3
この競技場は、開閉式の屋根を持つドーナッツ型の施設だ。ドーナッツの穴に当たる部分が会場と観客席になっており、外周部の三階より上は、この競技場の歴史などを紹介する小さな博物館のようになっている。
『さ〜あ! 皆様、長らくお待たせいたしました。ただいまより、国語力学生競技大会を執り行いたいと思います! 本日の第一試合は、調理部門の第十八戦ですっ‼』
元気な男性司会者の声が、マイクを通して会場中に響いた。広い会場の真ん中には、赤と青の大きな調理台が用意されている。
「調理部門か〜。今一番アツい分野だよね〜」
席に座らず、手すりにあごをおいたハレがいつもの間延びした声で言った。観客席の中でも、ハレたちのクラスは前のほうというかなりいい位置に座っていた。
「ジャポニカが登場してから、似たような店も増えたしねえ」
「実際、手品とかとは違ったパフォーマンスとしていかせるもんな」
「仕事の幅はまだ狭いけど、使いこなせたら単純に普段の生活で絶対便利だろーなー」
「……んで。何よそれ、ユリノ」
「え? 双眼鏡」
「うん、それはまあ見れば分かるけどさ」
まるでなんでもないことのようにユリノは答えるが、彼女の手に握られているのは、高性能で五十キロ先のカワセミでも鮮明に見えるというふれこみの双眼鏡だった。なぜ。
「すごーい! かっこいいー!」
マツリの呆れていぶかしげな目も、テンションの上がったハレの前には霞んでしまうため、気がついてもらえない。
「お父さんに借りてきたの。お父さん、バードウォッチングが趣味だから」
「早乙女さん、そんなの持ってきてたんだ。重くなかった?」
近くの席に座っていたフユキの問いに、双眼鏡から顔を離したユリノは、非常に輝かしい笑顔で答えた。
「全っ然! 子どもに持たせると危ないからって、今まで一度も触らせてもらえなかったんだもん。だけど、ずっと使ってみたかったの!」
『へぇ〜』
ハレとマツリとアサトとフユキの声が珍しく揃った。花を飛ばしながら、ユリノはまた双眼鏡を覗き込んだ。
「ちなみに聞くけどさ、ユリノ。アンタどうやってそんなの持ってきたの? 今日どこ行くかは分かってなかったのに、お父さんになんて言ってきたのさ」
「私が中学の時の遠足は、山の中のハイキングだったから、今回もそうじゃないかなって思ってたの。だから、お父さんに『遠足で山に行くから、鳥とか景色とかよく見るために双眼鏡を貸して』ってウソついちゃった。実際は違ったけど、ものすごくラッキーよ。オペラグラスの代わりにもできるし!」
「……アンタ以外とイイ性格してんね。あと、そんなゴツいのはオペラグラスとは言わない」
そうこうしているうちに会場に、つまりは調理台の前に、それぞれ人が立った。
『さあそれでは、ここまで勝ち進んできたお二人を紹介しましょう。まずは赤コーナー! 目指すは女性集客数ナンバーワン! お菓子の指揮者、山中俊矢さん! 対する青コーナーは、全国のお父さんお母さん見ていて下さい、お袋の味の求道者! 宇野清香さんです!』
「何そのセンス……」
「すげえ……仮にも国語力の大会なのに……」
こんな紹介をされる二人に同情する。マツリとアサトはなんとも言えず顔を覆うも、どうやら当事者たちは試合前の精神統一を図っているようで、司会者の声は耳に届いてないようである。
『山中さんは現在十七歳の若手選手! 今回作っていただくのはアップルパイということで、どのように国語力を魅せてくれるのか、注目が集まります! 宇野さんは二十一歳のベテラン選手ですね! 本格的に研修に入る前の最後の大会ということで、気合は十分です!』
「ねえ、調理部門って競技人口何人ぐらいだっけ?」
フユキがパンフレットを持つアサトのほうを覗き込んできた。
「え? えーっと……あー、全国で二百人ぐらいはいるみたいだね」
「ふーん。じゃあ多いほうかー」
国語力を養成所で本格的に学ぶ人間は、全国で約三千人ほど。一億人を数える日本の中で、国語力に関わる人間の数の少なさというのがよく分かる結果だ(ちなみに人気が高いサッカーや野球だと、七百万人を超える)。
養成所以外にも、市販の本や私塾でも国語力を学ぶことは一応できる。だが私塾を開くにしても、独力で身に付けたのにしても、日常生活などで国語力を使うには必ず資格を取得しなければならない。養成所に通う学生も含めて、資格を持たずに養成所外で国語力を行使すれば、法律で罰せられる。例外は正当防衛のときと、このような公式の大会のときのみだ。
