無辜の民
「全く何故こうもつまんないかね?」
「は?」
「だって大した事してないじゃん。ただ動き回る世界を延々眺めてるだけ、俺たちから干渉することも何もない」
口を尖らせて黒のフードを被る男に、僕は本に目を落としたまま言う。
「そんな頻繁に向こうに関わっても、後々面倒なの解っているだろう? 僕らがひっそりと静かに過ごしている方が、彼らも幸福に決まっている」
「えー、でもそれじゃあ何も残らないじゃないか! 何かもっと、名を残すような事したくない?」
「だからそれが面倒なの、後世の批評だって……って、あっこら!」
本を掴むその右手に、必死に手を伸ばす僕を見て、当の本人はケラケラと笑った。
「毎日毎日飽きもせずまあ……人間の空想世界を書き記しただけじゃない。わざわざ本で読まなくたって目の前に面白い世界があるのに、楽しいのこれ」
「返せよ!」
「でもいつも違う本だよね。何、いちいち創ってんの? まあそれだけ向こうに興味あるってことなんでしょ、じ・つ・は❤」
「うるさいな! お前ほど酷くない!」
睨みつける目を気にも留めず、これいいでしょ、とクルクルと回ってポーズをとる。
黒いパーカーにカラフルなTシャツ。細身のジーンズは所々破れ、肌が覗いている。極めつけはキラキラとラインストーンが光るスニーカー。
「そのような格好、ここには相応しくない。色彩で僕の目を潰す気か?」
「だって面白いじゃない。人間になる気はさらさら無いけど、異文化体験って感じ。あ、これはちゃんと向こうに買いに行ったよ」
「お前こそわざわざ何してんだ……まず僕達に文化なんて概念は無い。その気が無いなら余計に邪魔だ、脱げ」
「ほんっと素直じゃないなあ。興味ない? いつも俺とここで人間を見ながら、人間の生み出した書物を模倣して、自分でわざわざ創り出して、目を輝かせているのに? 俺のこの服だって、何で名前知っているのかなあ? 俺たちなんてほぼ布一枚に等しいじゃん、何故パーカーだのスニーカーだの知っているのかなあ」
「ぐっ……」
――図星だ。
顔を強張らせた僕に本を手渡し、フードを取りながらそいつは告げる。
「でもね、それだけこっちが興味持ってても、向こうは気付きゃしないんだよ。俺たちの存在を信じない人間も少なくなくなってきた。多分俺たちの爺さん世代で記録止まってるよ」
「いや、あの世代の人達は事の次元が違うだろ……」
「まあね、でもゼウスの爺さんが不倫していなかったら、俺たちここにはいないんだから」
「語弊のある言い方だな! あってるけど!」
一夫多妻など、所謂〈神〉と呼ばれる僕らの世界にはよくある事だ(逆もしかり)。ゼウスさんの場合は正妻が嫉妬深かったのもあるが、九割がたゼウスさんの浮気癖が悪い。
「だからさ、俺たちも何か残したいの。そんな劣情にまみれた話じゃなくて、もっと爽やかな感じの!」
「何を目指したいんだ?」
「名を残したい」
――真っ直ぐこちらを見つめる瞳は、紅く燃えていた。
「……解ったよ、協力する」
「やったね」
パチンッと指を鳴らして、明らかに嬉しそうだ。
「で? そう言うからには何か策があるのか?」
僕が尋ねると、目の前の男は屈託のない満面の笑みで、
「なーんにも?」
「……」
「一昔前ならもう少し実行しやすかっただろうね、政権争いの手助けに相手国に風の塊ぶつけるとか。でも今はそういったこともなく平和ですから」
「本当、お前は発言だけだな」
溜息をつき、僕は傍のゲートから向こうを見下ろした。
僕らが生まれた頃には想像もできなかった、多くの人間。高い建物。忙しなく流れる黒や金の点は、確かに昔ほど僕らを必要としていない。
「まあ、これからゆっくり考えればいいよ。俺たちがもう少し大人になった時に、向こうから縋ってくれるかもしれないしね! あ、これ飲んでみない? 美味しい水だって」
ケラケラ笑う男の周りに、二つのグラスが現れた。
「ほら、手出して」
「ああ、ありがとう……っ冷た!」
驚いて払った手は、僕へ飛んできたグラスにヒット。中の透明の液体は、僕の本の上に落ち、ゲートへ流れていった。
「あ――あああああああああ!」
「あーあ、干渉しちゃった」
ニタニタ笑う紅い目に、僕は翠色の睨みを向けた。
そして何の罪も無い人間に向け、伝わりもしない謝罪をした。
「申し訳ありません……」
「――もう一週間だよ、なかなか止まないね、雨」
「山崩れも起こってるんだって、気を付けないと」
滝の如く降り注ぐ雨を、二人の少年は眺めていた。
「ずっと家の中も飽きた……ねえ何かしようよ、何の本読んでるのさ?」
「小学校で借りてきた、遠い昔の話が書いてある本」
「へー。ねえ何して遊ぶ?」
「へーって……うーん、遊び……あっ、そうだ! 神様を考えよう!」
「かみさま?」
目を輝かせる友人に、本を抱えた少年は言った。
「この話には、いっぱい神様が出てくるんだ。だから僕たちも、神様を考えてみようよ。たとえば、今、この雨を降らせているのは、どんな神様だと思う? 何故、こんな雨を降らすんだろう?」
おわり