の角度が直角になるように固定し、両手は膝の上に置いた。勿論背もたれには皮一枚触れてはいない。
その恰好を見て目の前の男……第六方面総監であるレオ・M・スピア大将は満足そうに俺を見ていた。
「若いな……少尉。今年でいくつになる?」
「24であります」
「そうか……君が出頭命令を受けた理由を知りたいかね?」
抑制された威厳の下から俺をじっくりと観察する老人の目をそっと見返し、首を振った。
「自分は、検体取引を申請しました。申請要項には所属方面軍総監による面接を要すと記載されていました」
これは正確ではない。兵士が軍に自分の身体を何らかの事態に際し提供する申請資格検査には様々な項目があった。俺はこの三か月間、通常の勤務の合間に身体機能検査、心理適正検査、知的機能検査を受けた。この三つの検査を三か月間順々に、繰り返し受け、一定の数値に達しないものは検査から落ちて申請が受理されない。それら困難な検査の最後に待っているのが、この面接だ。
「君の申請理由を読ませてもらった。父親が重病で手術しなければならないそうだな」
「はい。重度の肝臓疾患です。置換臓器の移植が必要なステージだと、医者は言いました」
「うむ、失礼ながら君の提出書類からこちらも確認した。……見えるかね? この書類に私がサインすれば、君の名義口座に600万クレジットが入金される。それは即座にこちらが指定した医療機関に送金され、君の父親の手術費用になるだろう」
一般市民が聞いたら卒倒しそうな話をスピア閣下はしている。が、軍隊とはそういうものだ。構成員のプライベートなど無きに等しい。
だが、慣れてしまえばどういうことはない。具体的な口出しをされることは滅多にないし、色々と細やかなサービスを受けることもできる。今日のように。
スピア大将は俺を見ていた。心技体共に健全であると軍医務局が太鼓判を押している若い兵士から、何か粗でも見つけようとしているのだろうか?
すると、大将はデスクを開けて別の書類を取り出した。ファイルにされたそれを広げて一文ずつ読み上げる。
「デイビッド・グレース。エイジ167、3月18日生まれ。エイジ185、陸軍に入隊。二年後所属連隊の推薦を受けて士官学校に入学。エイジ189に起きたムーア戦争に義勇兵として参加。翌年卒業と共に少尉に任官され第六方面軍第四十二歩兵連隊に着任。結婚歴なし。身長178センチ、体重82キロ……順当な人生だな」
読み上げると大将はそのファイルを俺に寄越した。俺はそれを読んだ。実に子細にわたる俺の人生の記録がそこに簡潔な文体で纏められている。
「家族は両親と弟が一人。弟は既に結婚していて、娘がいる。……君だけがこのような苦労を背負い込む理由はないのではないかね?」
なるほど。どうやら大将は俺に最後の決心があるのかを見たいらしい。ここで翻意すれば、もしかしたらすべてなかったことになるかもしれない。
だが、そう言うわけにもいかないのだ。俺には明白な身を差し出す理由がある。
「既にご存知とは思いますが、両親も、弟夫婦も、財産というものを持っていません。みなこの戦争のあおりを受けて、困窮しています。私は軍に入ったことで守られていました。だから、家族のために自分から何かを差し出す力がある……と考えました。それが申請の動機です」
両親はセラミック製材会社を経営していたが、戦争が始まったことで政府が企業統制を行ったために失業してしまった。銀行に借りていた債務は七割が塩漬けになって遅延返済措置を受けられたけど、残りの三割さえ払えるか微妙なところだ。
この上高価な民生用代替臓器を買う金などない。
「閣下。自分は兵士です。軍務の途中で死ぬこともあるでしょう。遺族年金が出るまで待っていたら、父が死んでしまうのです」
そして父が死んだら、母も生きてはいけまい。それを弟夫婦は見続けねばならないのだ。俺の代わりに。
それはさせたくなかった。
「その書類にサインして下さい。その後、自分の身体をどう使おうとも、軍の勝手です」
「家族とは相談したのかね?」
「……弟とは話しました。両親には話せませんよ」
先月、合間を縫って得られた休暇で街に出た時、弟と話した。それまで何度も話していた。
弟のフェリックスはしがない教師だ、副業でサイエンスライターもしているが、決して余裕があるわけじゃない。姪っ子のミッチは利発な丸っこい顔をした娘で、まだまだ手の掛かる年頃だ。将来的にはカレッジにも入れたいだろう。
一人の身空の俺のことだ。心配するな。何、毎年何万人も綺麗な体で退役してる兵士がいるんだから。宝くじの一等より倍率が低い話さ……。
言い難い顔で、揺れる目で弟は頷き、「ごめん、兄さん」と小さな声で言った。その日は浴びるほどビールを飲んで寝た。
俺の顔を見ていた大将は暫くしてから手を動かした。ペンが握られていた。
「この部屋を出たら、もう逃げられないぞ」
「敵前逃亡は銃殺ですか?」
「お前はもう死んでも軍から離れられんのだ。文字通りな」
そうか。確かにそうだ。軍務中に死んだ後、俺の身体で散々実験なり何なりするがいい。後に残ったものが家に帰ればいいさ。
戦死者の墓の下に空の棺が埋まっている、なんて話は今に始まったことじゃない。それに比べれば温情的でさえある。
「ありがとうございました。家族の命が救われます」
「うむ……退室してよろしい。しっかりやれよ、少尉。何があってもな」
何があっても、か。それは士官学校で叩きこまれた文句の一つだ。
俺は席を立ち、帽子を被り、ボタンを閉め、かかとを揃えて敬礼し、オフィスを出た。
廊下はひと気がなく、夏だというのに鳥肌がたつほどクーラーが効いている。まるで霊安室だ。
俺はその殺風景な場所から日の当たる場所へ帰って行った。