学生競技大会は様々な部門ごとに行うので、相対的に見てさらに人口は減っていく。そうして見ると、調理部門はまだ人気があるほうだ。
『それでは、国語力学生競技大会調理部門第十八戦、レディー……ゴー!』
カーンッというゴングが高らかに鳴り響いた。
* * *
国語力とは、一般に「なんでも自由にできる技術」だと思われている。自分が強く想像したこと・ものに適切な言葉を与えてやることで、それらは発現するからだ。過去には身一つで鳥のように大空を飛び回った人物もいるといい、想像したことは全て現実になると言っても過言ではない。だからこそ「なんでも自由にできる」と思われるわけだ。
では、なぜ国語力を学ぼうという人が少ないのかというと、第一に先行する悪印象。第二に、その「便利さ」と国語力を身につけるまでの「努力」が釣り合わないと考えるからだ。行使する人間の力量によっては、いかに国語力自体が万能であろうと、使う者全員が超人になれるわけではない。使えれば色々なところで便利なのは間違いない。だがその度合いが、「べつになくても大丈夫」と言えるぐらいまでしか上達できないのなら、わざわざ身に付けずともいい、というわけだ。
現時点では世界的に見ても、国語力に制約らしい制約は見つかっていない。国語力を学ぶ者たちのほんの一握りしか習得できない技術というのが、存在するだけだ。「完全な無から物体を生み出すこと」「物体の転送」「起こした事象の長時間継続」あたりが、その代表例といえる。
前二つは、どういうものかよく分かってもらえると思う。これがもしできたら、とても助かる。忘れ物だって怖くない。
だから三つ目の「起こした事象の長時間継続」について少し解説する。普段から、そして将来働き出したとしても、特に行使するのは『事象』のほうだ。ハレたちがいま技術教練の時間に取り組んでいるのも、これに含まれる。
例として「私は、右手の人差し指の先に、白い光を灯す」としてみる。そこに白い光があると想像し続けている間は光は灯り続けるが、何かの拍子に意識を他に反らせたり、想像し続けることを忘れると、たちまち消えてしまう。線路を走っているとき自分の体を靄で隠そうと思ったら、ウサギの身とはいえ空中を飛び回り続けようと思ったら、そうなっている自分を想像し続けなければならないのだ。
この学生競技大会には様々な部門がある。だがどの部門であろうと、言えることは一つ。
『どれだけ国語力を己の自然な行為や意識と同調できているかが勝負のカギ』
そこに注目して、これからの試合を見ていただきたいと思う。
* * *
「えー、紳士淑女の皆様! 本日はようこそお集まりくださいました。いやはや、これだけの方に集まっていただけるとは、この山中俊矢、想像もしておりませんでした」
インカムをつけていたらしいトシヤの声がスピーカーを通じて聞こえてきた。つらつらとしゃべりながらも手を洗い、調理道具や材料を揃えた。
「なんつーか、マジシャンみたい」
「あー分かる分かる。普通にしゃべりながらネタ仕込んでくるあの感じね」
フユキとアサトが頷き合った。
そしてトシヤはリンゴと包丁を調理台の上に並べ置くと、まるでタクトを振る指揮者のように、腕を振った。
「回れよ回れ、甘くて赤い知恵の果実よ。黒き鋼の手に誘われて。その赤き衣の下をオレに見せてくれ」
重力に逆らって浮き上がった二本の包丁は滑らかな動きで、同時に舞い上がった二つの林檎の皮をするすると剥き始めた。
「でえええ!? なんだあれ!」
「うわー! すごいね! ボク、自分でもあんなのできないのに!」
「アタシは四分の一まで切らないと、りんごの皮なんて剥けない……」
「うんうん」
トシヤは二本の包丁を駆使して芯をくりぬくと、リンゴを一つずつ小さなサイコロ状に切っていった。
「黒き鋼の手は我が意のままに。輝く裸身の果実は我が手の内がごとく!」
そうして瞬く間に、刻まれたリンゴはパレットと鍋とに均等に分けて入れられた。
