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国語力でテッペンとれ!  作者: 霧ヶ原 悠
第一章  寝た子を起こすな……って、そんなわけにいくかぁっ!
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 常春市。日本国某都道府県にある人口三十万人程度の市である。

 特にこれといって特徴のない町だ。背後に山を構え、町の真ん中を川が走り、海に開けている。こんな町は日本中を探せばいくらでもある。ただ一つ特徴をあげるとすれば、全国でも五つしかない国語力の使い手を養成する専門学校があることだ。

 『国語力』とははたしてなんぞや。

 それは、簡単に言えば『母国語を正しく使い、自由に操れる力』のことである。平安時代に活躍した稀代の陰陽師安倍晴明、アーサー王を導いた魔術師マーリン。中国の道士も西洋のエクソシストも、皆その国語力の使い手だったのだ。

 日本には『言霊』という概念もあるので、より想像してもらいやすいかもしれない。言霊とは、辞書によると『言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。』ということである。

 近代に入って、均一の成果を安定的にもたらし、かつ大量生産ができる科学技術の発展により、国語力は世界的に一時衰退したが、戦後には再び注目されて研究が進められるようになった。

 たとえば国語力を行使すると、「風がー! オレのー! 背中をー! 押しているうぅぅ!」とママチャリで上り坂を爆走できたり、「リモコンは私のところへ引き寄せられる〜♪」と座ったまま楽して手元にものを集めてダメ人間っぷりを披露したりできる。またユニークなところでは、物が散らかりすぎた私室から目的のものを見つけるため、「先輩に借りたアイドルの写真集オレんとこ来ーい!」と切実な思いで叫んだら、勢いよく飛んできて顔面でキャッチしたという具体例もある。

 国語力は使えると便利で、将来性や応用範囲の広さが期待されるが、犯罪に使われたり暴走で事故が起こったりして、あまりよくないイメージもあるのが、現実だ。それをいかに払拭するかが、関連諸機関の当面の課題でもあった。養成所の設立も、その一環だ。

 「起きる! 起きた! だからお腹プニプニしないでー!」

 「だったら布団からさっさと出るんだ。そして着替えろ。俺は部屋の外にいるから。……二度寝、いや三度寝するなよ」

 「分かってるよぅ」

 美空みそらハレ、十六歳。第三国語力行使者養成所下級部一年生。つい二週間ばかし前に入学を果たした。

 夜霧司やぎりつかさ、二十歳。第三国語力行使者養成所上級部二年生。ウサギの身ながら、成績優秀で生徒会長も務めている。

 これは、この二人が織りなす王道学園ラブコ「お母さーん! お腹空いたー!」「待て、ハレ! 校章を床に落としているぞ!」

 ………………いや、これでは王道学園ラブコメにはならないかもしれない……。


         


 会社や学校へ向かうのか、ちらほら人が行き来する住宅街を、二人は小走りで進んでいた。

 「急げ、ハレ! 遅刻するぞ!」

 「まだ大丈夫だよ〜。あと二十分もあるんだよ〜?」

 ツカサはウサギならではの軽快さでハレの前を走る。頬を上気させて小走りでそれを追うハレは、どこか不満そうだった。

 「五分前行動を心がけろと、常に言ってるだろう。先んずれば人を制す。早めに行って授業の予習をすれば、理解も早まりテスト前に泣かないですむんだぞ」

 「うう〜」

 「ついでに言うと、早起きは三文の得とも言う。お前が早起きを心がければ、お父上に『いってらっしゃい』の一言をかけることができるかもしれないぞ」

 「……」

 たしかに、父が自分を溺愛していることは知っている。自分だって父のことが好きだ。できるなら一緒に朝ご飯を食べたいし、いってらっしゃいと言ってあげたい。

 だが、布団の持つ魔力は凄まじい。あれは悪魔の道具である。一度潜り込めば、なかなか体から離すことができない。なんと恐ろしいものを、人類は発見したことか。

 「ま、俺は構わんがな。お前が春休みの間に蓄えた腹回りの脂肪が落ちなくても」

 「うわ〜ん! それは言わないで〜。がんばるから〜」

 途端、泣いて文句を引っ込めるハレだった。五分前行動を為すためだけでなく、毎朝のこのなんちゃってジョギングは、ハレの太った体を元に戻すためのなんちゃってトレーニングも兼ねているのだった。所詮、やらないよりやったほうがマシのような気がする、である。

