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空きっ腹を抱えた四時間の目授業は、日本史だった。日本史の担当教員はこのクラスの担任でもあり、タツヒコが苦手とする小野遙先生である。長い黒い髪をひとつに束ね、小さな白い顔はかわいいと言えるが口元にあるホクロがセクシーでもある。十人に聞けば十人が美人と答える自慢の先生だった。
「今日から教科書は第二章に移りますね。三十ページを開いてください」
国語Ⅱのサネツグの授業が眠ってしまう授業なら、ハルカの授業はどうやっても起きてしまう授業であった。男女を問わず、ハルカの美貌に魅了されて「寝てしまうのがもったいない」と思ってしまうのだ。
「時代は飛鳥時代へと入ります。五九二年に推古天皇が即位し、その摂政として甥の厩戸王、いわゆる聖徳太子が就任して、蘇我馬子などとともに国家組織の形勢を進めた頃です。聖徳太子も非常に優れた国語力の持ち主だったと伝えられていますが、何かそのエピソードを知っている人はいますか?」
「はい! 十人の人の話を同時に聞くことができた!」
「二歳で念仏を唱えた!」
「平安京ができることを予言した!」
「厩の前でいきなり生まれた!」
「隋の煬帝に手紙でケンカ売った!」
皆が好き勝手に言うのを、ハルカは嬉しそうに頷きながら聞いている。一通りしゃべり終わったのを確認して、ハルカは教壇に手をつくと口を開きました。
「そうですね。十人の話を同時に聞いてそれぞれに的確な返事を返したというのはとても有名な話です。二歳で念仏を唱えたというのはなかなか聞かないことですが、たしかにそういう逸話があります。ブッダも生まれてすぐ七歩歩いて『天上天下唯我独尊』と言ったと伝えられていますし、やはり偉い人というのは共通するエピソードを持つんでしょうね。平安京の予言ですが、日本書紀などに残されていると言われてますけど、ノストラダムスの予言ぐらい信憑性は薄いと私は個人的に思っています。厩の前で生まれたというのは、今度はイエス・キリストと似ていますね。あと、隋の煬帝に手紙でケンカを売ったというのは、『日出ずる処の天子、書を日没するところの天子に致す』という有名な書簡の話ですね。当時中国は日本のはるか格上の相手でしたから、煬帝が無礼と言って怒るのも無理ありませんよねえ」
ふーんと流そうとした生徒たちだったが、ちょっと待て。今ハルカは、ひとり発言したらそれに対してコメントを行っていたわけではない。数人がほぼ同時に言ったことに対して、聞き終えたあとで一気にコメントしたのだ。
「豊聡耳というのは、実はそんなに難しい技術じゃないんですよ」
まさかという視線を受けて、ハルカは得意げにウインクして答えた。
「すっげえ!」
「マジでできるんだ!」
「すっごーい! かっこいいー!」
賞賛の嵐が吹き荒れた。
曰く、発せられている音の数だけ色分けし、それぞれを文字に変えて教壇の上に実は広げられていたノートにプリントするように写しこんでいたのだそうだ。
「やっぱ聞いてると難しそうなんですけど……」
トモヤがおずおずと手を上げて質問すると、ハルカは自信を持って頷いた。
「やり方は人それぞれですから、必ずしも私の方法を真似する必要はありません。大事なのは自分の中のイメージ。そして慣れです。今から少しずつ練習していけば、上級部になる頃には皆さん必ずできるようになりますよ」
美人に言われると、なんでも「はい」と答えてしまいたくなるのはなぜだろう。
「私だって二十人三十人の聞き分けや、もっと長い文章の聞き取りをできるわけではありませんから、精進しなくてはダメですね。教師生活を始めて十四年になりますが、皆さんと一緒に私もがんばっていこうと思ってます。分からないことがあれば、私じゃなくてもいいですが、先生たちにいつでも聞きにいってくださいね」
『はーい』
「元気でよろしい! では、今から板書をしますから、しっかり写してくださいね」
チョークが黒板に文字をのせていくのと、シャーペンが紙の上を滑る音だけが響く中で、マツリはこっそりと指折り数えていた。
(ちょっと待って。今、小野先生教師生活十四年って言ったよね? ってことは、え? 小野先生って右近先生より年上? んな馬鹿な……)
一方でハレは、
(音を文字に変えてノートに書くことができるってことは……もしかしたら寝ててもノートが取れてるんじゃない⁉)
さっそくそれを試したハレは、授業後見事に真っ白なノートに肩を落として、マツリに事情を明かしてノートを貸してもらうのだった。
「何考えてんのよ、バカじゃないの!」
もちろん、拳骨も一緒に。