「甘い甘い銀砂糖が宙を舞い、火に溶ける果実へ降り注ぐ! ……えー、はい。こちらの鍋はただいまジャムを作っております。そして本来ならば、生地もここで作るべきではあります。ですが、しかし! いくら私の国語力をもってしても、生地を寝かせる時間までは短縮できません。ですので今回ばかりは、私が普段から愛用しているこちらのパイ生地で代用させていただきます。もちろん、お味は私が保証します……おっと、勘違いしないで下さいね。私はこの会社の回し者ではございませんので」
そう言って笑いを誘ったトシヤは、パッケージから生地を取り出すと、軽く溶いた卵を縫っていった。
「さて皆様は、パイの語源をご存知でしょうか? これが意外と知られていないのですが、なんと英語のカササギからきているそうですよ。そう、鳥のカササギです。年に一度の七夕の日、織姫と彦星のために天の川に橋を架けるあのカササギです。いやあ、私もそれを知ったときは驚きました。カササギは、色々なものを巣に持ち込む習性があるそうです。これが、いろんなものを入れて焼き上げるこの菓子と似ているので、パイと名付けられました」
トシヤの口と手は止まらない。ジャムが仕上がるまでの間、手は軽く鍋の中をかき混ぜているが、顔は常にあげて観客席のほうを見ている。
「なんっつーか、あれはあれですごいよな。国語力がっつーより、あのエンターテイナーっぷりが」
「話も面白いしね。こう、実演販売とかバーテンダー? みたいなのに向いてる……というより、たぶんそこにしぼってるよね?」
「いいじゃん! ボクはああいうの好きだなー。やれたらすごく楽しそう!」
「オレもオレも! 見ても聞いても楽しいとか、最高じゃん!」
ハレとフユキがいえーと手を合わせたところで、マツリが突然「ちがーうっ!」と声をあげた。
「うわっ、びっくりした!」
「え、何が違うって?」
「見るのはそこじゃないでしょってこと! ほら、山中さんじゃなくて宇野さんの手元見て!」
「手元?」
双眼鏡を装備して観戦しにくる人は普通いないので、会場には巨大スクリーンも設置されている。ハレたちの目がユリノの言うように、スクリーンの中のサヤカの手元に集まり、
「えっ!? なにあれ!?」
「あんなまったく違うことを同時にできる普通!?」
ユリノが声をあげた理由が分かった。
「絶対頭こんがらがる! というか、まず想像力が追いつく気がしない!」
パンフレットによるとサヤカが作るものは、米飯と潮汁、ほうれん草のおひたし、焼き鮭、筑前煮という一汁三菜のセットだった。それがいま、ハレたちが絶句して見つめる先で作られていた。
彼女自身は今、研ぎ終わった米を火にかけた土鍋に入れているところだが、流し台では二つの洗い桶の中でそれぞれほうれん草とごぼうが洗われている。さらに調理台の上では水を張ったボウルに蛤が宙をきって飛び込んでいき、小さじのスプーンに擦り切り一杯の塩もそこに追加されていた。
「……あの人、一体いくつの作業を国語力で動かしてるの?」
ハレたちだけではない。観客席中でひそひそと驚きの声が徐々に囁かれていった。自分でこなすのならばまったく難しくもない作業だが、それを言葉と想像力だけで行うには、一体どれだけの努力を要したのか。ひとつひとつの手順を繋げた作業の流れが、まるで映像でも見るかのように鮮明に頭の中で再生されるまで、なんどもなんどもこの作業を日々繰り返したのだろう。
「包丁! 人参とごぼうは乱切りに、鶏肉は一口サイズでよろしく!」
サヤカの忠実なアシスタントとなった調理道具は、危なげなく指定の通りに食材を切っていく。
「……調理部門の競技時間は二時間。米が炊きあがる時間とか、筑前煮が煮えるまでの時間もだし、鮭を焼く時間だってある。さすがにその時間までは前倒しにできないし、あれだけのものを作ろうと思ったら、当然準備の時間を短縮するしかない」
「一瞬、やっぱり派手なパフォーマンスの山中さんに目がいきがちだけど、よくよく考えればもう、宇野さんのあれ有り得なくない? って言いたくなるね」
「いや、もうこれヤバいでしょ。料理番組とかみたいに、普通に三人ぐらいアシスタントいるよ」
「〜〜〜〜すっっっっごい! 本当、もう、スゴすぎ!」
いつも大人しくニコニコ笑ってハレとマツリの漫才を眺めているユリノが、こうも興奮する姿を見るのは初めてだ。
「これよ! 私がしたいのはこれだわ!」
「早乙女さんのしたいこと?」