 しかし、何のかんのと言いつつもハレは、足を止めたことはない。登校一日目の日、疲れたと言って休もうとしたとたん、ツカサにクワッと凄まれたのだ。それがなかなかにトラウマもので、愛らしいウサギが凄むとあんなに怖いものになるのだとは、その時までハレは知らなかった。

 (何か……色々と……衝撃的だったなあ。知りたくもなかった真実っていうか……)

 遠い目をすれば、水色の空と小さく浮かぶ白い雲が視界いっぱいに広がった。

 (……わたあめ食べたい)

 ふわふわという見た目に反して意外としっかりした硬めの感触があり、なのに口の中に含めばすぐに溶けてしまう甘いお菓子を思い出して、ハレが口の中につばをためたとき。

 「ハレ、前を見てないと転ぶぞ!」

 「へ、どぉうわ!?」

 ツカサの警告も間に合わず、ハレは盛り上がったアスファルトに足をとられ、派手に転んだ。

 「はあ」


 第三国語力行使者養成所。通称、三養。現代にしては珍しく広大な敷地を持つ、比較的新しい施設だ。

 上から見ると、全体としてはL字型の敷地になっている。Lの長い部分に当たる側の西にハレたちの下級部生棟があり、食堂・購買棟とグランドを挟んで、東側にツカサたちの通う上級部生棟がある。よって正門は、西と東の一ヶ所ずつにしかない。その左右には花壇が設置されており、四季それぞれの花を咲かせて通りがかる一般市民、そして登校してくる生徒たちの目を楽しませていた。Lの短い部分には、背の高い木々とともにひっそりと図書館兼資料室が佇んでいる。つい先日までは西側の正門からまっすぐに伸びた桜並木が満開を迎えており、桜色のシャワーで新入生たちを歓迎していた。

 図書館はゴシック教会風の三階建てだが、それ以外の建物は全て赤煉瓦造りだ。下級部生棟が五階建てなのに対して、上級部生棟は職員室もあわせて七階建てであるので、衰えた肉体を持つ教職員たちを慮り、専用のエレベーターがこっそりと設置されている。グランドは全面芝で覆われており、昼休みなどはそこで昼食を広げる生徒も大勢いる。その正面にある食堂・購買棟は二階建てになっていて、毎時間全生徒と言っても過言ではないぐらいの数の生徒たちによる席の争奪戦が行われていた。昼食を持参し、大人しく自身の教室で食べるのが一番賢い選択と言えよう。

 「よし、ストーップ」

 「ふええええ。やっと着いた〜」

 「いや、まだ学校には着いていないぞ。あと少しだからがんばれ」

 「は〜い。……あ!」

 桜並木の通りに入ったときが、なんちゃってジョギングが終わるときである。息を整えながら、クールダウンをかねてハレがツカサとともに歩いていると、目の前をスレンダーでショートヘアの女子生徒が歩いているのを見つけた。

 「マツリちゃんだ〜!」

 「うぐっ」

 ハレがタックルをかました相手は、春野茉莉はるのまつり。小学校からのハレの友人だ(幼なじみと書いて腐れ縁と読むか、腐れ縁と書いて幼なじみと読むかは、二人次第である)。

 ちなみにこの養成所、男子はともかく女子の制服がかなり特殊で、人の目を引く。正門の近くともなれば同じ制服を着た少女ばかりだが、電車通学をしている生徒などは、別の服を着て家を出て電車に乗り、学校の最寄り駅に着いてから制服に着替えるという強者もいたりするらしい。どんな制服かといえば、日本の古き良き時代の女学生たちが来ていた袴を、セーラー服のように現代アレンジした制服だ。つまり、袴の上衣にセーラー服風の襟がつき、下衣が膝丈まで短くなっている。カラーリングはもちろん、白と紺だ。それに白のハイソックスと、黒か茶のローファーを履く。

 男子は黒の詰め襟、ようするに学ランだ。つまらんなどと言ってはいけない。女子の制服に合わせて、ちゃんとそれらしい外套と学生帽も購買には売っているのだ。しかしそれを買うのは、新入生のうち一人いるかどうか。珍奇なものを好む、よほどの物好きぐらいだった。

 そして、女子は右襟に、男子は左襟に校章をつけることが校則で定められている。校章の色は毎年変わり、一年生が赤色、二年生が白色、三年生が紫色だ。同じ制服を着たたくさんの生徒を、それで見分けろというのだ。はっきり言って、なかなか困難を極めることだと思う。