「そう! 私はね、実家の食堂を継ぎたいと思っているの。私の店が掲げるのは『ザ・家庭の味』よ。一人暮らし用のマンションに住む多くの自炊しない人やコンビニですませる人に、実家でお母さんたちにご飯を作ってもらっていた時のように、我が家でご飯を食べるかのように、私の店のご飯を食べてほしい。表彰とかされるような店じゃなくていいの。国語力を身につければ、宇野さんのようになれれば、お客様を待たせることなく、すぐにいつもの食事を提供できるわ!」
「うわ〜、えっらーーい」
「……う〜ん。だけど」
フユキとアサトが賞賛の眼差しや拍手を送る。ハレとマツリも、齢十六にして自分の道を定められるユリノには脱帽の一言しかない。マツリは将来のことなんてまだこれっぽっちも考えていないし、ハレにとって当座の目標はこの学生競技大会の総合部門で優勝することだ。
総合部門とは、この調理部門を始め、学生競技大会の全ての分野について覇を競う部門だ。と言っても、それぞれの部門の試合に参加して一位を取れというわけではない。総合部門は、一つの分野に特化した専門家ではなく、あらゆる分野を網羅した万能手たちが己の腕を試す場なのである。一対一で全ての分野を競い、トーナメント形式の試合を勝ち上がっていく。技術の他に、何日にもわたるそれを絶え抜く精神力も試されるのだ。
ハレは、そんな総合部門で史上最高得点を取って優勝することを目標としているのだから、末恐ろしいものである。
「ユリノちゃんがすごいのも分かるし、宇野さんがボクたちみたいな駆け出しと比べるのも失礼なぐらいすごいのも分かるけど、ボクはどっちかと言えば、山中さんみたいな技術を身につけたいなー」
ハレが見つめる先、眼下の会場では、生地に詰める用のカスタードクリームが作られていた。
「ホイッパーはカスタード色の舞台で踊り狂う!」
空中を滑るボールの中で、ホイッパーがリズミカルにクリームを混ぜている。
「宇野さんの国語力は安定的で現実と言うか、ボクたちの行動の延長線上にあるものだけど、山中さんの国語力は想像力っていうその言葉の意味通りの使い方をしてるでしょ? こんなことができたらいいのにっていう願望や、こんなことができるかもっていう可能性を実現するための国語力だよ。ボクは、そっちのほうが楽しそうだと思うな」
「……まあ、たしかに。さっきのリンゴの皮むきもあのクリーム混ぜるやつも、ホントに踊ってるみたいで見てるこっちも楽しくなったからなあ。惜しむらくは目の前でやってくれてないってとこかな。アンタにしては、まともな分析じゃん」
「痛い! あと、アンタにしてはってひどくない!?」
滅多にないハレの真面目ぶりに、マツリは思わずその頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜながら返事をした。
「う〜ん。ホントに奥が深いねえ、国語力って」
「何ができるかなって考えると楽しいけど、同時に不安になってきた……」
「そのための養成所よ。がんばりましょ」
腕を組んで悟ったかのように頷くフユキもいれば、なんとなく痛みだした胃を労るアサトもあり。ユリノの言葉に促されて、四人はようやく本腰を入れてトシヤとサヤカの勝負を観戦することにした。
「それでは少し早いですが、午後のお茶会を始めましょう。さあ白磁の美しきものよ、空から静かにその内の芳しき紅茶を繊細に注ぎなさい。対なる器が優しく受け止めるのだから」
「鍋、七分目まで水を入れて! 潮汁を作るわよ。あと、グリルのふたを開けて鮭を引き出して。お皿はそれを迎えに行く! 私はその間にさやえんどうの筋を取るから」
国語力が暴発することもなく、制限時間内に料理を作り上げた二人は、それらをお盆に乗せて審査員のもとまで運んだ。
「そういえばさー、調理部門ってやっぱり味も評価対象になんの?」
フユキが誰に聞くでもなく疑問を零せば、思いっきり首を振ったのはやはりユリノだった。
「ううん。もちろん食べるものを作るわけだから味がまったく評価されないわけじゃないけど、これは国語力の大会であって料理のコンテストじゃないから、その過程でどのように国語力を使っていたかっていうのが一番の評価方法よ」
「一に技術、二に技術、三、四がなくて、五に味ってことか」
「そうそう」
結局、この決勝戦はそれぞれに素晴らしい発想と行使をしており甲乙つけがたいが、やはり限られた時間の中で作られた料理の品数や質を鑑みて、宇野清香に軍配が上がった。