 「おはよ〜」

 「……毎度突撃してくんのは止めろって言ってんでしょうが」

 「へへ〜」

 「はあ。……おはよう、ハレ」

 「うん! おはよう!」

 猫のように自分の胸に押し付けてくるハレの黒い頭をグリグリとなで回しながら、自分の遥か足下にいるウサギに向かって、彼女は律義に頭を下げた。

 「おはようございます、夜霧先輩」

 「ああ、おはよう。では毎日すまないが、ハレのことを頼む」

 「……ええ、任されました」

 心なしか、疲労感というか苛立ちというか、そんなものが言葉の端々に滲んでいた。それも仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。ハレは目を離すと、何をするか分からないからだ。幼なじみと書いて腐れ縁と読むマツリは、小学校の頃から散々それに付き合わされてきたのだ。

 「マツリちゃん! あっちに今ネコちゃんがいた!」

 「野良猫のクロッピーでしょ」

 「違うよ! 灰色だったもん!」

 「んじゃあ、先週末ぐらいから姿を見せるようになったルシアンじゃない?」

 「何それ知らない! しゃべりたい!」

 「はいはい、放課後ね」

 「えー! ネコなんてすぐどっか行っちゃうー!」

 「ダメ。授業」

 「ケチー!」

 手足をばたつかせるも、それこそネコのように首根っこを掴まれて、教室へと連行されていく。百四十九センチしかないハレでは、百六十二センチのスポーツ万能少女・マツリに太刀打ちできないのは、明々白々だった。

 引きずるマツリと引きずられるハレを見送り、ツカサも自身の教室へ向かうべくくるりと横を向いた。そして目の前にあったのは、ずっと先へのびているアスファルトの歩道ではなく、白い靴下と黒いローファーだった。

 「おはようございます、会長」

 天然の茶髪を腰までのばした女子生徒が、微笑みながら立っていた。彼女の名前は夕張渚ゆうばりなぎさという。生徒会副会長を務め、成績優秀、淑女然とした態度を崩さず、誰に対しても優しい。さらに、豊満に膨らんだバストが生徒たちの目線を釘付けにする。本養成所のマドンナ的存在である。

 しかし、彼女のある一面を知った男たちは、皆口をそろえて言うのだ。

 『いやー……。あの人はなんと言うか……見るだけでいいや』

 と。

 「……おはよう、夕張」

 今日は最初の距離が近い。彼女を悲しませない程度に後ずさり、あとは全身の筋肉を使って、ツカサは精一杯背伸びをした。

 体も小さく背も低いツカサは、よっぽど体を伸ばして首を上げないと、普通に見上げただけでは彼の視界に映るのは、麗しく育った双丘だけなのだった。

 ちなみに、上級部生に制服は存在しない。正装はあるが、普段はいくつかの決まり事を守ってさえいれば、基本的にどんな服装であっても構わない。その決まり事とは、

 その一、スカートは膝上一センチまで。ズボンはしっかり腰ではき、靴にズボンの裾がかからないようにすること。

 その二、校章を外から見えるところにつけること(ただしツカサだけはサイズの関係で免除されている)。

 その三、靴は革靴・ローファーか、スニーカーなどの運動靴であること。

 その四、露出の多いものや必要以上に華美なものは不可。

 そして今日のナギサの格好は、白い丸襟のブラウスにレモンイエローのプリーツスカートをはき、桜色のダブルボタンで裾が長いジャケットをはおっていた。ジャケットの胸元からのぞく琥珀色のブローチが印象的だ。

 「急がないと遅刻してしまいますよ」

 ナギサは鞄を地面に置くと、ツカサに向かって両手を差しのべた。

 「さ、どうぞ会長。私が教室まで連れて行きますので」

 「夕張。気持ちはありがないが、俺はこれでも二十歳の男だ。女子に抱えられるのはさすがに……」

 「ですが、こちらのほうが早いですし、安全ですよ」

 「それに遅刻すると言うが、まだ八時半前だ。九時の始業にはいくらなんでも間に合うだろう」

 「いいえ、あなたのその体では普通の人間よりもずっとトラブルに巻き込まれやすいでしょうから、何があるかわかりません。さあ、遠慮なさらずどうぞ」

 ナギサは渋るツカサを有無を言わせず抱き上げた。

 普通、人は自分の体の前で荷物を抱える。小さなものを落とさないように抱えるには、大事に胸元まで持ち上げるだろう。つまり、ツカサの小さなウサギの体は、柔らかい魅惑の楽園に半ば埋まることになる。何回か経験して、ツカサは谷間に後頭部をもたれさせるのが一番楽だと気がついた。

 ツカサは、羞恥よりも情けなさに毎度恥じ入りながら、ナギサに連れていかれるのだった。



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